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「料理脳」を鍛えてみたら?

いよいよGWスタートですね。初日の今日は雨ですが、でも、お休み初日はなんかいつもと違うごはんにしたいなと考えたら、久しぶりにサンドイッチが作りたくなっちゃいました。

サンドイッチ本に料理脳が刺激されたぞ?

それで、昨年9月に出た若山曜子さんの『お弁当サンド』(KADOKAWA)を引っ張り出しまして、しみじみ眺めましたです(眺めたついでにInstagramFacebookページのCOOKBOOK LAB.も更新)。

本書はなんと今、Kindle Unlimitedに入っていますので、読み放題のチャンス。

この本は奇をてらった味や食材の組み合わせではなく、定番にほんのちょっとの味付け(ハーブやスパイスで変えてみるとか)や組み合わせの妙といった新しい提案があるのですが、全体として見ると、サンドイッチとしての定番が主になった印象の本です。

新しい提案と定番の組み合わせの、その塩梅がちょうど。
だから安心だしおいしそうに思えるんだと思います。

すると、私の料理脳はたちまち刺激されてですね、これにしようかな、こっちもいいな、あ、これも挑戦してみようかな…なんて感じで、作りたい欲が続々と湧き出してくるんです。

そう、料理って、ちょっとした筋肉が必要な作業だと思いませんか?

マルチタスクに耐えるための習慣のひとつ

よく「英語脳」って言いますよね。
日本語で考えるのではなく、最初っから英語で考えるみたいなこと。
「英語が堪能」って言われる人は、意識せずともシームレスに英語脳と日本語脳が切り替わるらしいですよね。
母国語としてではなく、あと付けで英語を学んだ人が英語で話したり読んだりする時は、どこかで意識的にスイッチを入れて、英語脳に切り替える作業が必要です(私はそれ)。
そうなるには、一定期間以上の訓練と暗記が必要で、本を読んだだけ、単語を暗記しただけでは決して身につかない。

ピアノなど楽器の演奏技術もそうですよね。
耳コピができるかどうかも、子どもの頃から接しているならともかく、ある程度成長してから音楽をやろうとしたら、まず楽譜の読み方から覚えなきゃいけないですが、楽譜を読めるようになっても、たぶんそう簡単には耳コピってできないはずです。

実は料理についても、そういう「脳」の育成が必要なんじゃないかと私は思っているんです。
みんなやっていることだし、毎日のことだからいつの間にかできるようになる気がしますが、いやいやそうは問屋がおろさない。

切るために手を動かす、次にやることの段取りを考える、火加減に注意を払う、味の調整をする…などなど、マルチタスクが求められる作業がてんこ盛りなのが料理です。
そんなこと、最初からやれる人がいたら天才すぎると思います。
少なくとも大人になってからやり始める人が大半なのだから、冷蔵庫にあるものを見ただけで、ぱぱっと献立が浮かぶ、なんてないですよねぇ。

それでも、「作る」「手を動かす」ことが好きって言えるタイプの人だったら、毎日の料理をしていくうちに、なんとなく料理脳が発達していくのが料理です。
作れば「おいしい食べ物」がご褒美になり、おいしい食べ物を囲む食卓は楽しい。
それが心理的報酬となり、続けていくうちにどんどん上手くもなるし、楽しくもなる。

料理嫌いに「やってみようよ」という提案はNG

ところが一方で、やればやるほど「面倒」で「うまくできなくて嫌」という負の感情が先にきちゃうタイプの人がいます。「料理が嫌い」っていう人はこっちのタイプ人なのかもしれません。
そういう人に、「とにかくやってみて」と言っちゃうのは問題外だし、「簡単」「手抜き」と言われて仕方がなくやってみるものの、好きにはなれないはず。
モラハラになっちゃうかも。

だったら、無理に好きになる必要はないんじゃない? 料理脳を育てるより他分野でその能力を生かしたほうがよくない?って思うのです。
コンビニもある、デリバリーもある、お金を払って誰かに作ってもらうという手もあるのですから。

ただなあ。
料理は嫌いだし、できることならしたくないけれど、せざるを得ない人がいちばん悲劇ですよね。
そういう人は、台所に立つだけで「怒ってる」。
なんで私が、と。

そんな人には、何も考えなくていいよ、これをフライパンに入れるだけだよ、便利なミールキットだよ、と差し出せばいいのかな。
Oisixがやって大成功しているようなやつ。
少なくとも、「料理脳の鍛え方」といった提案はいらない、よなあ。

…などと考えていたら、着地点が見えなくなりました。
今日はサンドイッチ作りながらこの先のことを考えてみようと思います。
この続きはメルマガ内で考えてみようかなと思います。


ありがとうございます。新しい本の購入に使わせていただきます。夢の本屋さんに向けてGO! GO!