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たった12文字で感動を生み出す『限りなく透明に近いブルー』について語る



ーー飛行機の音ではなかった。(村上龍『限りなく透明に近いブルー』新装版 講談社文庫 P7より)

368万部以上売れた、芥川賞受賞作史上最も売れている作品の、第1文目がこれです。

小説において初めの1文は、兎に角重要なものだと、よく「小説の書き方」のような本に書いてあります。
このことには多くの理由があり、ここで説明するには長くなってしまいますので割愛しますが、確かに1つの真実であるかもしれません。
有名な小説の冒頭としては、川端康成『雪国』に下記のようなものがあります。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。(川端康成『雪国』)

この文章が小説作品の第1文にある素晴らしさ。その1つには、これを見ている人物が何をしているか、この短い文章だけで想像できてしまうところにあると思います。
おそらく、多くの人がこの文章を読んで、トンネルの中の暗さから、一気に眼前に開かれた雪原の、目に痛いくらいの白と光を思い浮かべるのではないでしょうか。そしてまた、その変化の驚きにまで。

では、芥川賞受賞作史上最も売れているこの作品の第一文は、どうか。

「飛行機の音じゃなかったのか、ふーん」

と終わってしまいそうな、それ。
しかし2021年1月5日、僕はこの僅か12文字に感動しました。(初読後30分も経たずに再読を初めてのことでした。)

今回の記事ではなぜ僕がこの短い文章で感動したのか、
そもそもなぜこの作品が368万部も売れているのか、
感想と分析を半々程度で進めていこうと思います。

※以降、ネタバレ等ございますのでご注意ください。

 飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蝿よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回してくらい部屋の隅へと見えなくなった。
(村上龍『限りなく透明に近いブルー』新装版 講談社文庫 P7より)

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「ブルー」によって導かれる、作品の中核をなす2つのモチーフ



まずはあらすじを確認したいと思います。
以下は、amazonよりの引用です。

米軍基地の街・福生のハウスには、音楽に彩られながらドラッグとセックスと嬌声が満ちている。そんな退廃の日々の向こうには、空虚さを超えた希望がきらめく―。著者の原点であり、発表以来ベストセラーとして読み継がれてきた、永遠の文学の金字塔が新装版に! 群像新人賞、芥川賞受賞のデビュー作。

第19回群像新人文学賞を受賞した著者のデビュー作であると同時に、第75回芥川賞を受賞した今作ですが、芥川賞の受賞にあたっては凡そ2時間の議論になったほど、審査員の間でも意見が割れる作品でした。
ただ、それだけ意見が割れた作品でしたが次のような点で、全審査員の意見が一致していました。

本作の優れている点は、なによりも「僕」が物事を常に客観視する中で、感情移入を排したフラットな表現でセックスや暴力を描ききった部分であると多くの作家・評論家が本作の解説で評価することが多い。衝撃的な内容を題材として捉えていながら、その文章自体は異常なまでに平易であり「清潔」である。
(Wikipedia「限りなく透明に近いブルー」より引用)

上記は過去における今作の評価ではありますが、今回この「清潔」さについては一切言及せずに進めていきたいと思います。


ところで、『限りなく透明に近いブルー』では、「ブルー」という言葉が使われているにもかかわらず、実は「ブルー」の描写は最後までほとんど出て来ません。そして最後に、題名同様の言葉で重要なモチーフとして登場します。
最後の最後で大切なモチーフとして使用する。だからこそその対比として、物語中では殆ど「ブルー」は出さず、むしろ好んで反対色である「赤」を使用する……。

しかし、実は冒頭ですぐに、次のような文章で「ブルー」は登場しています。

 昔、絵の具のパレットを這っているやつを殺したら、鮮やかな紫色の体液が出た。その時パレットには紫という絵の具はだしてなかったので小さな腹の中で赤と青が混じったのだろうと僕は思った。(P11より)

いかがでしょうか。
「紫色」は確かに、作中に多出する「赤」と重要なモチーフの1つである「ブルー」が混ざってできる色です。
そして、「限りなく透明に近いブルー」という言葉が出るシーン。それは以下のようなものでした。

 影のように映っている街はその稜線で微妙な起伏を作っている。その起伏は雨の飛行場でリリーを殺しそうになった時、雷と共に一瞬目に焼きついたあの白っぽい起伏と同じものだ。波立ち霞んで見える水平線のような、女の白い腕のような優しい起伏。
 これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。
 血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
 限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。(P156~157より)

色の表現は、作品中にこれでもか、というほど多く登場します。
amazonのあらすじでは「ドラッグとセックス」がその中心のように紹介されていましたが、「ドラッグとセックス」がこの作品における筋の中心であるとすれば、「色」というものはこの作品における表現/描写上の中心です。

