届かせたい思い

今回、次のコンサートのプログラムの中に取り入れることとなってフルートで挑戦することとなった、難曲。
アストル・ピアソラの『アディオス・ノニーノ』

あまりに美しい旋律。
ただ、実はこれは聴いたことがあったのだが、今まで何かと、「タイミングではない」気がしていた。

ピアソラは既に2曲ほど(フルートは元々専門ではないので、”まだ”2曲ほど、と言わねばならないかもしれないが)、挑戦している。

しかし、今回…なぜだか、突然ピアソラ曲集の中でこの曲が目につき、釘づけられるように惹かれ、実はこの曲に関しては、私の方からやりたいと申し出た曲だった。

作曲方面においても新しい挑戦となる仕事が来ていたので、作曲技法やらのために、私の奥底が何やら刺激を受けるために、または参考にするために、やりたくなったのかと思っていた。

しかし、つい先ほど、共演者である母より、「この曲は、ピアソラが巡業中に亡くなり死に目に会えなかった父親へ向けてのレクイエムとして作った曲らしい」と、情報をいただいた。
そして、何とこれには歌詞もある。歌曲版もあるのだと。
その動画をつけてくれた。

調べてみると、この曲の前半は他の曲の転用だが、この中の一番美しい、それこそ天国に届きそうなメロディ、これを、鎮魂歌として挿入して作り、ピアソラ自身何度も何度もアレンジを加え演奏していた曲なのだそうだ。

このメロディは、本当に不可思議な感覚を覚えていた。
本当に、美しいにとどまらず、私の言葉ではどう表現できるものかわからないのだが、まさに天国に届きそうな気がする、としか言いようがなく感じていた部分があった。


そこで気付いた…
実際、時間軸としての記憶はそこまで定かではないのだが…

私は、4月末に、現在受講中の催眠療法講座の中の実習において、非常に困惑していた私の突発的な感情噴出(1年前に肉体を手放して物質的な別れをした、私の唯一心を許していた毛皮のある家族を想った時に強烈に感じるもの)について核心的徹底的なカウンセリングの末、グリーフをしていただくに至った。そして、その時、彼(そしてあちらの世界)と私が本当の意味で繋がり、私は肉体としての役割を終えてまで彼に頼ってしまうという罪悪感を感じながらそれでも彼にしかすがることができない、というところを手放し、本当の意味で彼を安全基地とすることができたのだった。

ふと気付けば、この曲をやりたいと急に思い始めて言葉にしてそれを伝えたのは、このグリーフを終えて少しあとだったような気がする。

そして、同時に、私は今まで、音楽の演奏において、表現において、自分の感情を反映することができなかった。また、自分の心で情景を視るということができなかった。
それが、ちょうどこの頃だろうか……つい先ごろ終わった7月のコンサートで「故郷」を取り入れようという話になり、試しに歌ってみようと、やってみたことがあった。私はそもそも声楽科でもあるし音楽療法学科、更に合唱にもよく携わっていたのでこの曲は本当になじみがあり、何度も歌ったことがあった。
しかし、この曲を歌うと涙を流す人が多いようだが、私は曲を演奏して涙を流したことはなかった。本当の意味で曲に入り込んだという体験すらほとんどなかったようなのだ。
特に器の家族であるこの人たちの前では、一切そんな情動を動かしたことはなかった。音楽表現も全て技術…。
いや、もちろん音楽表現で感情に呑まれては逆に聴衆には情は伝わらないので、その意味では技術なのだが。
しかし、私自身が演奏しながらその内容に心を動かされたことはなかった、いや、心動かされることはないように自分を律していたのだ。

それが、この時、故郷の3番「志を果たして いつの日にか帰らん」との歌詞に入った時、途端に私の中から情動があふれ出し、涙が出そうになり歌えなくなったという現象が起こったのだった。

私の中で、いろいろなものが本当に解けたのだと、実感した瞬間でもあった。


 グリーフのあとから、彼を思って…もちろん肉体としての寂しさはあるので、それを感じて情動が溢れるときはあるのだが、突発的な抑制の利かない感情噴出や身体症状にも出るような発作的なものは、急激に減っておさまって行っていた。最近は、何と心の中で無論彼を忘れるわけはないのだが、やたらと彼にすがるかのように心をとられていたり、心をとられていることにこだわる(考えなくなること=忘れて開き直ることのように感じ、彼との細かい記憶や感触も忘れて行ってしまうのではという恐怖と、それはあまりにひどいというような感覚)ことが減り、今では安心して彼を心の安全基地としている。
…しかし恐らく同時に、彼を思った時、そして音楽や自然界と繋がったとき、宇宙と繋がった時、きっと私はもう不当に自分の感情を捻じ曲げたり抑えたりすることなく、自然な感情を湧き上がらせ、出すこともできるようになった…のかもしれない。
今まで、彼との別れのあと、わけもわからず嗚咽が詰まって音楽ができなくなった時もあったが、どうやらそれは、何かうまく言えないが、ある種わざと防衛反応のように出していたもののように思う。
つまり、出るべき時に出ず、出なくて良いときにばかり出ていたのだろうとも思う。

先程、送られてきた動画を聴きながら、自分の演奏や旋律の美しさを思いながら、久しぶりに彼に関する涙が溢れた。
何も言語化できるようなことはない、やけに寂しさやらなにやらの言語化できるような感情に阻まれない、ただただ純粋な涙だった。

このタイミングで、急にこの曲をやりたい、と思った理由が、わかった気がした。


私にとってはこの曲は本当に難曲(フルートが専門のプロでも難曲ではないかと思うが)の部類に入る。
いや、技術的には恐らく全く真っ向勝負できるような譜面ではないだろう。
そのため、この楽譜と向き合いながら、えも言えぬ美しさを感じながらも、指の運び、音のひとつひとつの扱い方、音楽的な持って行き方…そんなところばかりひたすら向かい合おうとしていた。
それだけでも随分と変わったとは思っていたのだが(明らかに演奏技術は急激に成長した)

しかし、次にこの曲と向き合ったとき、きっと何かが、演奏と私の内面に大きな影響をもたらすことだろう。

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