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ここ最近わかった自分のこと 担当:スギノイチヲ1.0

来年で還暦である。
いくつになっても生きるのが下手すぎて笑ってしまう。
60歳近くになっても20代からなんにも変わらないんだなって感じる。

本はたくさん読んだつもりだが
いくら本を千冊読もうが馬鹿には勝てないこともよくわかった。
もうすぐこの世界ともお別れする時期がくるのかなと時々考えたりするが
まぁやっと楽になれるのでそれはそれで楽しみであったりする。
生きることに執着し過ぎると
脳や身体を冷凍保存して医療技術が進歩したときに
復活を目論んでいる輩がいると聞くが
はたしてその身体にその人の魂がちゃんと宿っているのかは
甚だ疑問である。
死ねる幸せということもあるのである。

今ある私の周りで起こる全ての現象や人や物
どんなに隅っこにあるものも
関わりがあったり私が見つけてしまった(見てしまった)ものは
全て自分のために存在していると感じるようになった。
何故なら私がこの世界からいなくなったら
私が見たこの世界の物語は一旦終わってしまうから。
あの人もあの有名人もあの出来事も
私の物語の中では単なる登場人物であり、用意された設定なのである。
自分が見て聞いて身体で感じた全ては
自分に何かを教えてくれるために登場し
出来事が起こっていることなんだと…
そう思うと随分と気持ちが楽になった。

自分と関わりのある人々を観察すれば自分のことがわかる。
私の周りはちょっと自己中心的でマイペースでなんとか生きていて
それでいて忙しそうで、小さいけれど幸せそうなので
自分もそうなんだろうと思うようにしている。
自分がいくら「私はこういう人間です」と言ったところで
周りの人が見た私がどうやら
本当の自分と考えたほうが良いのかなと思う。

普段は物わかりの良さそうな物腰で温厚さを装っているが
内面は欲望で渦巻いていたりする。
お金も欲しいし女の子もいっぱい抱いてみたいし
どうせならエロいこともいっぱいしてみたいし
愛されたいし、満たされたいし、認められたいと
無限に欲する気持ちは人一倍あるようだ。

そんなことを考えていた時
ふと自分が軽い過集中であるのではないのかと気づいたのは
最近のことである。
自分が楽しいと感じたことに
普段心の奥底に隠している欲望がひょっとして叶うのではないかと密かに思ったときに
過集中のスイッチが入り行動が止まらなくなるのである。
だが
終わり方はいつも同じで
結局は器の小ささなのか目の前の欲望に辿り着きそうになると
その壁を乗り越えることを自らが拒んで
何も手に入れることができず
疲れ果て虚しくなってしまうのである。

そんな私を見て
最近ある人から
「スギノさんは『人たらし』だから」と言われた。
そうか、私は人たらしなのかと…。
最高の褒め言葉だと思うのである。

【著者プロフィール】
スギノイチヲ1.0
自身の顔に絵の具、ガムテープなどの文房具で有名人の顔を模倣する「顔面模倣」で創作活動を開始。
エッセイは今回のしりとり手帖が初の発表となる。

#しりとり手帖

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