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「視覚障害」と枠づけることができない視覚の障害
私は以前、「視覚障害と(国の定めた分類法では)枠づけることができないが視機能の障害」について、このような記事にて触れました。
他にも、触れている記事自体はあるのですが…。
国で定められている「視覚障害」とは、
「”眼球”の異常が認められるもので、それにより(国の定めた一定のやり方における)”視力検査”・”視野検査”の結果の数値基準を下回るもの」
のみを、「視覚障害」と枠付けます。
簡単にいえば
解離性障碍と催眠の関係性
どうでも良い呟きとして、ふとどうにも綴ってみたくなって書いた記事。
言語化がひどく難しい領域の話であるので、語弊を生みやすいかもしれません。また、文中でも記しておりますが、解離性障碍のみの話ではありません。
解離性同一性障碍当事者は、壮大な壮大なパーツセラピーの途中。
解離性同一性障碍で交代人格が120人以上に達した上、結果的に一番奥底(=一番外側という言い方もできるかもしれない)から包括した
物の認識の仕方、無数の角度―可能性に制限をかけているのは常に自分自身だけ
昨日、出かけた(しかも実家に)ときもそうだった
最近、視覚的な認識をしやすい、というよりもいつの間にか結果的に意識が向けやすかった視野の方の目、頭にも早々に不調が走るようになってきた。
(私はなぜだか右側の更に右端に集中を向けていることが多い。ここが認識しやすいのかもわからない。が、最近は右側にもあっという間に眼痛・頭痛・混乱が来る)
耐久時間が短くなってきた
というより、耐久時間がそもそもこの
私たち(器)の視覚状態の現状―特に事務作業と夜道編
私たちは、長年、器の身体状態(その内でも特に視覚状態)を、ずいぶんと周囲にごまかし、更には解離を駆使して光や動くものに敏感な部分などを殊に解離をして逆にあまり感じないようにすることとごまかしを組み合わせて、周囲と同じことが同じようにできる「ふり」をしてきた。
そして、あまりに幼い頃からであったため、そうしてきていたことすら近年まで自分たちですらわからないほどに、自分たちをも周囲をもだまし続けてきた
この器の人生は大変で壮絶なのか。主観と客観のパラダイム
ふと、気付く。
いや、何度も何度も思うともなく思うことではあったのだが。
この器は、事実上、先天性脳性麻痺として臍帯が首に巻き付き死にかけ小脳が壊死した状態で生まれ、生後8か月の段階で脳波がゼロだったという。
そして、実際、外界・物を認識するようになったのも首が坐るようになったのも歩けるようになったのも人より遅かった。
そして、それでも生きることのできる世界が限られてしまうことを恐れて、そ
障碍、社会的マイノリティを抱える方、周りの方へ…
精神障碍、身体障碍、社会的マイノリティなどの当事者として、更に今セラピストとして生きてきて、つくづく大事だと感じることは、
・本人なりの社会適応の仕方を見つける過程
・適応が難しい場合に適切に自分のことを伝えたり助けを求める方法を見つけ、身につける過程
・何かあった時、相談できる場
特に外からわかりづらい上に更に複合的に複雑なものを抱えながら、それでいながら社会的にはかなりグレーゾーンを生
人格が「混ざる」とは?混ざった時の対処法
(これは、2021年5月、私がまだ完全に解離状態で交代人格達がはっきりと存在している時期に執筆した記事に、僅か修正を加えて投稿しています。)
解離者あるあるだと思います。
「混ざる」
交代人格が「混ざる」って?
これは、人格交代をする時に完全に交代しきれずに、その前に表意識に出ていた(私達は表意識に出ていることを”浮上している”と言います)人と混ざってしまっていたり、表に浮上した時に既に複
私のセッションと他カウンセリングやセラピーとの違い
私は、様々な障碍・マイノリティを抱えながら、現在プロのセラピスト・音楽家として活動しております。
私のセッションは非常に多岐に亘り、多角的過ぎて非常に奥深く複雑なものが多く、なかなか何をやっているのかがわかりにくいという印象を持たれやすいようです。
そのため、今回の記事では、私のセッションと、他のカウンセリングやセラピールームとの違い、という観点から、私の活動(マイノリティコンシェルジュ-Ea
障碍、障碍者って?-障碍理解
障碍って、何?
障碍者、社会的弱者、マイノリティ、などという言葉があります。
これらは、一体何を表す言葉でしょうか?
…これらの言葉には、実は、明確な定義はありません。
物凄く極端な言い方をすると、要するに、時代が生みだした「流行り言葉」のようなものとすら、言えるもの。
中でも、「障碍」に関するWHOの定義づけに、興味深い部分があります。
「障害とは、身体の損傷、活動の制約、参加の制限が
人格であったり「仮面」の互換性/道に迷いやすくなったこと
やはり、本音・本質を出すことができる(かなり抵抗を取り除けてきている)部分によって統括した、総合体である凘銀の状態であると、奥底の感性を通すから(単体の凘銀は逆に感覚・感情・感性を全て全く別物の世界にやってしまうという現象が起きていたけれど)、とはいえその状態で「社会に在る」ということ自体にかなり根深い鎖が食い込んでしまっているため、「公の場でその状態を保つ」ことは至難だったけれど、この状態もしく
もっとみる悪魔祓い、という言葉からふと思い出した出来事
悪魔祓い。
ふと、思い起こしたことがあった。
別に悪魔祓いの儀式を良くする宗教などに関わっていたわけではないのだが。
ただ、私達の器はキリスト教家系だ。プロテスタントであるし、元々日本基督教団であったので悪魔祓いなどというものはまるで知らずに育った。
そんなものの存在を知ったのはなぜかと言えば、恐らく心理学関係で自分達の状態を知るために解離性同一性障害に関しての資料を調べていたような時。こ