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人間ごっこ

第一話 再会

トイレを血だらけにした。
立ち上がろうと、ひんやりとした壁に手をかけるも、ヌルリとすべり落ち、園児がクレヨンで書き殴った絵のように、真っ赤な線が、べっとりと白い壁に残った。
「ヒデさん、どうしたんすか?これ…」
静けさの中、聞き覚えのある声が反響した。
振り返ると真っ青な顔をした後輩が、そこには立っていた。
「知ってる?血って鉄の味がするんだぜ」
「いやっ、え?」
「知らん?ピンポンっ。ペェコ」
「そうじゃなくて、ヤバくないっすか」
大好きな漫画の主人公のペコの台詞を模倣するボクを無視して後輩は言った。
「救急車、呼びますか」
「いや、自分で呼ぶわ」
震える手で、ポケットからiPhoneを取り出す。
ロックを解除すると、溜まっているLINEの通知を無視して119番に通報した。

ミナミの歓楽街。
ネオンの光と人混みを掻き分けながら、血だらけの男を救急隊員が運び出す。
サイレンがBGM、クルクル廻るパトライトが、クラブのミラーボールかのように感じるほど街は賑わっていた。
「すいません、通ります」と吐く息は白い。
救急車は病院へと急いだ。

「小西さん、面会の方が来られましたよ」
ナースがサッと慣れた手つきでカーテンを開く。
頭上からの優しい声と窓からの激しい光で目を覚ます。
「こちらです」とだけ言い残してナースは部屋を去る。
「おめぇさ、何やってんだよマジで」
ドラマの登場人物のような話し方。
ボクが初めて仲良くなった関東人だ。

「おー、ヒロちゃん久しぶり」
意識がぼんやりとする中、親友に返事をした。
「久しぶりって年月じゃねーべ」
親友とは到底呼べないほどの年月、音信不通だった親友の廣瀬がそこにいた。
これがボクたちの10数年ぶりの再会だった。
「おめぇさ、携帯に連絡しても【現在使われておりません】とか言うからよ、ふざけんな!と思って実家に電話したら、お前の母ちゃんが、ヒデは今、入院中です。なんて言うもんだからスッ飛んできたんだよ」
恩をきせるように話す廣瀬はスッ飛んできたとは思えないほどに、アルマーニのスーツでビシッとめかし込んでいた。

「で、なになに喧嘩?」
「アホか、俺らいくつやと思ってんねん」
「それはテメェだよ」
食い気味にツッコミが入る。
喧嘩ではない。と説明するボク。
「ほんとかよ」と疑いの目を向ける廣瀬。
ボクは続けた「いやホンマにちゃうねんちゃうねん」
「チャウネンじゃねーよ」
独特のイントネーションで関西弁を真似る関東人。
関東人の使う関西弁はいつだって気持ち悪い。
          
          ※

2012年。ボクたちは今年31歳になる。
その年齢で廣瀬の憶測通り喧嘩をして救急車で運ばれるのは、いかがなものか。
だか、真実は違った。
腕に繋がれている何本かの管を見て改めて自分が入院していることを認識する。
昨夜トイレを血だらけにした犯人マロリーワイス症候群。ボクの病名。
医者が言うには、アル中界の風邪のような症状らしい。
ボクは毎日、文字通り浴びる程の酒を飲んでいる。
〝フクロウ〟大阪のミナミにあるバーで、ボクのバイト先だ。
その店では、クソみたいな成金社長が、まずアイスペールに焼酎やウイスキーを入れて、更にその上からシャンパンを溢れんばかりに注ぐ。
バカ騒ぎをするホステスやキャバ嬢。
その時に流行っているコールと手拍子で、ボクや他のアルバイトを煽る。
この手のコールの新曲はかなりのペースでリリースされる。
口元におしぼりを当てながら、一気に飲み干す。
喉が焼けるように熱い。
もちろん、全て飲める訳もなく、そのほとんどを上着にぶちまける。
最後はとにかく口に含めるだけの量を含んで、トイレに駆け込む。
その後ろ姿をあざ笑い、「情けない奴」と、はしゃぐ社長にも、金の為に見えすいたゴマすりをするホステスにも反吐が出る。
そして今まさに、その真っ最中だ。
30過ぎの情けない男の人生。
これがボクの日常だ。いたって通常運転。

ただ、この日の夜は違っていた。
昼夜逆転していたボクは夕方頃に、目を覚ます。
酷い二日酔いだ。
目を開くと同時に吐き気に襲われ、ドアを押し退けるようにしてトイレに駆け込む。
「おぇぁ」と擬音を発しながら涙目で嘔吐する。
トイレには、何年物かわからないワインが吐き出されていた。
トイレペーパーをカラカラ巻き取り、口元を拭く。
「え…」一瞬にして血の気が引いた。
ボクが昨日飲んだのは、ワインではなく大量のシャンパンだったはず。
トイレットペーパーには真っ赤な血がべったりとついていた。
トイレに溜まっているのは、ワインではなく、ボクの血だ。
焦って救急車に連絡することも出来たが、堕落したボクは寝れば治るだろうと、現実から目を背けて再び眠りについた。

