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第1回THE NEW COOL NOTER 賞 ~ 受賞作振り返り【事務局長賞】

第1回の楽しい思い出を振り返りたいと思います。
すでに第2回の応募数は前回を越えましたが、第1回のチャレンジが皆様のおかげで大成功に終わったので、それがこうして第2回に受け継がれているのだと思います。

noteの私設賞では、エントリ作品数も最大級の私設賞となりました。

第1回を支えてくれた応募者の皆様に感謝しながら、あのイベントを涙拭きつつ(/_;)
振り返ってみたいと思います。

こちらから第1回みこちゃんコンテストのすべての作品をすべてお読みいただくことができます。

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【事務局長賞】の結果を発表させていただきます。

応募いただいた作品は以下のとおりです。

事務局長賞受賞作 ~ 岩下 尚義さん

一奥もまた男子校でしたので、岩下さんのおっしゃる「言えないこと」のニュアンスがわかります。
同性ばかりの社会の中で、ある意味では競争も激しく、しかしまたある意味では、多感な、非常に心の混沌を迎える一つの時期に、異性の眼を気にすることなく馬鹿なことをしあえる。

この「馬鹿なこと」の中で、深くわかりあえたりする。
これは、男子校や女子校の出身者でなければわからない感覚なのかもしれません。(その意味では、一奥は「共学」の感覚がわかりませんが苦笑)

そんな「馬鹿なこと」で、当時もそれなりにわかりあえたと思って、社会に出て、職を得て、禄を食んでいた。

その中で、かつてのその「馬鹿なこと」の裏にあったものを知る。

時空を越えた邂逅が、一つあったものと感じ入ります。
それは決して、かつての自分が無理解であったとか、そういうことを意味しません。みこちゃんによる下読みの講評の言葉を借りれば、

「ツッコミどころ満載」
翻訳しますと、誠実さ満載。

ということでしょう。

「相手のことを思って」というのは、相手のことを知らない場合であっても知っている場合であっても、ひどく傷つけてしまう場合もまたあるかもしれない、そんな難しさもまたある。
その難しさを共有して、適切に距離感をはかることもありましょう。

然れど、
なぐり書きは、ぶっきらぼうさや適当さを表さない。
走り書きは、自己中心性だとかいい加減さを表すものではない。

それができる関係に至った。
「あ」と言えば「うん」と言い、「ツー」と言えば「カー」と応えられるような、そんな関係になっているからこそ、ごく自然に伝わっているものがある。

そこには、今とカコと、それをつなぐ時間、そしてその時空間を跳躍して今に至るということに馳せる想いが自分の中に凝縮されていることへの強烈な実感が、ありありと、いきいきと、まるで昨日のことを思い出すかのように、まさしく万感として込められている。

そんなことを感じました。

事務局長賞とさせていただきます。
このたびは、THE NEW COOL NOTER 賞へご参加いただき、まことにありがとうございました。


2位ノミネート ~ ふわりさん
(みこちゃん奨励賞対象作品)

駆け抜ける軽やかな風。
その風を、まさに名は体を表すがごとく、

ふわり、と

風をまといながら軽やかに駆け去っていく。

失恋は悲しいものであり、人によっては鎮痛なものとなる。
しかし、この物語では、

涙は追いつけない。

またがっていた風は、軽やかそうに見えて、本当は北風のような荒々しい、旅人の風だったのかもしれない。
しかし、乗ってたわむれて、びゅうと飛び去っていく姿の、なんと輝いていることか。

残された涙の軌跡を、太陽がきらきらと照らす。
北風と太陽のいさかいでさえ、この軽やかさの前では、意味をなさない。

このたびは、THE NEW COOL NOTER 賞へご参加いただき、まことにありがとうございました。


3位ノミネート ~ Clair de Lune(月の光)さん
(みこちゃん奨励賞対象作品)

