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広告に携わる全ての人へ、どうか、「炎上するからやめておこう」と思わないでほしい。

炎上に関して新たに書くことは、できる限りしたくないと思っていました。関わった人たちだって十分に悩み考えているだろうし、少なくともそのカサブタをはがすような行為はしたくないと考えています。

ただ最近の「カネボウ」と「ロリエ」の流れをみて、どうしても書いておきたいことがでてきてしまいました。それはタイトルの通りなのですが「炎上するから」というような理由で、企業やブランドがメッセージを発信することをやめてしまうのではないか、という懸念が大きくなったからです。

まずこの「カネボウ」と「ロリエ」の広告がとても残念だと思ったのは、「本当に伝えたかったこと」とまったく別の印象と解釈を与えてしまう広告になっていたという点です。どちらもプロジェクトや思想そのものは、とてもすばらしいものだったと今も思います。

カネボウは、第一弾から観てもらえればわかると思うのですが、「それぞれの個の化粧の自由」やその価値を追求するものでした。「何のために化粧する?」というコピーから、その意味を紐解き、様々な性年齢と国籍の人々が表現されています。何より映像が強く、美しく、素晴らしかった。

そこに対して、「生きるために、化粧する」というコピーで締めているのですが、これは「化粧を押し付ける社会圧力」の存在を考慮していないコピーと思われてしまったのだと思います。

ビジネスだけを見ても、女性が化粧を押し付けられていることは明白です。面接にすっぴんで行くことは許されず「化粧くらいしたら」という風潮は少なからずあります。つまり、女性には「生きるために、”仕方なく”化粧をする」シーンが存在している。言うまでもありませんが、男性にはそれはありません。つまり「化粧が呪いになっている」という女性たちや意識の存在を考える必要があったように思います。

ロリエの「生理は個性だ」に関しては、「生理というのはひとそれぞれ違うものだ。痛みや重さや長さも違う。だからそれぞれの人と向き合い、押し付けたりしないようにしようよ」ということを伝えようとしていたはずでした。さらにそれらを「もっとオープンに話せる社会にしよう」ということだって間違いじゃなかっただろうと思います。

問題は、「生理はひとそれぞれ違う=個性」としたときの、「個性」という「言葉選び」が間違っていたというところにつきます。多くの人が指摘したように、それは「個人差」であり、「個性」ではありません。普通、個性という言葉は「人の特性」のポジティブな面を表現するときに使われます。個性は「みんな違ってみんないい」というような使われ方をするもので、時に「まあ個性だからね」という、ある種の諦めにも使われます。しかしもちろん、生理はそんなふうに「まあ個性だから」で片付けられるようなものではありません。

どちらのプロジェクトも素晴らしい試みだったと思うのですが、その表現の仕方にズレがあってしまった。それはもちろん、作り手が考えるべき責任であったことは確かです。

広告の仕事をアップデートする

広告表現に携わる人は、社会文脈/課題にもっと強く興味を持つべきだ

文字にしてみて気持ちが悪くなりました。当たり前すぎることを書いているです。「シェフを目指すのであれば食材のことをよく知りましょう」みたいなことです。全ての広告に携わる人間は、俗にいう「リベラルアーツ」に強い関心がなければいけない。フェミニズムやルッキズム、人種差別や貧困問題…、あらゆる社会課題や文脈への興味関心が不可欠です。

ただ、少し前までその「社会文脈」はもっと大きく、緩やかなものだったのだと思います。ある程度、大きな文脈さえ捉えていればよかった。しかし、SNSの浸透のおかげで、その文脈は多様化され、細分化され、激流となってしまった。

今まで大流の中に埋もれていた、小さな声が届くようになった。それはとても健全なことです。「炎上ばかりして世知辛い世の中になったもんだ」「つまらなくなった」という人を見かけますが、それは古くなったOSのアップデートをする必要があるように思います。社会は間違いなく進んでいるし、そこに合わせられないのであれば、退場するほかありません。

同時に、それぞれの激流となった文脈は、その上を走れる船を求めています。まだマイノリティである「声」に耳を澄ませてくれる人や組織を求めています。その声を代弁することができたなら、その文脈はもっと遠くまでメッセージを運んでくれるはず。

この時代、コピーライターやブランドメッセージをつくる仕事において、「代弁」という言葉は、とても重要なキーワードです。まだ埋もれている声に耳を澄まし、拾い上げ、拡声すること。それを僕は「ブランドジャーナリズム」と呼んでいます。

社会に流れる多様で力強い文脈に興味を持ち、理解するよう努力をし、寄り添えるかどうか、という姿勢はより一層重要になっています。

最後に。どうか挑戦を諦めないでほしい。

昨今の炎上を受けて「ほら炎上するじゃないか」「やめておいた方が身のためだ」「余計なことはせずに販促広告だけやっていればいいじゃないか」そんな声が、いろんなところから聞こえてくる気がしています。

でもどうか、広告やブランドに携わる人たちは、恐れないでほしい。いや、違いました。究極に恐れ慄きつつ、挑戦してほしいと思います。

社会にはびこる悪しき伝統を、怠惰な慣習や風習を、理不尽で不合理な不条理を一蹴して、社会を前に進め、よりよい未来をつくることを、どうか諦めないでほしい。

広告にそこまで求めるのか、という人もいると思うけれど、僕が言いたいのは「広告はそういうこともできる仕事である」ということです。それが「パーパス(=意味や意義)」というものであり、この仕事はそれを追求することができる仕事のはずです。

だとしたら僕はそういう仕事をしたいし、この仕事をよりよい未来に加担する仕事にしていきたい。企業やプロダクトやサービスや人が、あらゆる物事が、この社会の中に存在することの「意味」を追求し発信していきたい。

だから僕はカネボウやロリエのアクションと勇気を、心から応援したいと思うし、どうかその「根っこにあったはずの試み」は諦めずに続けてほしいと思うのです。

あらゆるブランドコミュニケーションの作り手は思考をアップデートし、学び、経験を積んでいくことが必要な時代です。決して簡単な仕事ではないけれど、だからこそやりがいのある仕事だと思うのです。

僕もまだまだですが、そこに挑戦していきたいと思います。ブランドを作る側もそれをサポートするクリエイターも、どうかそういう仲間が増えたらいいな思います。切実に。

広告においても、それ以外においても、
「意味ある仕事」が、この世界に一つでも増えていきますように。

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文鳥社とカラスという会社(通称バードグループ)の代表とエードットの役員をやっています。企画、デザイン、会社経営のことなどについて書いていければと思います。

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