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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2021年1月の記事一覧

個別の空

窮屈だといってジタバタ暴れても 空はちっとも晴れてくれない 息苦しいといって深呼吸しても 空はちっとも澄んだ空気をくれない ウイルスを通さないマスクをしているから 吸い込んだ酸素も薄い気がする テーブルの前と横に アクリル板が立てられている 透明だからといっても 触れ合えない距離は遠くに感じる 50cmほど先に君がいるのに 50kmも離れてしまったふたりは もう元には戻れない 心が離れないように結ばれていた糸が プツンと切れた 「当店は個別空間を確保しております。  

時の雫 2021

時には固定しているカタチがない。 もちろん物理的な時間というものはある。 だが、人間が感じる時間にはカタチがない。 矢のように感じる人もいれば 大河が流れるが如くに感じる人もいる。 一瞬で射抜かれ、時の重要なことを悟ることも 生きていく上では大事なことだ。 時の流れを大河に例えれば、 曲がりくねった川が所々で渦を巻き、 滝をつくり、やがて海に続く大河になる。 その大河も初めは一滴の雫。 時の雫、その一滴は大河へ続く人生の道である。 生を受けたその一滴の雫を、大河を流るる

やさしい季節

今日は満月。 今年初の満月で、ウルフムーンと呼ばれます。 アメリカの先住民が季節を把握するために 各月に名前をつけたそうです。 来週は立春(2/3)迎えるというのに、 今日は真冬のような寒さと強風の嵐でした。 立春を迎える頃には厳しい日差しも和らぎ 風も優しく吹くでしょう。そう思いたい。 春にはやさしさが必要です。それは人も同じ。 冬のままにギスギスしていては 豊かな成長は望めません。 やさしさに臆病になる必要はない。 今こそやさしさの価値を見直し歩む その季節がそこま

運のつかみ方

運さえつかめば自分は上手く行くはずだとか 今はまだその運がやってきていないと 運まかせに言う人は多い。 でも、上手くやり遂げるための日々の積み重ね、 努力をしていない人は運があってもできない。 運がやってきても気づかないものだ。 運とは鉄棒のようなもので、 筋力がついていなければ運という鉄棒を 掴みきれないですぐ離してしまう。 運を本当に手に入れるつもりなら、 心構えと日々の積み重ねが大切になる。 心しておきたいものである。

地上の答え

私が抱えている いつくかの問題は 稚拙な言葉で答えが書けるだろう だからといって私は 満足感を得られない  納得もいかない 私はいったいどんな答えを望んでいるのだろう 太陽は答えを示してはくれない ただ促すだけ 地上の人間が抱える命題を いかように解いていくかを見守っている 青空は答えを用意はしてくれない ただ導くだけ 解く努力もなしに願うだけでは 満足感も納得感もない 複雑な解答は心の迷いが現れている 誤魔化した解答はぶれていずれ破ける それを暖かい陽気の中で 冷ややか

レッテル貼りの功罪

本来の「レッテル貼り」は自己防衛のためではなく、 自分の理想像に近づけるために活用するものだと思う。 いわゆる「形から入る、夢を口にする」と 同じ効果をもたらすものと考えたらいい。 謙虚さもいいが、時には自分を鼓舞するためだったり、 自身のイメージを形にすることで、 自分のなりたい像に自分を引き上げる効果を持つ。 問題なのは、易きに流れるためだったり、 第三者が手っ取り早く区別するために使うとき。 レッテル貼りする人が、最初は他意はなくても、 それが区別から差別になると

哲学する空

空を覆いつくした雲の上には 見慣れた星空があるのか 見知らぬ星空があるのか ぼくは思案している 何時間後かに雲が 切れ切れに去っていた時に 答えを知る その時にはもう問いを忘れている 悩んで考えて哲学しても 答えにはたどり着けない空がある それでもいつか日差しが手元に届く 答えが見つかると問いは消えた

冬ざれ

冬ざれの野山が もうしばらく待てという 春は急がない じっくりと じわっと  とことこ やってくる 急いではいけない季節があると 冬ざれの野山はいう 行ったり来たりを繰り返す 季節はしぶとく ぼくの周りを 次第に包み込むように 世界を変えていく 冬ざれていた野山が笑う 単調な季節は長続きしない

あめ、あはれ

眠り覚めやらぬ時間 はぐれた雨が細い枝に 雫となってしがみついている 日が昇っていても 雲に覆われた空から 次々と降りてくる 日差しは拝めそうにない 雲間は閉じたまま 日差しは覗いてはくれない 胸に直接響いてくる 今日の天気は悩ましい 心は静かに右往左往する 雨は上がって 欲しいようなほしくないような 戸惑うわたしはあはれな男です

空を見て泣くとき

空を見上げて涙するとき 心のどこかで思っている 風がぬぐうように 吹いてくれることを それはあなたの指のように そっと涙だけをすくいとる 空を見上げただけなのに わき上がる感情はなんだろう 空にかなしい物語が 書いてあるわけでもなく ただ透き通るような蒼い空と ゆったりと泳ぐ雲だけ 胸を打つ歌が聞こえるでもない 懐古の時間か未知の怖れか 未熟な思いの発露なのか わからない自分が見上げている 空は何も言わない そこに何も書いていない 空と同期したときに 心が開き 揺れ乱

歴史

歴史の評価や解釈は時代により 変わることはあり得る。 しかし、変えてはならないのは事実である。 事実(史実)を変えればもはや歴史ではない。 時にそれは謀略になり、認識を誤らせる。 つまり、史実を離れて歴史はない。 歴史は懐古の視点でみるのではなく、 警鐘の視点でみるべきものである。

大寒、春の兆し

今日1月20日は二十四節気の「大寒」 二十四節気は「大寒」が最後で、 次は「立春」を迎える。今年は2月3日。 ここの寒さを乗り切れば暦は春になる。  例年だと2月4日なのだけど、  今年は1分違いで2月3日になる。  つまり、立春になる瞬間は、  2月3日23時59分。124年ぶりだ。 今朝、起きると快晴の蒼空が広がっていた。 風もほとんどなく、気温こそ低いけれど、 陽射しそのものは春を予感させるもので、 夕方になった今も晴れ渡ったままである。 天の気とは人の気と通じ合

お茶します

あおい空を抱えたら 風をふかせ  厄まみれた空気を一掃する 澄んだ空気が大地の上にも 混んだ街の上にも行き渡ったら 家の外に出てお茶を入れよう 小春日和の温もりが 手元に差し込んで お茶に溶け込めばできあがり ふうぅ お茶時間が自慢 カップを包む指先に 温かさがもどってきた まるく昼寝をする猫を 空はほんわりと眼差しを落とし お茶を飲み干したら眠りに入った

黙食

時代が変わるとき、新しい言葉が生まれるものだ。 時代が変われば生活様式も変わるからだけど、 そんな時代にいることを今日この言葉で再認識した。 「黙食」だ。
. https://withnews.jp/article/f0210118003qq000000000000000W02h10201qq000022400A?fbclid=IwAR10rghwyyHPy5gN74HX_oyjUCIAp4odbIAvW7l2Cv0Cvd80C95apn4rFE4 
コロナ禍でいろいろな