_濾過_表紙

㊗︎小説『濾過』出版記念! 〜3人の仮想読者と『濾過』〜


あけましておめでとうございます。
2020年記念すべき初更新です! 無事に小説『濾過』の出版が決まった、小説家の齋藤迅です。
本日は一週間後の2月2日発売を目前に控えた『濾過』について、お話をさせていただこうかと考えています。
具体的には


・「自らの人生を選び取るための小説」って結局なんだったの?
・「純文学」としての小説『濾過』
・読んで欲しかった3人の読者に向けて

ということを軸に、お話をさせていただきたいと思います!
宜しければ最後までお付き合いください!


1.「自らの人生を選び取るための小説」は書けたの?


さて、そもそも「自らの人生を選び取るための小説」って何のこと?
という読者の方が多いだろうと思います。これは僕が昨年2019年9月から10月にかけて行なっていた、クラウドファンディングのタイトルに使用した言葉です。


こちらのクラウドファンディングは40名の方々から約50万円もの支援をいただき、成功をおさめることができました。

ーー今回書く小説はどんな状況にあろうと足掻くこと。その大切さを1番のテーマにしようと考えています。ーー

上記の言葉は僕がクラウドファンディングのページ上で書いた、「自らの人生を選び取るための小説」に関する説明の冒頭の言葉です。
これは実は逆説的な言葉でした。僕が重要だと考えたことは、「足掻く」ことではないんです。
実は重要だと考えていたのは、「傍観者にならない」ということでした。

自らの人生を、生まれ持っての家庭環境や容姿、能力、性別などの外的要因によって諦める。そうしてどうにもならないからと、人生の傍観者と成り果てる。

僕自身、自分がそのように諦めていた頃がありました。
だけどそれじゃあ人生は良くはならない。良くするためには傍観者になってはダメだ。
でも、傍観者にならないってどうすればいいんだろう? 実際問題、生まれ持っての家庭環境なんかを変えることは大人でも難しいですよね。
であれば子どもの頃の僕には尚更難しかったことはいうまでもありません。

(自身の体験を土台とした2018年公開の作品。これらの体験が今作を書くための1つの動機となりました。)

そこで考えに考えた結果、僕がたどり着いた答えが「足掻く」ということでした。

では章題に戻りまして、「足掻く」ことをテーマとした作品。「人生の傍観者となる」ことを拒否した小説は書けたのか?
僕は自信を持って「書けた」と。読んでくれたあなたが自らの人生を選び取るための小説を書けたとそう、声を大にして叫ぶことができます。



2.芥川賞への道程と私小説


僕はこんな風によく芥川賞についてTweetしています。
というのも、僕の小説家としての目標の1つが「芥川賞受賞」であるからです。
本章ではこの「芥川賞」を起点に『濾過』が文壇上でどんな意味を持つのか。どんな意味を持って欲しいと考えて、僕が書いたのかを書かせていただこうと思います。

ちょっと小難しい話も出てくるので、面倒だったら飛ばしちゃってください。笑


そもそも芥川賞って何なの?

って方も多いだろうと思いますので、芥川賞直木賞の運営を行なっている公共財団法人日本文学振興会による説明を参照させていただこうと思います。

ーー芥川賞は、雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから選ばれます。ーー

雑誌に発表された「新進作家」による「純文学」作品と。なるほど。
じゃあ「純文学」って何やねん?!
って、今度はこうなったんじゃないでしょうか?

僕自身、芥川賞が純文学作品を対象にしており、その芥川賞受賞を1つの目標に見据えながらも「純文学とは何か」という問いにこれまで答えることはできませんでした。
そこで最近勉強を始めたのですが、多くの作家、評論家、文学者が共通して述べていることがありました。それは、

作者自身がその創作活動のきっかけとして存在していること

です。
小林敦子さんの『純文学という思想』では、対照的に大衆文学が「快楽と実用」に依拠したものであるともされていました。
快楽とは面白さ、実用とは例えば政治的啓蒙活動のことです。
これらを求めた場合、どうしても小説の先にいる「読者」を思い、読者に向けて「奉仕」しなければなりませんよね。