〝フクロウ〟の営業時間は夜の23時〜朝の7時。
ボクは開店準備の為に22時には店にいた。
店に着くと同時に昨日のお酒の臭いがプーンと香る。この時期、ボクが嘔吐するには、お酒の銘柄を見たり、臭いを嗅ぐだけで十分な条件だった。
店に入るや否や、そのままトイレに駆け込んだ。
「うぇぶぇ」と再びトイレを抱え込む。
この時ばかりはいつもトイレの汚さが気にならない。
トイレを愛人のように抱え込む。
一瞬、駆け込むのが遅かったのか、床に血をぶちまけてしまった。
苦しさで身動きが取れなくなって、ストリートパフォーマー〝スタチュー〟如くじっとしていた。というよりも体勢を少しでも変えようもんなら、再び激しい吐き気に襲われる。
どうしようもなく、壁にもたれてへたり込んでいた。
「おはようございます」元気さと誰もいないのに、カギが空いていたことへの不審感が混ざったような声が聞こえた。

ガチャとドアがゆっくりと開いた
「ヒデさん、どうしたんすか?これ…」
そこからの記憶は曖昧なものだ。

ボクは119番に電話をかけ、這いずりながら店を出ると、すぐに運んでもらえるように道路沿いにある階段に座っていた。
少し手間で消えた救急車のサイレンの音。
「病人はどこですか」と問いかける救急隊員に「ここにいます」と答えると「ふざけるな!」と怒られたのを覚えている。
『後で殺してやろう』と心に決めて、その場で指をつっこみ吐血してみせた。
「どうせ、口か喉が切れてるだけだろ」なんて余裕をかましていた救急隊員の顔色が変わった。
『ざまぁみろ』なんて思いながら、ボクの顔色も一変した。

緊急とはいえ、受け入れてくれる病院はなかなか見つからない。
「大丈夫ですか?聞こえますか?」と声を掛けられながら、やっと見つかった受け入れ先へと運ばれる。
救急車で搬送される自分とニュージーランドで飼っていた羊が何故だかに被って思えた。

「緊急手術を行います」
キャスター付きの担架でゴロゴロと運ばれ、うまく声が聞き取れない。
「え?手術?」
「そう、です。これぇからぁ、手術を、します、ねぇ」ハキハキとおじいちゃん、おばあちゃんに話すようにお医者さんは言った。
カバンの中に貴重品はあるのか?こちらにサインが欲しいとか、親族の連絡先を教えてくれ。などと質問をされながら、手術室へと向かった。
「せーの」と担架から手術台へと移される。

ボクが台に乗った瞬間に〝パチッン〟とライトがつく。タイミングが良すぎてボク自身がスイッチになったみたいだ。
「では、はじめます」と上の服を脱がされる。
「えっもう?すぐですか?」
戸惑うボクに医者やナースは当たり前だろといった表情をみせた。
「あの、その前にトイレだけ行っていいですか?」
心の準備も体の準備もボクにはまだ出来ていなかった。
するとナースが「わかりました」とボクのズボンをおもむろに下ろしだした。
「失礼しますね」と言うと同時に「どうぞ」とスタバのグランデサイズ位の容器をボクの股間の前にセットした。
「すいません…大きい方なんです」
ボクがオーダーを変更すると、ナースは素早く、スタバの容器を引っ込めて、今度は映画館のカップルで食べるポップコーンみたいなサイズの容器を出した。
「どうぞ」と言われるものの舞台上で1人語りをする時並みのライトが向けられている。
観客は医者やナースが7、8人ほどいる。
「あっ、やっぱり大丈夫です」と大丈夫じゃないボクは断った。
「じゃ、麻酔入りますね」と口の中に管を通された。「はい、鼻で息をして下さい」と更に内視鏡を入れられる。
管を口に突っ込まれる度にえずいた。
「では、はじめますね」と更にもう1本、口に入ってきた所から記憶がない。

「小西さん、お部屋移動致しますね」
「あぁ、はい」
「無事、手術は終わりましたので」と優しく笑いかけてくれるナース。
救命救急室。しばらくは、そこで寝ていたようだ。チラッと横を見ると明らかに本職みたいな人が生きてるのか、死んでるのかわからない状態で寝ていた。
ボクはそれを見て生きていることを実感した。

「また手続きなどは、明日に色々として頂きますので、今日はゆっくりと休んで下さい」とベッドごとコロコロと運んでくれて、現在に至る。

          ※

「じゃあ何、今はサパーで働いてんの?」
「まぁ、そうかな」
サパーという言葉は初めて聞いたが、どういう意味?なんて野暮な質問はせず、知ったかぶりで相槌をうつ。
「お前さ、もう俺たちガキじゃねぇんだしよ」と説教タイムに入る。
話し方は昔のまんまだ。
ずっと〝不良〟と呼ばれて生きてきたボクたち。
今、椅子に座ってる廣瀬は、バッチリスーツに爽やかパーマ姿だった。
ボクはそんな廣瀬を見ながら、ドレッドヘアにラルフのカーディガンを着ていた頃を思い出していた。
「ちゃんと聞いてんのかよ」
完全にうわの空のボクに廣瀬はトーン変えて言った。
「ヒデちゃんさ、学校手伝ってくんね?」
「学校?」
「今ね、俺、更生施設っていうかフリースクールやってんだ」
いきなりなんだけどさ。という前置きもなく、説教から打って変わって相談となった。

