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理解されたい>理解しよう

「理解されたい愛」

というのがあると思ってまして
人は自分のことを『理解してもらえた』
と感じた時に少なからず愛を感じ、
また、愛する相手には『理解してもらいたい』
という欲求が思ってもみないほどに強く現れたりします。
同時に愛する相手のことは『理解したい』
と思うのも人間の常でして、
とはいったもののこの

『理解されたい』
という欲求と
『理解したい』
という欲求のバランスは

必ずしも一致しないというのが難しいところであります。

かくいう私も相互理解を目指したようで
話し合いをしているつもりで結局のところ
私ばかりが理解されたがっていたのだ
ということに気がつくことがありました。

そんなときに、こんな記事を発見して目から鱗だったんです。

筆者様は共存を目指す
ということを書いてくださってますし
私も大いに賛成ですが、
極端にとられそうだなと危惧するのは
『無関心』です。

相手のことは分からない
そもそも理解しきれないことなのだから、そのように割りきる。
となると、極端に取りすぎることがあったりします。その末が無関心です。

とはいえ人間はさみしがり屋が多いですからね、

理解はしないけど理解をしてほしい

なんて矛盾を含む、相手の立場を想像しない事態があらわれたりするので気を付けたいところです。

そんなときにおすすめなのが
理解できない!
とぶったぎって終わりではなく、

簡単に理解することはできないし、理解しきることはない、そして理解しなくてもよいかもしれないが、それは諦めではなくあくまで目の前にいる人との関係性は十人十色であり、理屈で片付かない。
つまり今すぐには解決できないのだ。

と、解決しないモヤモヤを心のなかに漂わせておくこと。

これはネガティブケイパビリティという本で読み、影響されています。

難しいです。
すぐに分からないし、すぐに積み上げられない。
積み上げたと思ってもどちらかが耳を貸していない状態だと簡単に関係性は壊れたりする。→私はこれで失敗しました。

疑っていこうと思います。
自分自身を。
そして分かりきらない宇宙みたいなあなたを大事に眺めて付き合っていきたいと願います。
理解してほしいと自分の欲求をぶつけるばかりでなく。

追記:Twitterって相手の顔みれないじゃない?
だからその人への理解をすっ飛ばして自分の言葉を理解しろよ!ってグリグリする人すごく多くって、うんざりです。共存を目指すためにはどうしたらいいんだろうね。

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