理屈馬鹿の墓参りの話

お盆ってのは多くの日本人にとって特別な日です。

先祖の魂をお迎えたり
ふるさとに顔を見せに戻ったり
確実な家族旅行が出来るチャンスだったり
家族連れの客ばっかでクソ忙しかったり
帰りの渋滞で殺意を覚えたり
エアコン効いた部屋で体育座りをしたり

僕は仕事がサービス業なので、いつも通りのシフト制で運が良ければお盆中か付近に休みが一つあるかな?…といった感じ。

今年は今日、16日に休みがあったので行って来ました。

お墓参りに。

信仰心は無いし、魂なるものの存在も信じていませんが、小さい頃から必ず連れて行かれた習慣と、かしこまって先祖に敬意を払う日が年に1日位あっても良いだろうという気持ちだからです。

ただ、ちょっと遠い…

僕の家と実家は栃木県南部です。
墓は二ヶ所あり、
一つは隣接する茨城県結城市にある弟の墓。
もう一つは千葉県松戸の八柱霊園にある祖父母の墓でこちらは片道60㎞程。

なんでも、埼玉で自動車部品工場を経営していたおじいちゃんが健在の時、羽振りの良い時代があり調子に乗って縁も所縁もない松戸に「デカイ霊園」というだけで土地を買ってしまったかららしい。

やれやれだぜ…

とはいえ、車で二時間弱で辿り着ける距離ではあるので行かない訳にはいかない。毎年ご先祖様への忠誠心を試されてる気分だ。


13日(迎え盆)に一足先に墓参りを済ませた母に16日に行って来ると伝えると、

「送り盆(正確には1日過ぎている)だから、まず仏壇のある実家に寄ってから近くの◯◯(弟の名)の墓に行って欲しい。おじいちゃん達のお見送りは弟に頼むから、松戸の墓には行かなくても良いよ。」との事。

最初に言ったように、僕は「魂」なんてものは無いと思っている。だから迎えだとか送りだとか言われても知ったこっちゃねぇ!なのだけれども、そういう「概念」は尊重しなくてはとも思うので渋々実家にも寄る事に承諾しました。

ただ、うちの母は信仰心が強い癖に「弟についでにおじいちゃん達の見送りを頼むから祖父母の墓には行かなくて良い」的な事は言う。

息子に対して「お前も忙しい中大変だから…」という気持ちはあるにせよ、その辺りのルールは適当で良いのか?
母の基準が分からない…

僕は僕で「墓参りをする」のは先祖への敬意が理由なので、片方だけで済ます訳には行かない。魂なんて存在しないから、きちんと「遺骨」に会いに行くべきだ。

なるほど…

うちの母は信仰心がある故に、
魂を信じているが故に、
弟に「おじいちゃん達をヨロシク」
というようなウェットな発想が出来るのだろう。

対して僕は
魂は存在せず、現実には遺骨があるだけとドライに思っているから、敬意を示すのなら遺骨の居場所=墓だろう
という発想になるのだ。

信仰心がある方が儀式や様式を大切にするのだが、それらを「すっとばせる」のもまた信仰心があるが故。
逆に理屈重視で生きてる僕は、理屈武装で身動きが取れなくなるという…

こんな事もあるんだなぁと、幸い、道中は長い。運転しながら考える時間はたーっぷりあったのでした…

これも、おじいちゃんが調子に乗ってくれたおかげです。

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