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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2021年3月の記事一覧

春のかなた

さびしき空のかなたよ のどけき陽射しの大地よ いく時代を生きようと あなたが存在した希望があり わたしが存在したあかしがある どこまでもつづくあおい空よ 刹那に生まれるしろい雲よ いく時代を過ぎようと ここに存在のさびしさはなく ここに存在のよろこびが生きる

平和は音がしない。 静寂のなかにある。 戦争は嫌悪の音が響く。 嘆きの声も聞こえる。 災禍は絶望の音が潜む。 逃げ惑う鼓動の音が鳴る。 希望は凪のなかにある。 静かにゆれる炎のように。

忘れ得ぬために

母なる大地、母なる地球と言います。 宇宙も母です。どこにも男は出てきません。 子宮は宇宙とも例えられます。 その中で男の精子は我先にと競争し、 受け入れを待つだけなのです。 原始的にその時の記憶を外の世界、 社会に持ち込んでいるだけとも言えます。 女性は体の中に地球を持っています。 子宮です。 男はその宇宙を飛ぶ流れ星みたいなもんです。 ほとんどは燃え尽きてしまいます。 隕石みたくたどり着くのは全体からみれば それこそ奇跡のようなもんです。 そのことを学ばない男が惑星の神

春の日

昔から夢を見るのが好きなぼくは あたたかい陽のまどろみの中で うつらうつらと眠りに落ちていく それがいつもの春の日 別れを経験した かけがえのない出逢いもあった 挫折を経験した 絶望に打ちのめされもした いくつも傷を負った日々 繰り返し立ち上がったのは 明日に続く道のため 晴れ渡る空に希望をみた 流した涙の先行きで 明日に続く道のため

さくらの日

今日3月27日は「さくらの日」です。 3×9(さく)=27 歳時記をめくれば、3月25日から 七十二候の「桜始開(桜始めて開く)」。 桜の咲き始める頃として馴染んできました。 今年は開花が早く、すでに満開になっている ところが多いので、待ち望んだと言うより、 早過ぎるよとの気持ちの方が強いかもしれません。 桜は満開になってから1週間は花保ちしますが、 今年は入学式の頃には葉桜満開になっていますね。 それはそれで若々しい希望を象徴しているようです。 地元では、金刀比羅宮は

超私的世界七不思議

私が思う世界七不思議は: 1) 見ること 2) 聴くこと 3) 触ること 4) 味見すること 5) 感じること 6) 笑うこと そして 7) 愛すること

とまり陽

しずくが降るほどに 日差しは ここそこに たまり揺らいでいる この青空の下で 誰にも会わず  口もきかず 日が暮れようとするまで ここにいる 縦になったり 横になったり 水を口に含んだり 目を閉じたり 開いたり まぶたの裏に 日差しの軌跡が 意味のわからない 残像を描いた 山の中腹に かすみのような雲を 抱いている 桜が咲き始めた とまり陽を捕まえている とおい遠い おとぎ話のような 本当の話 ある春がそばにいた

未熟者であること

人生いくつになっても未熟者だと私は思う。 器用に人生を歩んでいるとは言えないし、 成熟な大人かと問われれば、恥ずかしさが先にくる。 年を重ねていけば、それなりに経験を積むし、 知識も得られるし智慧もつく。 だけど、価値観は多様化しながら社会は進歩していく。 常に変化というアップデートをしているのが時代だ。 そんな時代に生きながら、どこまで行けば 人として成熟したと言えるのだろう。 あなたは成熟した大人だと認めてくれるわけでもない。 そんなことを考えることはないだろうか。

春の本気度

三寒四温を繰り返しながら、 ようやく季節は腹を決めたらしい。 さくらのつぼみがぷっくら臨界に達した。 不思議なことに さくらの咲き状況で春の本気度がわかる。   三分咲きなら春三分。   五分咲きなら春五分。   満開なら春本番。 春の本気度に同期すると身体は軽くなり、 気持ちは晴れやかになる。 今のつぼみは三分咲き。 いよいよ春が本気を出してきた。

計画変更は常

何でもすんなり計画通りに進むことは意外にも少ない。 行き詰まったり、先が見通せなくなることもある。 突然、環境の変化が訪れることもあり、 計画の変更を余儀なくされることもある。 そこで大事なのは、常に柔軟であること。 臨機応変に対応できる心構えがあること。 そして何よりも、プランの変更を自分の意思で行う という気持ちを持つことだ。 誰かにやらされているわけではないので、 プラン変更もポジティブにとらえることができる。 その方が楽しいに決まっている。 むしろそれを待ち望むく

さくらの空

不思議なもので、 桜が咲くとなぜかほっとする。 沈みがちだった気持ちも浮上する。 それだけ桜には力があるのだと感じる。 今日は朝から雨が降ったりやんだりの あいにくの曇り空。 ようやく開きはじめた蕾を濡らしていく。 でも明日は晴れ間も出るらしい。 年度替わりの3月は 空の気分もコロコロ変わる。 人の気とどちらが気まぐれなのか、 わからなくてもそれが不思議と楽しい。 ぼくがふさぎ込んでいた時間の間 桜はじっと咲く季節を見据えていた。 その時間の交わりがもうすぐ咲いて溶ける

弱音はともだち

弱音を吐いて、 それを克服して、 また弱音を吐いて、 また克服する。 それで強くなり、 人に優しくもなり、 何にも増して、 人の気配り、 さりげない優しさ、 勇気づけられる言葉に 気づく感性が 身につくよ。 だから、 これからもよろしく! だから、 これからもふぁいと!

特別な卒業

今年、卒業する生徒や学生たちは 何か特別なものを背負った世代なのかもしれない。 授業が大変だったとか、 リモートでかわいそうだとか、 いろいろ言う外野のぼくらの価値観とは違う 何かを持っているような気がしている。 3月の卒業シーズンになり、そう思うようになった。 コロナ禍で、従前のような学校生活は 送ることができなかった。 そこで迎える卒業を悔やんでも仕方がない。 この特別な卒業をネガティブに捉えていても 生産的にはならないことだけははっきりしている。 ぼくらはその時代

春の宅配便

  春をお届けにまいりました 冷たい雨が降る中  玄関の向こうで声がした はい とドアを開けてみると小包を 大切に抱えた配達員のお兄さんが立っていた 春の使いにしてはやや寒い空気のマントを身につけて 表情はにこっとして 受取人のぼくを確認したら   こちらに印鑑かサインをお願いします と伝票を差し出した 今日がぽかぽかの陽気だったらよかったのにと 少し思いながら印鑑を押すと にこっと笑って   ありがとうございます とお辞儀をした ぼくはあわてて ご苦労様ですと応えた