でも純文学は違う。
強いて純文学者が奉仕する相手を挙げるとするならば、それは小説を書いている自分自身なんです。
小説を書く自分、或いは小説を書くという行為そのものへの奉仕をする文学が、純文学だ。
今の僕が純文学を定義するとすれば、このようになるかもしれません。


純文学についてのお話は少々誤解を招きそうな部分も多いので、今後また詳しくどこかでお話できればと思っています。
が、今回は割愛させていただきまして、話を戻しましょう。

僕は芥川賞受賞を目論んでいます。
そして僕の中で小説家として食っていくのと同様に、このことは確定事項です。
そんな僕が書いた今回の小説『濾過』にはどのような意味があるのか。

現代の文壇においては少なくなった「私小説」復権。そういう流れの一部に小説『濾過』はその身を置いていると僕は考えています。

過去、純文学と同一視されてきた私小説。
また最近では『文學界』2020年1月号において作家又吉直樹さんと歌手宇多田ヒカルさんの対談で、又吉さんは「自分と重なる部分を持たない登場人物」を書くことはできないと語っていました。

私小説とはよく考えられているような「自身の生活」を書くことではありません。自身の体験や思想を契機として外部へとそれらを敷衍していく。そういう小説が私小説だといえるでしょう。

そして小説『濾過』は、そんな私小説の1種であり、私小説を見直すために意味のある作品として書けたのではないかと僕は考えています。



3.3人の仮想読者に向けて


ちょっと小難しいことを書いてしまいました。すみません。
ここからは僕が『濾過』を読んでほしいと考えている人たちについて、書かせていただきたいと思います。

この仮想読者の話が最後に来たのはもちろん、偶然ではありません。
「1.『自らの人生を選び取るための小説」は書けたの?」「2.芥川賞への道程と私小説」で書いたことはつまり、この仮想読者の一部です。

僕が今作を書くにあたって想定していた読者の方々は、


①僕自身と同様、「自分の人生なんてどうせ、自分の力じゃ変えられないんだから」と考えている人
②僕という人間を知っていて、作品をある種私小説として作家と関係させて読める人
③過去の僕自身


①がつまり、「自らの人生を選び取」って欲しい人々です。
傍観者にならないでくれ。足掻き続けて少しでもその人生をより良いものにしてくれ。
そういう願いを込めて、このような方々に読んで欲しいと考えました。


次に②が、僕の考える新たな私小説として欠かせない要素の1つです。
SNSが生活の一部となり、著名人たちがこれまでよりも自分達に近い存在として認知できるようになった現代だからこそ、作家自身と作品を結びつけるある種の「私小説」的楽しみ方が有効だと考えています。

また同時に、僕が本当に作品にあるような体験をしていることを明かすことで、同じような体験をした読者の方により訴えかけられるものがあるのではないかとも考えています。
実生活において僕を知っている人はもちろんのこと、SNS上などで僕の活動を見てくださっている方にも是非、読んで欲しいと考えています。


次に③ですが、これも②と同様、私小説に関する考えです。
ブロガーのマナブさんがよく、Twitterでは過去の自分に向けてtweetすると良いなんてことをお話されています。
それと同様で、僕は自身と同じ体験の人々に向けて小説を書くならば、過去の自分が読みたいであろう作品を書こうと考えました。

そしてまた同時に、純文学作家を目指す以上、自分という人間の根元から発生する思いに身を寄せるべきだろうとも考えたのです。
だからこそ、僕は仮想読者として過去の自分を考えています。


以上が僕が小説『濾過』を読んで欲しい3人の読者たちです。
今回の記事で少しでも『濾過』という作品の輪郭が見えてきていたら嬉しいですし、『濾過』という作品に興味を持っていただけたら幸せです。


さて、小説『濾過』の発売は2月2日と今日から1週間後ですが、既に予約を開始しています。完売の足音が聞こえてくるような売れ具合ですので是非、興味のある方は早めにご予約ください。
また2月9日(日)には出版記念イベントを行います。こちらもまだまだご予約受付中ですので、宜しければおいでください。
小説の販売、トークショーの他、掌編小説の展示に簡単な食事とお酒などを用意しての交流会を行います。


さて、それでは長くなりましたが最後までお付き合いいただきありがとうございました!
多くの作業がひと段落つきましたので、これからは積極的に更新していこうと考えています。
是非これからもよろしくお願いします!




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