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才能=センサーの有無および感度説

はるか昔、22歳の就活の頃から人の天職とは?ってことを考えてきましたし、一時期は就活支援をビジネスにもしてきました。やはり仕事は才能があることを仕事にするのがよいに決まっているのだけど、すると、では才能とは何か?という議論に行き着く。

今まで最も納得感があるのが「自分は当たり前にできることなのに、他の人はやるのが難しいこと」と言う定義。例えば、初めて行く場所に、地図をさっと見ただけでたどり着ける人とか、「どちらが北かを指差して」と言われて即答できる人とか、ぼくにとってはある意味超能力者とかX-MEN並みにすごく感じる💦。

逆に会ったことない経営層の人にに手紙や電話やメールして、半分以上断られたながらもアポとって商談して成約することとか、気難しい人と話ししてノせることとか、業務を見える化することとか、みんなできると思ってだけど、意外と人はするのが難しいらしいとびっくりすることがある。

この差はなんだろう、、とずーっと考えてきたのですが、一つには、人間って目は二つ、耳は二つ、鼻は一つとか、外からの情報を受けるセンサーは同じだけど、その他の諸々の情報を感知するセンサーは人によってだいぶ違うか、感度に天と地の差があるということ。視覚も聴覚も触覚もそもそも人によって感度が全然違うしね。余談ですが、クライアントで高額イヤホンを販売している会社の店頭に立たせてもらっとき、え?どこが違うの?とその企業の顧客の聴覚の繊細さに驚いたことがあります。

たとえばひとの喜怒哀楽や、感情にすごく敏感な人もいれば、全く無頓着な人もいる。いわゆる「感受性がない」「空気を読まない人」と言われてしまうような人ですね。まあ経験や訓練により、感度を上げることはできるけど、限界があるような気がする。頭がいい人の定義はいろいろありますが、入力された情報を処理して出力する結果の質の高さや速さだと定義すると、どんなに頭が良くても、入力情報を受信するセンサーがなかったり、感度が悪ければどうしよもないですからね。

よくレベルの上の人が下の人を評価することはできるけど、逆には無理、みたいなことをいいます。例えば剣術の達人はお互い構えただけで力量がわかるみたいな話?はそういうことではないかと。才能ある人はセンサーの精度が、重さならmg単位で、普通の人はkg単位で察知する、みたいな感じでしょうか。

どうせ仕事するなら自分が感度の良いセンサーを持っていることがアドバンテージになる仕事をするべきだと思います。自戒を込めて、、。





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