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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2019年11月の記事一覧

置き忘れた鍵

涙が落ちる速さは 雨が降る速さと同じなのかな 実らなかった恋のままでいいから もう一度君に会えるなら 悲しみが増してもいいから もう一度君に会えることができるなら 胸の痛みが強くなってもいいから もう一度君に触れることができるなら 果たせない願いを 忘れたわけじゃない 届けられなかった思いを なくしたわけじゃない 閉じられた空の蓋を 開ける鍵はなくしてはいないはず 時間の片隅の どこかに置き忘れただけだろう 重力が増した体が沈むベッドの上で 時間の片隅を手探りする 誰

ぬるい空気

生温かい空気を風が吹いて ぬるく体にまとわりついてくる どこか不可思議で どこか不気味で 注ぐ日差しの裏側を感じてゾッとする 日差しは心地よいのに となりの雲は重い綿 覆い隠そうで 適度な距離を保っている ぼくのココロの天気のようで なんだかゾクゾクする ぬるい空気では深呼吸はできない 身体中がぬるくなりそうで 思考も思いも溶けてしまいそうで ぬるさはどうにも許せない ぬるさはぼくをだめにする 季節の中にはこんな日がたまにやってくる 街の人混みの中をかき分けるように そ

変化の起き方、向き合い方

「変化」は誰かが起こして
その波に乗せてくれるようなものではなく、
自分に内在する生きる力が顕在化してゆく
ものと解することができる。

だから「今のまま」でよしとし、
「今のまま」でいる状態は
生きる力が顕在化してこないので、
時間とともに老いるし、衰える。 
生きる力が顕在化すれば、
外界(天地人)の変化とぶつかるけれど、
そのぶつかりが調和するか不調和になるかで、
良い悪いが生じる。

仮に不調和であっても、
次第に調整することで調和するようにする
ことができる。
こ

苦い経験のあるやなしや

たとえ、主張が正しいとしても、 それを伝える方法論が安易で、短絡的で、 ご都合主義的であったとしたら、 その主張は届くだろうか? 主張にしろ、思想にしろ、刹那な思いにしろ、 それを届けたい相手に伝えたいのなら、 まずは相手の警戒を解かなければならない。 届けたい思いだけが先走りするのは 自己満足でしかない。 たとえ、行いが正しいとしても、 それを行う状況判断が曖昧で、一方的で、 自分の正義感だけで突っ走るとしたら、 その行いが正当化されるだろうか? 相手の状況や心情や、

意識の中での階層が生むもの

差別したがる人や偏見を持つ人はなぜなくならないのだろう。 おそらく言ってしまえば、 同じ人間だと言う意識がないのだ。 同じ人間と見えない、見ることができないからだ。 同じ人間じゃないから、自分と同じ権利を主張するのも 同じものを食べるのも、同じ空気を吸うのさえもいやで、 同じ社会に棲んでいることを忌み嫌う。 同じ人間じゃないからルールも1つではない。 その人たちにとって人類の種は1つではないだろう。 自分たち選ばれた人間とその他の2つなのだ。 だから平等意識も2つある。

変わらないものたちへ

変わらないもの 変えられないもの 変えなくちゃいけないもの 世の中に混在しているのに さらにあれやこれやと糸を絡めて 解かず 解けず  切れず 切ろうとせず 抵抗する良心の息がつまる 大切じゃないもの 大切だと思うもの 大切にしなくちゃいけないもの 心の中に点在しているから 整理が難しい 省かない無駄が邪魔をしている 省けない臆病者が抵抗している 世の中も同じだろう 変わらないものたちよ 良心に問え 整理のできないものたちよ 勇気を問え

掘り出し物 げっと!