スキなものを続けること。
たとえ苦しい時期があっても、向き合い続けることで、それは趣味から一つの道となるものなのかもしれません。

生活がそれに支配されるのではなく、それをすることが生活となる。
日々の営みとしてのピアノが、Clair de Luneさんの営みとなっている。

継続は力なり、とは羽生名人と公文式で有名な言葉ですが、
まるで身体の一部のように、延長したように、それが自分自身そのものとなっていくものと気づきます。

一体だからこそ、不調になったときは身体全体がしんどいと感じるように、つらく感じる時もあるのでしょう。

それでも、やめないで続けること。
やめずに続けてよかったと思えるようになること。

noteという場所もそれに似ているのかもしれません。
Clair de Luneさんの記事から、そんな大切なことを感じ取りました。

それぞれが、それぞれにとっての一番スキなことを続けている。
記事にあらわして、お互いの縁が結び合う。香り合う。スキをつけあう。
そんなお祭りとなったのではないかと思います。

このたびは、THE NEW COOL NOTER 賞へご参加いただき、まことにありがとうございました。


4位ノミネート ~ アセアンそよかぜさん
(みこちゃん奨励賞対象作品)

かつては河川は現代以上に、物資の流通や、ヒトとモノと情報の交流において、都市学的にも重要な役割を占めていた。

人の心は、まるで川のようにつながっているものであると気づきます。

言葉が通じずとも、心が通じる。
峻厳な山々と、鬱蒼とした密林と、その合間を縫うようにたどる越南(越南)での河川行。

行きと帰りで半日、共有した時間は水のように溶け合う。
観光でありながら、観光でなく、旅でありながら旅ではない。
そして小説と写真の融合。
小説であって小説でなく、紀行であって紀行でない。

アセアンさんが、まるで越南の知らぬ小川の一線を、私達の心につないでくれたかのような、神妙な感動を覚えました。

このたびは、THE NEW COOL NOTER 賞へご参加いただき、まことにありがとうございました。


5位ノミネート ~ LVNさん
(みこちゃん奨励賞対象作品)

我が国では政治とは政(まつりごと)と表します。
それは「祀る」ことでもありますし、「祭り」そのものでもある。

すなわち祖先から連綿と続く、日々の営みの中での、生活そのもの。
もっと大きな言い方をすれば歴史そのもの。
我々は我々だけが縁もゆかりも無しに石から生まれたわけではなく、そうした脈々たる歴史の先端に立っている。

政治的なるものとは、だからすなわち、日常そのものを考えることそのものであると気づきます。
強大な権力を得たり振るったり振るわれたりすることだけが政治ではなく、それはむしろ政治の作用の一つに過ぎないのかもしれません。

ゆえに、哲と政は乖離しない。対立もしない。
日々を考える営みそのものという意味では、両輪とすら言える。

沈思黙考。
千思万考。

日々を、ちゃんと生きること。
そのことに誰よりも誠実であろうとすればこそ、受け継ぎ託され知らず立ってきた今あるものを、次の世代に受け渡していくことができるのであろう。

そんな思いを新たにさせられました。

このたびは、THE NEW COOL NOTER 賞へご参加いただき、まことにありがとうございました。


6位ノミネート ~ ケンちゃん
(みこちゃん奨励賞対象作品)

在りし日のにおいや、空気、音すらもがありありと蘇る魔法の言葉が、誰しも一つあるのかもしれません。

「バイビーム」

わかる人にしかわからないかもしれない。
でも、自分が一番わかっている。

その言葉にこめられた万感が、時間をもこえて、あの時にタイムスリップしたかのように自分を再構築してしまう。

ケンちゃんが、いつまでもその時の輝きを忘れないのは、そんな素敵な魔法の言葉をずっと大切に持ち続けているからであると気づきます。

その甘酸っぱさと切なさ、それすらもが尖った部分がセピア色に、然れどどこか鮮やかに、古いビデオフィルムを観るような懐かしい心地にさせてくれる、そんな不思議な思い出のノンフィクション。

このたびは、THE NEW COOL NOTER 賞へご参加いただき、まことにありがとうございました。

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第2回THE NEW COOL NOTER賞の応募期間は終了しました。
みなさま、たくさんの応募、ほんとうにありがとうございました。

引き続き、応募作品への講評と、授賞に向けた審査をお楽しみください。

よろしくお願いいたします。

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