見出し画像

生存率5%以下の大病を経験した話④

 娘は中学3年生 3か月後には、高校受験を控える身です。その娘に告げなければならない話があります。それは、高校を諦めてもらうことでした。

指が少し動くようになり、意思を伝えることができるようになって、妻と今後のことを相談しました。わたしは、小さな町工場を営んでいて、仕入れ・販売・配達・メンテナンスほとんどの業務を自分一人で行っています。とても仕事を続けることは無理そうです。ですので会社をたたむしかありません。

 収入の道が途絶え、生活がままならなくなる状況では、そう告げるよりほかはありません。妻が娘にそう告げると一言「わかった」とだけ答えました。

受験対策で通っていた塾を辞めて、もしかしたらの可能性をこめて受験だけはしようと話し合いました。

自分の娘の将来をつぶしてしまったのです。これほど後悔することはありません。小さいころ膝の上が特等席の娘、食事をするときは必ずそこに着席します。私が食べるものを珍しそうに眺め、お酒のあてになるようなものを好んで食べていた娘、日常的に楽しい事があるとコロコロと声を出して笑う娘、この子は人より大きく出遅れることになってしまいます。

娘1

(小さいころ旅行先で撮った写真です。)

夜は何とも表現できない感情で、うなされます。

後悔とも懺悔ともとれる、ただただ自分の置かれた状況を憎み嘆きました。

娘は受験勉強を自力でしながら、見舞いに来るときには心配かけまいと気丈にふるまっていました。また、その姿が・・・

そんな状況の中で、手を差し伸べてくれる人はいるもので、通っていた塾の配慮で、自習室の使用や質問は受け付けてくれました。うちにとっても本当にありがたい申出でした。これにより少しですが希望がつながりました。

息子

 息子は小学校5年生です。普段はゲームばかりしていますが、週末は1日中野球を頑張っています。練習中に近くを通る人に帽子を取って挨拶する姿、グラウンドに出入りするときに挨拶する姿を見るたびに、野球はやはりいいスポーツだと感じていました。

 そんな野球の送迎の時、少しでも上手くなりたい息子と1時間ほどコソ練をすることが日課になっていました。楽しみだった息子とのキャッチボールもできそうにありません。

さらに、ICUにいる私の姿があまりにひどいからなのか、面会を許可してもらえませんでした。妻と娘が面会に来てくれている間息子は、廊下で一人待っています。この時どのようなことを考えていたのでしょか?

息子

私がICUにいる間もそれまでと変わらず、野球に行ってくれていました。彼の人に言えない思いを野球が支えてくれていたのかもしれません。チームの仲間や指導者の方にずいぶん助けてもらったことでしょう。家族の負担を少しでも減らそうとお弁当のご飯を自分で炊き始めたのもこのころからですね。

⑤に続く

生存率5%以下の大病を経験した話①
生存率5%以下の大病を経験した話②
生存率5%以下の大病を経験した話③
生存率5%以下の大病を経験した話⑤
生存率5%以下の大病を経験した話⑥
生存率5%以下の大病を経験した話⑦
生存率5%以下の大病を経験した話⑧
生存率5%以下の大病を経験した話⑨
生存率5%以下の大病を経験した話⑩

サポートしていただいたものは、商品開発・商品企画に前向きに使わせていただきます。こんなものが欲しいなんて要望もいただけると助かります。