昨日から隣町で「大坊市」という市が開かれている。 (江戸時代から続く由緒ある「市」である) その催し物の中で、昨日は「もったいない市」という 地元図書館主催の市が開かれて行ってきた。 「もったいない市」とは古本の市である。 ここでは市民が要らなくなった本を図書館で集め、 欲しいという人に差し上げるというもの。 もちろん無料だ。 今年は掘り出し物を見つけた。 『梅原猛 著作集』全20巻(初版)が出ていた。 全巻ほしかったのだが、先に物色している人がいた ので、気になる2冊を

新嘗祭

今日(11月23日)は「勤労感謝の日」ですが、 「新嘗祭(にいなめさい)」の日という祭日でもあります。 元々は「新嘗祭」として国事行為であったものを 第二次世界大戦後のGHQによって切り離され、 改めて「勤労感謝の日」が制定されました。 占領軍が国家神道と結びつくとして危険視したわけです。 しかし日本は古来より農業国であり、自然の恵みは 神の恵みとして考え、それに感謝するという行為自体は ごく自然のことです。 「新嘗祭」とは、古くから五穀の収穫を祝い、神の恵みに 感謝し

小雪

今日22日は二十四節気の「小雪」。 この後、年内は「大雪」「冬至」と続く。 「小雪」は寒さもまだそれほど厳しくなく、 雪が降ってもまだ大雪になるほどではない という時季を意味する。 そんな今日は全国的に寒い一日になった。 曇天で最高気温も13度くらいだったか、 それが明日にはまた20度を超えるという。 この気温差は結構こたえる。 体調を崩す人が多いのもうなずける。 私も夕方になって幾分軽くはなったが、 今朝から頭痛に悩まされている。 天候だけの問題ではないだろうが、 灰色

照り葉

紅葉が美しく照り映えていることを 「照り葉(てりは)」という。 晩秋から初冬に移り行くまさにその時季に 日差しに照らされて輝く紅葉は 秋の名残りを届けてくれるメッセージだ。 冬枯れにはまだ猶予がある。 それまでの季の余白は彩りを編み込む時だ。 どこにいても変わらない思いは 巡り会う季のなかでじっと耐え抜いていく。 いつまでもあなたのことを思いながら。

溜まっていた怒りを 吐き出すために海にきた 目の前の青い海を見ていたら 怒りの原因を忘れていた 吐き出す前に 海が怒りを吸いとって 平然とただ悠然とあるのだ 海は 空を映して 水を湛えて  平然と潮の満ち引きを繰り返す 溜まっていた悲しみも いつの間にか連れ去られて 海に還る すべての答えが そこにあるわけでもないけれど 眼前の海の青さが眩しい それが答えの一つだと理解した

小春日

冬が射してくる陽の中に ぼんやり時間が間延びする   ここらの柿は食べ尽くした   カラスは移動するよと信号を送る 枯れかかった草むらに しんみり忘れ音が遠ざかる 西高東低の空もように 日向の野ねこが伸びをする   大きなあくびをしたら丸まった   我が家のように丸まった 透き通るような月が沈むころ 風は止んで日向は凪になる ほっこりとまどろむ時間の中で 記憶の中のあなたを 思う

傍観者は加害者に一番近い

田舎に戻ってからは こういう場面に遭遇することは あまりない。というか今日までない。 だけど、首都圏で仕事をしていた時は、 ときどき目にしたことはあった。 https://fnmnl.tv/2016/11/11/13467?fbclid=IwAR0UPcWVgcdG4ry5LfdFDGY94NuPQW323DTLYjhQpQTwJzqUpHrnKGq0hrU これはいじめの場面でも、 セクハラ・パワハラの場面でも似ている。 巻き込まれはしないかと思うこともある。 だけども

本屋が消えた街

今日、隣町まで出かけたときに妻と話をしていたこと。 (妻は小さな公立図書館の館長をしている) 「街中から本屋が消えている…」 話はこういうことだ。街の中にあって、学校帰りに ちょっと寄るような本屋がどんどんなくなっている。 本屋は郊外の幹線道路傍に大型化して移転している。 大型店を構えるのはいい。だけれども、 そのような本屋に行くにはクルマで出かけるしかない。 もちろん自転車で行けなくはないが、かなりの距離だ。 そうなるとクルマに乗らない人は行けない。 行こうとしてもかな