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【コーミンで働くひとインタビュー④】地域包括支援センターのケアマネジャー

―――やなぎさんは主任介護支援専門員をご担当されていますが、これはどんなお仕事でしょうか?

ややこしいでしょ(笑)。介護支援専門員というのは、通称でケアマネジャーと呼ばれている仕事です。

―――あ、ケアマネさんですね。それはよく聞きます。

2000年(平成12年)に介護保険制度が始まるにあたって誕生した資格で、都道府県知事が任命します。それ以前は市役所の窓口が市民のみなさまからのご相談を受けて「じゃあこんなサービス受けませんか?」とお応えしてたんですが、介護保険制度ができて介護支援専門員(ケアマネジャー)がご相談を受けて介護を必要とする方が介護保険サービスを受けられるように、ケアプラン(サービス計画書)の作成やサービス事業者との調整を行うようになったんです。

その後、個々のケアマネジャーの知識やスキルの水準にバラつきがあるという問題があきらかになり、「助言や指導ができるケアマネジャーが必要」ということで2006年(平成18年)に“主任介護支援専門員”の資格が設立されたんです。

地域包括支援センターには、保健師(もしくは経験のある看護師)、社会福祉士、主任介護支援専門員の3職種が常駐することになってます。この3職種が連携して地域のお困りごとに対応しているんです。

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―――なるほど。ちなみに主任介護支援専門員になられたきっかけは?

とても私事で恐縮なんですが、じつは私の子どもが障がい児だったんです。それまでごくごく何も知らずに平凡に生きてきて、そういうこととは無縁だったので、たちまち「我が子をどう育てていったらいいか」わからなくなりまして。「どう人と関わって、どうやって生きる道筋を照らしていってあげればいいか」が本当にわからなくて。結構パニック状態になってしまったんです。

最初は障がい児であることもわからず、なんか他の子と違う、なんか育てにくいな、と感じてまわりに相談しても「いろんな子がいるからそのうち大丈夫になるから」っていう気休めの言葉ばっかりで、「こういう場合はこうしたらいい」と具体的に教えてくえる人がいなかったんです。実際に支援に結びつくような助言に至るまでに、すごい時間と労力がかかったんです。

―――情報も世間の理解も、少なかったんですね。

そんな状況のなかで、たくさんの人に助けてもらって、どんどんどんどん縁がなかったら知らなかったようなことも知るようになって。あぁ、“知っていることの強さ”って大事やな。こういう情報をもっと誰もが知っていけたら道が開けるのにな…って思うようになって。実際、同じ状況で暗中模索されてるお母さんたちがたくさんおられたので。

―――“知っていることの強さ”。とても大切なキーワードですね、いろいろな人にとって。

はい。自分が知ったことを他の方にも、という思いでNPOなどを手伝ってたんですけど、「息子さんのためにもこれからも新しい知識を得るために、そういうところで働いてみたらどう?」って言っていただいて。それで働きはじめたのが、たまたま高齢者福祉施設だったんです。

障がい者福祉とは別の道だったんですが、それまでは、息子のために頑張っていても誰かに感謝されたり褒められたりということがあんまりなくて、むしろ「育て方に問題があったからや」みたいに否定されることのほうが多かったんですが、素人ながら高齢者福祉施設で働きはじめたら、利用者さんから「ありがとう」とか「あんたの顔が見たくて今日は来たんや」とか「お風呂はあんたに入れてもらいたいねん」って、実生活では得られない“こころの癒し”をもらえるようになって。贅沢なことに、お金をもらいながら癒しももらえるっていう。それでハマっちゃった感じです(笑)。

で、ゆくゆくは介護福祉士の資格とりたい、いつかはケアマネもとりたい、という人生の目標までもらって。ケアマネ資格がとれたのが12年前ですね。で、3年前に包括の3職種の仲間に入りたいと思って、主任ケアマネ(主任介護支援専門員)になりました。

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―――日頃の業務は、どんなことを?

ご本人やご家族からの相談を聞いて、「介護保険サービス・介護予防サービスを受けてもらったほうがいいね」となったら、具体的なケアプランを作成してくれるケアマネにおつなぎして、その後もプランどおり順調かな?お困りごとないかな?というサポートをさせてもらっています。まだまだ大東市のやり方を先輩の主任介護支援専門員さんから教えてもらいながらですが。現在の大東市地域包括支援センターの体制ができたのが1年半前の2019年4月なので、すごくフレッシュな体制なんです。みんなで試行錯誤しながら前向きにがんばってます。

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―――このお仕事のやりがいは何でしょうか?

