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我がコーチングスタンスをエモく(?)言わばこうなる。

①生き方自体をコーチングの一環にする

コーチ自身の私が敢えて、チャレンジングな人生を送ろうと思っています。その経験で学ぶこと全て、クライアントに提供できるリソースになります。また、コーチのあり方にクライアントが自然と触発され、高尚たる”自分ど真ん中”を歩みだす契機となるのです。

だから極端な話、私のチャレンジが成功するかどうかには(さほど)関心はありません。「自分のど真ん中で、人に与え、困難を克服する」。このあり方が、クライアントに伝えられる資産になることが大事なのです。

②クライアントを触発し巻き込むこともコーチング

長期に渡り関係の続くクライアントとは、望むあり方が一致しているものです。私と私のクライアントに共通するビジョンは、人を根源的な自由に誘うという点。だから、コーチが目論んでいる取り組みに巻き込むことが、クライアントの人生を推進させる契機になり得ます。

もちろん、コーチングはクライアントが自ら選択した道を歩むからこそ価値があるもの。だからこちらから何かの取り組みに巻き込むことはしません。

私はただ、クライアントが響く文脈、すなわち人を根源的な自由に誘うを用意し、クライアントがそこからインスピレーションを得ることができる種まきを行うのです。

③一瞬の隙あらば場外コーチングを敢行

コーチングはコーチングセッションの時間帯だけではないと思っています。SNSでクライアントに言及したり、ちょっとしたやりとりを行う刹那にも、クライアントを勇気づけることはできます。

私にとってコーチングは趣味でありライフワーク。セッションという場に規定されず、いつでもどこでもクライアントを勇気づける瞬間を伺っています。

④脳裏に浮かんだ洞察は空気読まず全部言う

根拠や理由はわかりませんが、虚心坦懐に傾聴するセッション中で私の脳裏に去来するアイデアは、クライアントに決定的な気づきをもたらすことがかなりの頻度であります。

私はこのように直観に信頼を置いていますから、クライアントには躊躇なくそれを伝えます。話の流れを遮ろうが、それがクライアントの心にナイフの如く突き刺さる可能性のある言葉であろうが、です。

自らのコーチとしての保身に全く関心がないから、それができる。クライアントとの関係がどうなるかに関わらず、リソースになり得るものはすべて出すという態度は、クライアントにとって価値あるものになっていると思います。

⑤救わないし、見捨てもしない。常にニュートラル

これは誤解を生みかねない表現ですが、私はコーチとしてクライアントのことを助けたいとは思っていません。ましてや、救ってあげたいという気など全然ありません。一方で、助けたくないとも思っていません。常に、私の態度はニュートラルです。

これは私が非情であるということを示していません(本質的には人に興味はないかもしれませんが)。「助けたい」とか「救いたい」という気持ちは、コーチ側の「力み」を惹起します。端的にそれが、クライアントの内省にとって邪魔なのです。クライアントの自己解決能力を涵養するのにも全く役に立ちません

以下の図にあるように、膨大な数の人間の長年にわたるウェルビーイングを調査したハイデルベルク研究は、人間の幸福感を高めるのは本人の高い自律性だと結論付けました。

図1

私は、コーチの役割は、クライアント本人が高い自律性を涵養するための場を提供し、洞察の共同創造者なることだと思っています。それ以上でもそれ以下でもないコーチの絶妙なバランス感覚が、クライアントのためになるのです。

以上をまとめますと、

①生き方自体をコーチングの一環にする

②クライアントを触発し巻き込むこともコーチング

③一瞬の隙あらば場外コーチングを敢行

④脳裏に浮かんだ洞察は空気読まず全部言う

⑤救わないし、見捨てもしない。常にニュートラル

となります。

図2


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