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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2020年10月の記事一覧

秋と冬

ちいさな冬が秋の隙間から入り込む   こんにちは    ちょっとはやかったかな ちいさな冬はいたずらっぽく笑った ひゅゆうっと 縮こまったのはぼくだ   いつのまにきたんだい   びっくりしたよ ちいさな冬にいじわるっぽくいった 背筋をかけあがるように 耳元まできて こそっとささやいた   だってスキだらけなんだもん そんなこといわれたくないよ 秋をたのしんでいるんだからね ちいさな冬はつづけていった   スキがあるのはいいことだよ   きせつはスキがあるから   か

ハロウィーン よもやま話

よく「ハロウィン」と聞くけれど、 正しくは「ハロウィーン(Halloween)」だ。 「ハロウィン」だと「Hallowin」になってしまう。 え、そんなことは知っているって!? 起源はヨーロッパの古代ケルト人が 2000年以上前に「サウィン祭 (Samhain)」という 宗教儀式に端を発するもので、この日は死者の霊が 親族の元に帰ると考えれていたものです。 これが後に、ケルト民族を侵略したカトリック系が ケルト人の宗教儀式を自分たちの中に取り込んだ。 カトリックでは11月1

十三夜の月

今日10月29日は「十三夜」です。 旧暦の9月13日に当たる今日は、中秋の名月の 後の名月として「後の月」と呼ばれ、 昔からこの日にも月見をする習慣があります。 古から十五夜(中秋の名月)にお月見をすると 十三夜にもお月見をしてきました。 一方だけのお月見では「片見月」「片月見」と 言われ、縁起が悪いとも言われていたようです。 十五夜と十三夜とも名月を見ることができたなら 「二夜の月」と言い、 そのご縁に感謝したのでしょうね。 また、十三夜の月を「名残の月」ともいい、

承認欲求に応える

承認欲求は生存欲求に強く結びついています。 認められることで生きて行く価値を自覚する。 生きていていいんだと自己確認する行為になる のだと思うのです。 これは、ここに居ていいんだという存在の 確認にも通じます。 子どもの頃は特にそれが強く、 子ども時代にそれを充たすことなく、 また出会えないまま成長して行くと、 その欲求が歪んだ形で爆発してしまいます。 他人を傷つけるとか、自分を殻に閉じ込めるか 自分を死に追いやるとか…。 極端な場合ですけど、 命を軽んじるようになってし

ねこのように

ぽかぽか・・・ そんな音が聞こえるような 陽当たりのいい場所、 車庫の前に置かれた縁台。 ぼくが子どもの頃からある年季物だから もう半世紀も生きている。 色は褪せ、あちこち痛んで入るが、 ちょこっと腰掛けたり、 寝転ぶには何ら問題はない。 生前の父のお気に入りの場所だった。 今は家の周りをテリトリーにしている 猫の一番席になっている。 今日もそこに来て、まあるく一休み。 日向ぼっこにはもってこい。 猫は心地よい場所を一番よく知っている。 ぼくが近づくと、ん?と顔を上げるが

やさしさという名の薬

やさしさは漢方薬・生薬のようなもので じんわり効いてくるものだと思います。 新薬のように化学的に合成されたもののような 即効性はないけれども体にはいい。 時間は掛かるが体質を変えてくれるし未病にも効く。 だから本来の健康を得ることができるのでしょうね。 では自分はどうかを考えてみましょう。 やさしさの新薬を求めている時はないでしょうか。 新薬の関係性ばかりを欲してはいないでしょうか。 人によっては漢方のような方がたくさんいます。 なかにはピリリとした生薬も含まれるでしょ

ピアノの告白

ピアノを弾くあなたの指 静まりかえった 一角に響きわたる 鍵盤と対話する 白く細長い指 生まれた音色が ぼくのこころの 奥深いところまで届いた 音色は言葉で 音色は風だ 音色は意思で 音色は告白だ ピアノを聴いたぼくの体と心 静かに震えながら あなたの言葉を聴き あなたの意思を感じ あなたの告白を受けとる 音色が呼ぶ風に乗る わずかばかりの間合いに 呼吸を整える 音色で深呼吸したぼくは すっかりあなたの虜になる

心の手

秋になると夕暮れの時間は短い 他の季節では見ることがないような 夕焼けを残して暮れていった 誰も知っているけれど 誰も心にとめない とても短いこの時間に得られるもの ココロには手がある 大切なものをつかむため 忘れてはならないことをつなぐため 寄り添いたい人にココロを近づけるために 静かに一人でいたいときも 傷ついたココロを癒したいときも 自分でココロを包み込む 大切な手は誰のココロにもある

美しき人

美は座せず 停まらず 時とともに 鍛えられ 時が熟して 美となる 鍛えられた人は  一瞬も連続も美しい

夢がないと嘆く人へ

夢がないと嘆く人は、 夢を叶えようと頑張っている人を 応援する夢を与えられているのだと思う。 夢を叶えようとしている人が夢を叶えた時、 応援していた夢も成就する。 一緒に喜び合えるし、幸せも感じる。 そのことが、夢を叶えた人の喜びを 何倍にもすることができる。 それって、素敵じゃない? 自分で叶える夢を持つことは大事だけれど、 誰かの夢を応援することも同じように尊いもの。 自分の夢がないというのは応援するという夢を 持っていることに自分自身も気づいてない。 だから、

千草に心寄せて

ぼくらは意外と草花の名前を知りません。 でもぼくらが目にする草花は みんな名前が付いています。 「雑草という草はない」 これは昭和天皇の侍従をされていた入江相政が 編まれた『宮中侍従物語』にて紹介している 昭和天皇のお言葉です。 あまりにも有名になった言葉なので ご存知の方も多いと思います。 ただこのフレーズだけではメッセージの 端緒に触れたに過ぎません。 「雑草という草はないんですよ。  どの草にも名前はあるんです。  そしてどの植物にも名前があって、  それぞれ自分の

素敵な落ち込み方

迷惑かけるー って落ち込んでいるときほど 引きずって かえって迷惑を長引かせるものだ。 それよりも、一旦、 どーん と落ち込んで、反省して、浮上して、 笑ってことにあたる方がずっといい。 そんな人を僕は素敵だと思うな。

細い月

西の空に消えかかりそうな 細い月を残して 日が沈んだ いつもと同じような1日が暮れる 日が沈んだけれど いつもとは少しだけ違う 緋い光の層が 稜線に沿って広がる様が 今日は違う 同じように時計は進んだか 同じように呼吸をしたか 同じように起きて食べて笑ったか 次第に降りてくる蒼い夜は 色をだんだんに濃くする そこに細い月が輝きを強くする 細くても主張する月は いつもと同じと嘆くぼくを 鋭く刺してなお美しい

ひとまずの勝ち

たいていの人は、遅い早いの違いこそあれ、 挫折を知るものです。 物心ついてからずっと挫折を知らず、 勝ち続ける人はまずいないでしょう。 ですが、勝ち負けの尺度で人生をはかるのは あまり意味を見いだせません。 人生の長い道のりで、勝ち負けは繰り返し やってくるものだからです。 とはいえ、挫折を遅く知るというのは、 時には取り返しのつかない過ちを冒すことにも なりかねません。 社会人となっているので影響力が大きいのです。 それなりの立場や役割を担っていれば 自分だけの話では終わ