パンはしあわせの味がする
パンが好きだ。
町の小さなパン屋さんなんか、もう本当に大好き。
パン屋さんの佇まいも好きだし、パンそのものも、もちろんだ。
ひとつひとつが少しずつ、お店の奥で焼かれては、出てくる。
「焼きたて!」とかいうポップをつけてもらって、誇らしげ。
熱々バゲットが、パチパチ鳴ってたりして。
ひとつひとつに、そのお店らしい個性があるし、存在がそもそもかわいらしい。
もちろん、おいしいのはとても重要。
トレーにのせてレジに行ったら、
「あっ、このパン新商品なんですけど、フランスパンの生地で作ってあって。
すごくおいしいんです!おすすめです!」
なんて言われた日には、あなた。
パンもレジのスタッフさんも、かわいくてかわいくて、にやけてしまう。
低糖質じゃないとか、グルテンがどうのとか、パンは食事じゃないとか。
炭水化物に油の組み合わせが人間には必要だから、脳が快を感じるんだとか。
まあ、色々なご意見はあるかもしれない。
でも、パンを食べたときの
「あ~おいしい…しあわせ」
というあの感覚は、細かい理屈をまったく却下する。
パンは、人をしあわせにするよね。
すくなくとも、わたしはしあわせになれる。
柔らかくても、固くても。甘くても、塩気があってもだ。
そしてたぶん、パンを丁寧に作り続けている人たちこそが、
パンは人をしあわせにする。
そう固く信じているんだと思う。
その思いを受け取れるから、しあわせ度が高いんじゃないかな。
この、パンを愛してやまない人たちが作ったパンを食べた経験が、いろんなパンをもっと食べてみたいと思わせるんだろうな。
だから、量産品の袋入りパンも、大いなる期待をして食べている。
とはいえ、なんだろう、満足感とか幸福度は少し違うかも。
工場量産型パンも悪くないし好きだ。
いろんな思いを込めて開発して、商品化されたのに違いはない。
ただ、パンを届けたいと切に願って作った最初の人と自分とが、だいぶ離れているからかな。
情熱が届きにくいのかも。
このしあわせ受け取りセンサーが何に対して敏感かは、人によってまちまちだ。
ある人はパンだし、ある人はおむすびだし、ある人は畑の野菜だったり、するんだと思う。
作り手の、これをぜひともお客さんに届けたいという強い思いは、誰かに必ず伝わる。
誰も彼も、というわけではない。センサーが違うから。
でもピッタリくる人は必ずいて、それにはまっていくんだろうね。
わたしもいずれ、何かの理由で食事制限が必要な体になるかもしれない。
それまでは、心こめて作られたパンを、おいしくいただき続けよう。
でもたまに、ひとつが大きすぎて食べ過ぎちゃうのね。
願わくば、全国の愛のあるパン屋さん。
サイズは小さめでお願いします。
溢れる愛は、パンが小さくても受け止めますので。
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