ただ、表現/描写はあくまで表現/描写ですので、それ自体魅力的ではありながらも、それ単体で表現/描写を味わうだけでは、その魅力すべてを引き出すことはできません
では、表現/描写にはそれ自体に加えて何が必要なのか、ということを考えた時に、浮かび上がってくるのが「構成」「モチーフ」、「視点」であると僕は考えています。

特に今回は「モチーフ」に焦点を合わせて書いていきましょう。
引用したP11の文章においては、「色」の表現/描写が、「虫」というモチーフと合わせて登場しています。
そして続くP156からの引用においては、「色」の表現/描写が、「飛行機」というモチーフと合わせて登場しています。

さて、勘のいい読者の方は既にお気づきだと思いますが、冒頭で引用した文章を思い出してみてください。
それは、次のような文章でした。

 飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいたの羽音だった。蝿よりも小さなは、目の前をしばらく旋回してくらい部屋の隅へと見えなくなった。
(村上龍『限りなく透明に近いブルー』新装版 講談社文庫 P7より)

実はこの作品では冒頭において、主要なモチーフである「虫」と「飛行機」の双方が登場していたのです。
そしてまた重要なことに、片方のモチーフ(飛行機)は否定形で表されています。

作品で多出する表現/描写が主要なモチーフと接続していたことが確認できましたので、ここからは「何故、重要であるはずのモチーフ『飛行機』が作品の第一文で否定系で扱われているのか」ということについて、考えていきたいと思います。




「虫」の視点と「飛行機」の視点の対比により浮かび上がる作品主題


「飛行機」が否定されていることに注視したのは、当然冒頭の文章において第一文として使用されていることがありますが、それよりも何より、「虫」については肯定されている。
というか、「飛行機」と「虫」が対比的なモチーフとして(そしてそれが「色」によって結びつけられながら)描かれているからです。

実は「飛行機」というモチーフはその登場がだいぶ遅くなってしまうので、まず「虫」からどういう扱いを受けているか、確認してみましょう。

……洗っておいてやろうと台所に入ると、流しの皿にゴキブリがまだ動いている。僕は新聞を丸めて皿を割らないよう注意し、調理台に移った子機ぶりを叩き殺した。……ゴキブリの同胞は黄色い体液が出た。調理台の縁に潰れてこびりつき、触覚はまだかすかに動いている。(P12~13より)
 柱にが止まっている。
 ……僕はマラルメの背表紙で、黒と白の縞模様がある腹を押しつぶした。は脹らんだ腹から体液が漏れる音とは別の小さな鳴き声をだした。

 ……を殺した後、妙に空腹を感じて冷蔵庫にあった食べ残しの冷たいローストチキンを齧った。(P136~137より)
……あの時、僕の部屋でそのことを思い出した僕は、我慢できない寒気を何とかしようとして、死んで絨毯に転がるの羽を口の中に入れた。は表面が硬張り、同胞は緑色の汁が出て少し固まっていた。金色の鱗粉が指紋に沿って光り、目は黒い小さな球で胴体から離れる時糸を引いた。羽を破り舌に乗せると、薄い産毛が歯茎を刺した。(P147より)
……僕に殺されたは僕の全体に気付くことなく死んでいったに違いない。
 緑色の体液を含んだ柔らかい腹を押し潰した巨大な何かが、この僕の一部であることを知らずに死んだのだ。今僕はあのと全く同じようにして、黒い鳥から押し潰されようとしている。グリーンアイズはこのことを教えにやって来たのだろう。僕に教えようとして。(P152より)
 空地を横切る途中僕は草むらに倒れた。その時、湿った草を噛んだ。苦みが舌を刺し草の上で休んでいた小さなが口の中に入った。
 はギザギザのある細かい足で踠いた。
 指を入れてやると背中に模様のある丸いが僕の唾液に濡れて、這い出てきた。濡れた足を滑らせて草の上に戻った。虫が引っ掻いた歯茎を舌で撫でているうちに、草に乗っていた露が、僕のからだを冷ましていった。(P156より)

「虫」に関する表現/描写を幾つか抽出してみました。
上記は作為的に抽出したものであることは間違いありませんが、しかしそれでも、中核的な表現であることは間違いないと思います。
その上で、並べた表現/描写がもたらす「虫」の作中における存在を考えると、次のようなことが言えるのではないかと思います。

⑴語り手にとって、その生殺与奪を握っている(=コントロール可能である)存在である。
⑵「2度の殺害→摂取→同化(蛾へ自己を重ね合わせる)→口に含んだ虫を吐き出す(異化)」として関係性が変化している。
⑶全体が見えない存在である。

