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2019年の小沢健二(仮)ーー全肯定を歌う意思と勇気

校了中に『So kakkoii 宇宙』を聴いて「なかなかいいアルバムだなあ」なんて思ってたら「薫る(労働と学業)」を聴いて「な、なんじゃこりゃ~!?」と衝撃を受けるの巻。この曲とんでもない。

『犬は吠えるがキャラバンは進む』(1993年)から『LIFE』(1994年)を経て、小沢健二は世の中的にはポップスター、局地的には渋谷系の王子様になったかもしれないけれど、彼の抱えている絶望、諦観は何ひとつ変わってはいなかった。「神様を信じる強さを僕に/生きることをあきらめてしまわぬように」(天使たちのシーン)と「たぶんこのまま素敵な日々がずっと続くんだよ」(ドアをノックするのは誰だ?)の間に本質的な違いはなくて、そこにあるのは「いま、この瞬間にも、生きることをあきらめてしまいそうな弱さ」と、「こんなに素敵な日々も、いつか、必ず終わりを迎える」という冷たい現実認識に他ならない。

しかし、当時20代の小沢健二は、それでもなお、わずかに残る“希望”を信じて、祈るように歌っていた。僕たちは、その強い気持ちにこそ感動したのであって、それこそが小沢健二の本質なんである――というようなことを下北沢SLITS(あるいは、ぶーふーうー)あたりで喋りまくっていた1995年。

そんな小沢健二の本質はシングル「強い気持ち 強い愛」で歌われた「長い階段をのぼり/生きる日々が続く」でひとつのクライマックスを迎えた、と個人的には思っていて、いまも僕は、その圧倒的な確信に満ちたラインを聴くたび涙がこぼれてしまう。そして、そんな時代の楽曲を収録したベスト盤に『刹那』というタイトルをつけざるを得なかった2000年代の小沢健二は、やはり、深い悩みと絶望の中にあったのではないか、と自分勝手に思う。

長い階段をのぼり 生きる日々が続く
大きく深い川 君と僕は渡る
涙がこぼれては ずっと頬を伝う
冷たく強い風 君と僕は笑う
今のこの気持ちほんとだよね(強い気持ち・強い愛)

そして時は2019年、ニューアルバム『So kakkoii 宇宙』。その最後を飾る「薫る(労働と学業)」で歌われる全肯定は、20代の小沢健二が信じた“希望”とは明らかに違っている。夢見る頃を過ぎた僕たちがやり過ごしている現実は、やっぱり、いや、むしろ、あのころ考えていた以上に暗く、絶望的だ。「神様を信じる」ほどの強さもなく、「生きることをあきらめてしまう」には、あまりに多くのものを抱え込んでしまった僕たち。しかし、それでもなお、絶望の2000年代を越え、50歳になった小沢健二は“希望”を歌う。

君が君の仕事をする時
偉大な宇宙が薫る(薫る(労働と学業))
今ここにあるこの暮らしこそが
宇宙だよと今僕は思うよ
なんて素敵なんだろうと(彗星)

ここで歌われている「宇宙」は「最高」と同義だ、と僕は思う。2019年の小沢健二は日々の暮らし、平穏な日常こそが「宇宙」であって、それこそが「最高にkakkoii」ことなのだ、と現在を生きる僕たちに歌いかける。そして「薫る(労働と学業)」と 1曲目の「彗星」をループさせることで、この先、それでも続いていく長い人生、喜びと悲しみが時に訪ねる世界を、高らかに全肯定してみせたのだ。

穏やかな日常を全肯定したアルバム……というと、ニューヨーク繋がりというわけでもなく、僕は『ダブル・ファンタジー』を連想してしまう。ハウスハズバンド時代を経たジョン・レノンが1980年に発表した、結果的に彼のラストアルバムとなってしまった『ダブル・ファンタジー』。このアルバムと『So kakkoii 宇宙』の類似点は「長いブランクを経たカムバック作である」「子どもの存在が重要なモチーフになっている」「リリースタイミングで極めて重要なインタビューを受けている」など、思いがけずたくさんある。

2020年を迎えても日々は当たり前に絶望的で、僕たちはどしゃぶりの雨の中、必死こいて生きていく。それは、死ぬまで終わることはないのだろう。でも、小沢健二が今度は17年と言わず、せめて3年に1枚くらいはニューアルバムを届けてくれて、そのたび多幸感あふれるステージを見せてさえくれれば、それだけで、もう、心から“オッケーよ”と僕は思うのだ。



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『CONTINUE』編集長。単行本編集者。担当書籍は『渋谷音楽図鑑』『中村一義 魂の本』『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』『ピエール瀧の屁で空中ウクライナ』『20年目のザンボット3』『超クソゲー』『アストロ球団』『ゲームセンターあらし』などなど。
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