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生存率5%以下の大病を経験した話⑥

母親(おかん)

母親が死んでから19年になりますが、一度も夢枕に出てきたことは、ありませんでした。その母親が怒った顔で、親指を立てた状態で

暗闇の中「目くそ!」って怒っています。

おかげで、川の向こう側に渡らずにこちらの世界に戻ってこれました。

特に夢を見たわけでも、感動的な再開をしたわけでもなく、ただただ母親に𠮟られて目覚めました。

小さいころに母親に叩かれたりはしませんでしたが、顔の前で親指を立てて同じように「目くそ!」って怒られました。家族をこのままどうするつもりや!って追い返されたのでしょう。三途の川は見えませんでしたが、あの暗闇の先は行ったら帰ってこれない闇だったのかもしれません。

目覚めると病室の天井が見えます。しばらくすると、主治医の先生が声をかけてくれました。

「よく乗り越えましたね!」「もう大丈夫です」

私の容体を案じて病院に詰めていたようです。先生はにこやかでしたが、はっきりと山だったと。

やはり、人間死ぬときはわかるのかもしれません。緊急手術を受けた時よりも明確に自分の死を自覚しました。あの感覚は思い出したくありませんが、体中の細胞がダメだと言っているようなすごく騒がしい状態でした。

けれど山を越えると、そこからは順調に回復していきました。

相変わらずICUの中でしたが、体の神経が一つ一つ順番につながっていくような、血の流れが再開していくような変化が毎日あります。点滴だった栄養も、自分の口から摂れるようになり、毎日の変化が嬉しくてたまりませんでした。

水を飲めるようになること、おかゆを食べたこと、排せつを自分の意志で出来るようになること。この今まで当たり前だった人間の活動がすごく輝いて見えるから不思議です。人間は贅沢なんです。普段の生活の一つ一つが、できない人間から見ると羨ましく憧れます。けれど、当たり前になると見なくなってしまいます。

妻と仕事と自分


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社会復帰などということは考えれませんでしたが、今ある製品を少しでもお金に換えるしかありません。震える指で指示を書いています。

得意先の会社から人員を割いて出荷作業など手伝いに来てくれていましたので、少しずつでも製品を売ることができました。            ((株)星野商店さん本当に助かりました。)けれど、自分の体と内容を見て廃業するしかないと毎日思っていました。

けれど一番、精神的にも肉体的にも辛かったのは妻だと思います。

突然夫の一ヶ月生存率が5%以下だと告げられ、生きていても植物人間になると言われたのですから、どのような心境だったのでしょうか?

日々の家事に追われ、お客さんからの連絡、従業員への指示、支払い返済業務。周りの人に助けてもらったといえ、ほとんど寝てなかったのだと思います。誰にも弱音を吐けずただただ踏ん張るしかなかったことでしょう。

夫婦というものはどこか不思議な関係です。生まれた場所も育った環境も全く違う人間が家族になるのですから。妻にとって私はいい夫ではありません。けれど結婚して15年も経つと悪い部分も含めて夫婦です。         (妻には未だに怖くて当時のことは聞けません。)

⑦へ続く

生存率5%以下の大病を経験した話①
生存率5%以下の大病を経験した話②
生存率5%以下 の大病を経験した話③
生存率5%以下の大病を経験した話④
生存率5%以下の大病を経験した話⑤
生存率5%以下の大病を経験した話⑦
生存率5%以下の大病を経験した話⑧
生存率5%以下の大病を経験した話⑨
生存率5%以下の大病を経験した話⑩

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