再度冒頭の表現に立ち返ります。
冒頭において「虫」モチーフは「飛行機」とは異なり、シンプルな現在形で登場しています。上記3つが「否定」されていない意味とは何なのでしょうか。
その謎を解き明かすためにも、次に「飛行機」がどういった扱いを受けているかを確認します。

 突然、金属的なオレンジの光が車の中で爆発するように閃いた。リリーはサイレンのように叫び、ハンドルを離してしまう。……
 ああ飛行機だ、見ろよ飛行機だ。
 滑走路は全ゆる種類のひい仮に充ちていた。……
 ジェット機はあたりを震わす轟音をあげ、ピカピカに磨かれて滑走路の端に待機している。(P84より)
 厚く垂れた雲、途切れることなく落ちてくる雨、虫達が休む草、灰色の基地全体、基地を映す濡れた道路、そして波のように揺れている空気、巨大な炎を吐く飛行機がそれら全てを支配している。
 ゆっくりと滑走路を滑り始めた。地面が震えている。銀色の巨大な金属は徐々にスピードを増す。ピッチの高い音で空気が燃えているように感じる。僕達のすぐ前で胴体の脇に付いたさらに巨大な四機の筒が青い炎を吐いた。重油の匂いと共に突風が僕を吹き飛ばす。
 顔が歪み、地面に叩きつけられる。霞んだ目で僕は必死で見ようとする。飛行機は白い腹が浮いたと思うと、あっという間に雲の中に吸い込まれていった。(P85~86より)

「虫」と比べるとだいぶ少なくなってしまいましたが、十分にその対比が浮かび上がっているのではないでしょうか。
つまり、「飛行機」は語り手にとって自分たちを支配する存在である、と言うことです。

同化も異化もなく、ただただ自分を支配する「大きな」存在
それがこの作品における飛行機です。
そしてこれが否定されているということ、多出する表現/描写である「色」と多く結びつけられている「虫」と対比されている「飛行機」ではなくて、やはり「虫」だったと冒頭で言われている意味とは、この作品においての重要な何かを伝えようとしているのではないでしょうか。

以上より、『限りなく透明に近いブルー』は自らと等しい存在である「虫」を通して人が何者に支配されているか、それを自覚できない存在として描きながら、またその支配されていることへの無自覚を打破していく物語なのではないか、というのが、僕の理解です。
「虫」の視点から「飛行機」の視点へと遷移する。そこにこそ主題があるのではないか。
「緑色の体液を含んだ柔らかい腹を押し潰した巨大な何かが、この僕の一部であることを知らずに死んだのだ。」という文章があることも手伝い、僕はこのように考えました。




僕達は皆んな支配されていることに気付けない「虫」だった


改めて、冒頭の文章に戻りましょう。

 飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蝿よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回してくらい部屋の隅へと見えなくなった。
(村上龍『限りなく透明に近いブルー』新装版 講談社文庫 P7より)

結論から言うと、これが全てです。

「飛行機」だと思っていたものが実は「虫」だった。
冒頭において村上龍は、我々が飛行機のように支配する存在ではなく、「虫」のように支配される、そしてその支配者が何者かであることにも気がつくことのできない存在だった。
それをわずか12文字で表現していたのではないか。

そのように考えた瞬間、僕はこの短い一文に感動していました。
「虫」「飛行機」というモチーフが物語全体においてどのように扱われているかを知ることにより、その表現/描写で感動できる。
正に文章による表現として最高峰であり、だからこそ今作は芥川賞を受賞し、また368万部も売れているのではないか。

そのように考えてしまいます。
今回、敢えて話題にあげなかったモチーフが多数あるほか、重要な物語の構成においてもまだ触れていません。
今後も何度か読み直していくつもりなので、これからまた、他の要素についてもどんどん書いて行けたらいいなと思っています。

ここまで約5,500字もお付き合いいただき、ありがとうございました。
僕の個人的な「小説の好きなところ」をお楽しみいただけていたら嬉しいです。
追記するならば今回見たように、小説は「完成後に世に送り出す」ことができるため、例えば連載漫画のように人気によってその内容が左右されることはありません。
商業的にはそれ故の難しさ(=売れない作品が多く出てしまう)ことはあると思いますが、だからこそ、完成された作品を見たときには他の(物語についての)媒体にはない感動を得られるのではないかと思います。

今回の記事をきっかけに、少しでも小説というコンテンツの面白さに興味を持つ、改めて考える人が出てくれたら嬉しいです。

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