関りが進んでいって、利用者さんが生活を楽しんでくれるようになっていったり、生きる目標をはっきりもって生活できるようになっていったりすると、大変やりがいがありますね。

―――関係性が長く続くことも多いんですか。

例えば、総合相談で節目ごとにお会いできる場合もありますし、相談を受けていた方の連れ合いの方の相談も任せていただいたり、ご家族のなかに障がいのある方がいらっしゃって、その相談とか。色々とご縁がつながって長くなっていく場合もありますね。

―――みなさん心強いでしょうね。

ご本人もご家族も初めてのことで知らないことが多いので、最初にお話しした“知っていることの強さ”ではないですけど、ご相談に応じて私たちが持っている知識をご提供して、それが実現されるまで、できるかぎりサポートさせていただいてます。

―――地域包括支援センターで働かれて、前職も含めると10年ぐらいということなんですが、特に印象に残っているご相談は?

包括でいちばん最初に担当させてもらった利用者さんがまだ40代の方だったんですが、末期がんの方で。でも、最後の最後まで自分で自分の人生をプランニングされている方でした。「家族に迷惑をかけないようにホスピスに入って最後を迎えたい」と決断されて、それでホスピスに「空き」が出るのをホスピスがある病院の近くに部屋を借りて待つ、という状況のときに包括に支援を求めて連絡をいただきました。ホスピスに入られるまでの短い期間でしたが濃いお付き合いさせていただいて、すごく印象に残ってますね。

その方は学校の先生をされてた女性で、残された時間のなかで「こういうことをしたいから、これとこれを手伝ってほしい」って、すごく明確に計画を立てておられてて。あと半年の命、と宣告されたときに、「はたして自分はこんな強い生き方ができるだろうか?」と思ったりもして。とても影響を受けました。

ホスピスの入院が決まって彼女から電話をいただきました「入院日、付き添います」と申し出たのですが「家族が来てくれるから」と断られて「じゃあ、面会に行きます」と伝えたんです。でも、ホスピスに連絡すると「ご本人が家族以外とは会いたくない」と言っていますと断られたんです。ホスピスの入院が決まってサービスが終了となったので、私はそれ以降関わることができなかったんですが、半年後、ホスピス病棟の関係者から彼女が亡くなったことと、入院中の様子を教えてもらいました。

入院後、日増しに体調が悪くなり、頻繁に家族に来てもらったり、死への不安や恐怖で夜間泣き叫んだりされていて、若いからこそかなり辛そうな半年だったと。それを聞いて「私は彼女の何を見ていたんだろう…」表向きの決意の裏にある不安や恐怖に気づくことができなかったんです。病身で初めての一人暮らし、気を張っていたことと思います。彼女はホスピスに入院してから、素の自分をさらけ出すことができたんです。未熟な私が対応した初めてのケースで、今でも思い返す時があります。

―――介護保険サービスは65歳以上の高齢者の方のものというイメージが強いですが、がんなどの特定疾患の方は40歳以上でも受けられるんですね。知りませんでした。

知らないことって、ほんとうに「恐怖」なんですよね。ご相談にこられる方はみんな恐怖で表情がこわばってます。それを、私たちが持ってる知識やノウハウでひとつひとつやわらげていくと、表情がみるみる変わっていくんですよ。「あぁ、なんとかやっていけそうやな」って表情になられるのを見られるのは、とても贅沢でやりがいがあります。

包括職員集合写真

―――お話をお聞きしていて、とてもコミュニケーション力が必要なお仕事なんだと感じました。

はい。そう言うと、私がコミュニケーションがすごく上手いと思われてしまいそうですが(笑)。

―――いえいえ。やなぎさんとお話していると、とても心が落ち着きます。

コミュニケーションが上手くないからこそ、気を付けたいといつも思っています。「何を不安に思ってはるのか」ということを察知できるように。今、このコロナ禍の状況で、対面でもマスクでお顔が半分見えなくて、利用者さんのちょっとした表情の変化を見逃してしまうことがないように「この会話の流れでいいのか、軌道修正しないといけないのか」を考えながら常に接していくことを心がけています。

―――初対面で遠慮してしまう方もいらっしゃるのでは?

そうなんです。初めて会って話した時と、何回か話した後とでは、やっぱり全然違いますね。

―――ほんとうに十人十色、人それぞれ。決まりきったメニューがあるわけじゃない大変なお仕事ですね。

そうですね。例えば、同じ性別、同じ年齢、同じ地域の方が、同じ内容の相談に来られても、求めていることが違うと、こちらからの提案も違ってきます。一律に決まった万能な地図の様なものはないですからね。ご利用者さんが、これからどう過ごしていきたいのか、ご自身で目標を見つけ、ご自身の人生の地図を描いていただけるように、私達はサポートさせていただいています。不安や恐怖という暗い世界に、情報と言う灯りをともすことのできる、とてもやりがいのある仕事なんですよ。

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インタビュー④おわり/インタビュー⑤につづく

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