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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2020年11月の記事一覧

過去の幻影

過去の栄光にすがり、そればかり語る人がいる。 これが転じると、過去の幻影に怯えることにもなる。 そう仕向けているのは他ならない自分だ。 その幻影をつくり出しているのは自分だから。 しかし、同じつくり出すなら、 過去の幻影じゃなく未来の姿の方がいいに決まっている。 過去の幻影に怯えている時は未来なんて見ていない。 未来を見ていれば、過去の幻影など薄れていくもの。 忘れてはいけない。 僕らは前にしか進めないのだ。 ・・・ともう一人の僕が語りかけるのです。

言葉が怖い

言葉が怖い。 言葉に心が折れそうになるときもある。 毎日のように文章を書いていると、 そう思うことはしょっちゅう。 もっと言葉に強くなりたいと思うこともある。 でも、毎日一言も話さないで過ごせないように、 (今年は、ステイホームで、一人暮らしなら  そういうこともあるかもしれないが…) 臆せず書くことも、弱さを克服することでもある。 手紙を書くのもいい。日記でもいい。 特定に人ではなくて、モノローグのような ものでもいいから書いてみる。 一種の実験のつもりで書いてみる。

調和の中の約束

調和が何かを知るには 自然に接する時間を増やすこと。 自然は調和でできている。 それは宇宙の調和からくるもの。 自然界に不調和はない。 人為的に崩す場合も、 調和が前提にあって、 そこに意図した崩しを入れる。 これが新たな芸術になる。 最初から崩したものは軸がない。 不安定な中で 美的価値は生まれ難い。 音楽でも和音は調和。 不協和音はその調和が あって崩すところで価値が生まれる。 人間も本来そうなんだと思う。 人間がつくる社会もそうなんだと思う。 不調和の中では幸せ

面倒なことからの脱出

何かと面倒だ、やる気はないと思うことは 誰しもあることです。 そう言っても、面倒なことを片付けないことには 物事が先に進まないということもありますね。 どうやら、面倒だと思うのは、 思考より感情が優位に立っている証なのだそうです。 つまり理性で考えていない。 感情の発露の結果なんだと。 この症状が進行するとただの感情人間になってしまう。 そこで、行動することがいいというわけなんですが、 なかなかすぐには動けないということもあります。 そうした時に、まず考えること。 考える

人間というやつは

人間というやつは 本当に進化しているのだろうか 科学技術は進歩しているのに 使う人間はちっとも進化していない 何度も過ちを繰り返す そこから学んだとしても 誰にも正しく伝えることをしない 不都合な教材はつくらない 人間は独りだけでは進化できない 集団意識が進化に向かわない限り 何度も同じ過ちを繰り返す あきれかえる人間があふれていても 人間が過ちから軌道修正する時間は 思うほど長くはない だから早い軌道修正が必要なのだ 人間は結構面倒な種なのだ

流れに身をまかせる?

私は流れに身をまかせるのは苦手です。 自分から流れを変えたり、 作ったりすることの方が性に合います。 特に10代の頃からの青い時代にはそうでした。 だから流れに抗うことも多かった。 納得いかないことが見えるようになったからです。 生徒会から学校側にもの言うこともしていたし、 納得できない先輩の言動には 食ってかかっていったこともあります。 それだけに手痛い目にあったこともありますが。 青いなぁ、といえばそれまでだけど、 それが誇りでもあったと思います。 だけども、年齢を重

作品を朗読してもらう側から一言

私が書く詩を朗読したいと 申し出をされる場合がたまにあります。 私は基本的に自分では朗読しません。 それは下手だからというのは別にして、 誰かに読んでもらうことにより 想像し得なかった発見があるからです。 作品の解釈は人様々なので、朗読してくれる人が どう読むかがとても興味があるのです。 朗読を録音する場合などは立ち会いますし、 舞台の場合は基本的な指導もします。 でも、こう読んでくれと 読み方に大きく注文をつけることはしません。 書いた作品とは別に、朗読も作品だと思っ

カケラ

わずかに残る思いの欠片を 消せずにいる 捨てもせず残しておいた欠片が 今もかすかな息をしている まぶしい日差しを手で遮って その温もりだけをしまいこんだ 言葉にならない安堵感と 胸を突き抜ける衝動が駆けめぐる 時間を行き交う行者でもあるまいに 欠片が復元されることもなく 生きながらえている ただ愛おしく生きている あの世から迎えに来るまで この欠片は生きているだろう 僕は変わらず 愛おしく抱き続けているにちがいない

小雪をむかえる

今日(11月22日)は二十四節気の「小雪」。 紅葉した葉が落葉になり、 山には初雪が舞い始める頃という。 二十四節気もこの後、大雪、冬至で今年を終える。 手帳を見れば、昨年は寒さが全国的に 厳しかったようで、曇りながら最高気温は13℃。 翌日には20℃に戻すというような乱高下の日が 続いていた。 今年は、数日前の夏日の気温から下がったりと 気温の乱高下はあるものの、今日は日差しもあり、 暑くも寒くもなかった。 今夜は小雪ではないが、雨が降るようだ。 最近、よく夢を見る。

素朴な季節

高村光太郎は季節のなかでも特に冬を愛したが、 秋に惹かれ、秋を愛した詩人に八木重吉がいる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・   素朴な琴   この明るさのなかへ   ひとつの素朴な琴をおけば   秋の美しさに耐へかねて   琴はしづかに鳴りいだすだろう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 季節は晩秋から初冬に向かいつつ、途中の紅葉も美しい。 名所に行かなくてもわりと身近なところでも 色づいた木々の葉が、重ねた彩りを楽しませてくれる。 やがて木々は落葉をはじめ、行

丁寧に

あと40日ほどで2020年が終わる。 今年はこれだけの変化が 身近に訪れているのだから、 何事にも丁寧さが必要になってくる。 いい加減な気持ちが表に出れば、 変化の中に埋没していくだろう。 気持ちは自然と表に現れるもの。 自分だけで完結するものは ごくごく限られている。 自分が思うほど多くはないものだ。 だからいつも「丁寧に」を心しておきたい。 生き方が雑になってはいないか。 人と接する仕方が いい加減になってはいないか。 何もかも投げやりに済ませていないか。 それを

流れの中にあるもの

11月も後半に入ったこの時期に夏日だと。 陽だまりに長くいることもできないくらいに暑い。 小春日和はもっと穏やかなものだけど、 今日はそれとは明らかに違う。 風もめずらしく南から吹いてくる。 まるで春一番のよう。 季節は綱引きのように、二つの季節で競い合う。 そんな日が季節の変わり目にはある。 一年を時間尺度の一単位で考えれば、 2020年の今年は、同じ一単位でも これまでの一年との違いは明らかだろう。 いったい何だったんだろうと思う。 一年も冬の到来の声を聞くと身が引き

不寛容たれ

不寛容な時代にもっと寛容たれと言われても、 立場があり、影響力の強い人間がつく嘘にまで 寛容である必要はない。 また、そういう人間に対しても寛容である必要はない。

軽くなる

軽くなると高みへ飛びやすくなる。 もう一つ忘れてはいけないのは沈みにくくなること。 いろんなものを一杯いっぱい抱え込む人は 必然と重くなるから沈みやすい。 余計なものを捨てて軽くしておけば、そうは沈まない。 軽くなることの効能の大事な点だ。 自分のステージを上げたいと思うなら、 余計なものを抱え込まないこと。背負わないこと。 その見極めが肝心だ。 諸々の課題、押し付けられた責任。 身近なところでは自宅の部屋や職場の荷物や資料。 断捨離して、片付けをすれば、身軽くなる。 軽