〝ステップアカデミア〟
と書かれた名刺をスーツの内ポケットから取り出す。その下には〝校長 廣瀬正徳〟と記載されていた。
「校長?」目新しい話ばかりで鸚鵡返しが続く。
詳しく話を訊いてみる。簡単にいうと、全国の不良少年、少女を寮に預かって、社会復帰の手伝いをしている学校。

「教頭にしてくれるんなら、手伝ってやってもいいけど」冗談交じりに答えると
「ふざけんじゃねぇ」と死にかけのボクにヘッドロックをかけてくる。
トントントントン。とタップをしながら「ギブ、ギブ」とボクは言った。
10年以上ぶりなのに、2人の関係に変わりがないことを嬉しく思う。
それからヒロは高校を卒業してからの身の上話をしてくれた。
高校卒業後は東京に出てホストのマネージャーをしていたこと。日焼けサロンを友達と企業したこと。金、金って人生に嫌気がさしてきた所に、大切な出会いがあったこと。
その時に出会った佐藤さんというおじさんに更生施設をやることを勧められたこと。
説明している時のヒロは、話し方も仕草も昔と変わらない。とても懐かしかった。

「で、お前は何やってたんだよ」
今度はお前の番だと言わんばかりにこちらを向くと、ブーと鳴る携帯を手に取り、チラッと見て、またすぐにポケットへとしまった。
「俺は、東京で大学行ってた」
「ウソつけよ!お前が大学なんて入れる訳ねぇじゃん。昔はもうちょっと面白いこと言ってよ」ヒロはそう言いながら、今日一番の笑い声をあげた。
ボクはヒロの反応を無視しながら、話を続けた。
「その後は、まぁざっくり言うと、就職してお店で販売員やって店長なって、デザインもしてたかな」
「あぁ、昔からファッション好きだったもんね」
ヒロは懐かしそうに返事をする。
「お前の靴、それかっこいいな」
ボクはずっと気になっていた、ヒロのレザースニーカーに触れていた。
「そうなんだよ。わかる?」自分のセンスを理解されたことでトーンが上がる。
「LOVE SWEETSやろ?」L Sと刺繍されたロゴを見てボクは言った。
「知ってんだ?最近ハマってんだよ」とヒロは得意気な顔をする。
「たまにさ、1053って数字の時もあんだけど、あれが何かわかんないんだよね」
「あぁ、あれはLoveやで」
「は?」『何言ってんだお前』と続く言葉をヒロは、〝は?〟だけに集約した。
「だからな、1はL、0がO、5がドラクエとかにあるようなファイブ、V。で3を逆さまにしたらEやろ。これでLOVE」
しばらく間をおくと「お前はほんっとくだらないこと言うようになったね」とヒロはボクの説を全く信じなかった。
2人してヘラヘラと笑っていると、ヒロは話を戻した。「いや、だからね。お前の自分の経験を活かしてさ、子供たちに希望というか、何してたって大丈夫なんだぞ。みたいなことを色々伝えてやって欲しいわけよ」やっぱり、はみ出し者はつれぇじゃんと続けた。
せこい大人になりたくなくて、散々もがいて生きてきた。今のボクたちに当時の10代のボクたちはどのくらい納得してくれるだろう。何点くれるだろう。
「わかった。やるわ。お前には、いっつもわけのわからんことに巻き込まれるな」
「こっちの台詞だよ」そう言って笑いながら、ヒロは有難うの変わりにボクの肩をポンとした。
「じゃ、俺も忙しいし、そろそろ行くわ」とヒロは腰をあげると鞄を手にして、さっき届いたであろうメールの返信を打ち込む。
「これでも読んどきなよ。暇でしょ」と売店で購入したであろうジャンプとエロ本をぽんとテーブルに置いた。
「じゃまた来るわ。あんがとね」と照れくさそうにヒロは軽く手を上げた。
満足気に立ち去ろうとするヒロに
「いいよ、俺の靴履いてくれてるし」と言葉を投げた。
その言葉を聞き「またまたぁもういいよ」とヒロは踵を返す。
「ずっとほんまやから」ボクは枕元に置いていた携帯を手に取ると「ほら」と以前、雑誌MEETSに取材して貰った時の写真をみせた。
間抜けズラで画面を覗き込んだヒロは写真の中のボクと目が合いヒロは静止した。
しばらく間をあけてから
「いやっ、ふざけんなよ。もう履かない」と靴をその場で脱いで、泥棒のように二足重ねて手に取る。
そのまま裸足で病室を出て行くヒロ。
ドアを閉める寸前に「頼んだよ教頭」と言い残し部屋を出た。
ボクは勝ち誇りながらニヤニヤと一人で笑う。

ドアの向こうから、パンッ。という音が響いて聴こえると、今度はコツンコツンとつま先で地面を蹴る音が病院に響いた。

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