見出し画像

相談者の愚痴が止まらない?だったらココ!

あと、数日で今年も終わり。
と、いうこの日に年賀状を書いています。

ちなみに、私はこの年賀状の習慣、嫌いじゃないです。好きな方です。
一人一人思い出して、何しているかな? 懐かしいな、と思いを馳せるこの時間、貴重。

たまに聞くのが「年賀状めんどくさい!」とか「年賀状嫌だ」といった声。

だったら、嫌ならやめればいいじゃない?!
そんなお葉書、もらったほうも……なんだか、ねぇ……。

と、思ってしまいます。

年賀状を出すことは義務ではないわけですから、自分の意志で選んだらいいのに。

さて、これは年賀状のお話ですが、私たちの生活の中でこの「義務」や「やらされ感」でやっていることってまぁまぁあります。

実際本当に義務なのか、やらねばならないのかというのは、はなはだ疑問で、その義務が辛いのは、「本当はやりたくないのに、仕方なく」という感覚

平たく言うと、「やらされている」と思うから辛いのです。

理想は、生活の中のすべてを「やらされている」ことをなくすこと。
やらされている感覚でやっていることを、「私が決めてやっている」にすること。

さて、この年賀状話が一体タイトルとどんな関係があるか?

つなげていきましょう。

この「私が決めてる」という感覚、いわゆる物事に対して、主体的に責任をもって取り組む態度を「アカウンタビリティ」といいます。

その反対は、「ヴィクティム」被害者意識が強い態度。

もちろん、ヴィクティムな態度では物事がうまく進まないですし、何よりその意識は本人が辛い。

ですから個別相談場面で、相手が「ヴィクティム」であることに気づいたなら、「アカウンタビリティ」を高めるということを視野に入れた関りをする、という戦略を立てる必要があります。

アカウンタビリティという視点がないと、相手を無理やりポジティブにさせるような言葉がけをして相手との信頼関係を崩したり、相手がいつまでーも愚痴を言い続けるという進展のない展開になったりします。

年賀状ひとつですが、どんな態度で取り組むかで、有意義なものにもなるし、時間の浪費になったりする。

同じ行為なのに、ね。

もちろん、自覚的に「愚痴」っているのならいいのです。

ですが、無意識なら大問題。
小さなことですが、それが、意思決定にも大きな影響を与えます。
働き方も、人間関係にも。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?