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『ヨーロッパ学入門』 Ⅵ ヨーロッパの神話と民話(鈴木 満)

今回は『ヨーロッパ学入門』の3回目「Ⅵ ヨーロッパの神話と民話」を読んでいく。宗教の話に入っていく前に、ヨーロッパの人々の思考に影響を与えてきたものを読み解いていく一環となる。

【摘要】
神話と民話の違い
そもそも、神話と民話はどう異なるのか。どちらも民間信仰であり似ているものだが、神話は社会階層の上層部(土地支配者、聖職者、有識者たち)に容認され、それなりの権威を持っていた信仰であり、これが組織化され、信仰の場(神殿・教会)を持つと宗教となる。
民話は非特権階級(庶民)のものであり、上層部からは非正統で容認しがたいものとして扱われた。伝説(本当にあったこととして厳かに語られる)とメルヒェン(虚構)に分かれる。
共通して、超自然的存在を重要視して物語っている。

神話は大別して6つ
ケルト、ゲルマン、ギリシア、ローマ、スラヴ、ヘブライ(ユダヤ、イスラエル)が存在し、これらが混合・継ぎ接ぎになっているのがヨーロッパの神話であり、共通したものは存在しない。(他にもラップやバスクなどの少数民族系のものも存在していると思われる)
世界がどのように創造されたのか、そこからどのような神神が誕生していったのか、神神がどのような性格や特徴を持っているのか、そして人間に至るまでの経緯(だいたい揉め事)や系譜などが語られている。それぞれの民族の居住地の自然環境などが色濃く表れているように思う。

民話はヨーロッパの分断要素を超えた多くの共通点
妖精や小人、家に住み着いている精、巨人、女神、魔女、人狼といった多くの非現実的な存在がヨーロッパの様々な地で語り継がれてきた。そして、これらの存在はほぼ「両面性」を持っている。善悪はもちろん、人に幸運をもたらすと思えば、悪戯をしたり。
ある意味、人に様々なことを教えてくれる教訓的な存在でもあると言えるのではないだろうか。
また、女神や魔女については、ポジティブな存在として語られている部分はキリスト教以前の大地母神信仰など、母なる存在=女性に対しての信仰などが色濃く残っていると言えるが、その後の父権社会であるキリスト教以降の社会では胡散臭い存在、ネガティブな存在として扱われた。

【わかったこと】
人々を取り巻く、刻々と変化する自然は厳しくもあり、恵みをもたらす存在だった。自然という不可思議で理解・制御が不可能な存在を理解するために、そして自分たちが生きていく上での心の拠り所としていったのが神話や民話だったのではないだろうか。特に人は1人では生きていけない、ということにとどまらず集団生活化、つまり社会が形成されていった中で、その社会や組織をコントロールしていくために、権力者たちは人々の心をコントロールする必要があり、そういったマクロ的観点から神話が編み出されていった部分もあるのではないだろうか。
民話は、それに対して人々の日々の生活における善悪判断や親が子供に言い聞かせる場面など、ミクロなレベルでの人の心のコントロールのものだったため、ヨーロッパはもちろん世界各地で似たようなものが生まれていったとも言えるのではないだろうか。

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