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戦略コンサルに与えた脅威 Big4会計事務所のコンサル拡大

seizanry

 さて、1960年代のアメリカ会計士業界ではプライス・ウォーターハウス(後のPWC)にとってアーサー・アンダーセン(2002年消滅、コンサル部門はアクセンチュアとして存続)の躍進はかつての同僚の成功という誇りから次第に脅威へと変わっていきましたが、Big4(当時はBig8)会計事務所の各社がコンサル部門を成長させ始めていたこの時代、後に戦略コンサルティングファームと呼ばれるようになる経営コンサル専門会社にとっても会計事務所のコンサル拡大は脅威に映っていたようです。

 最初に1960年頃のアメリカで経営コンサルティング業界がどのような状況だったのか、概観を簡単にご説明したいと思います。

 1960年頃のアメリカの代表的な経営コンサルティング会社として、ブーズ・アレン・ハミルトン、マッキンゼー・アンド・カンパニー、クレサップ・マコーミック・アンド・パジェットの3社が挙げられます。3社は絶頂期を迎えており、自分たちを経営コンサルティング会社のビッグ3と呼んでいました。後の3大戦略コンサルMBB(マッキンゼー、BCG、ベイン)ならぬ3大経営コンサルBMM(ブーズ、マッキンゼー、マコーミック)ともいうべきでしょうか。そして経営コンサルティング会社の地位も、大規模会計事務所や法律事務所等と同様に、アメリカ経済を支えるインフラとしてアメリカ国内で重要な地位を占めるようになっていました。

 ブーズ・アレン・ハミルトンはシカゴのノースウェスタン大学で心理学を修めたエドウィン・ブーズ(当時27歳)によって1914年シカゴで設立された財務調査会社から発展した会社です。アーサー・アンダーセン(1913年設立)、マッキンゼー(1926年設立)とともに1910年代~1920年代のシカゴにルーツを持つ経営コンサル会社の一つです。1960年までに42人のパートナー、300人のコンサルタントを抱え年間1200万ドルの売上を上げていました。

 マッキンゼーは言わずと知れたザ・ファーム。シカゴ大学で会計学を教えていたジェームス・オスカー・マッキンゼー(当時37歳)により1926年にシカゴに設立されました。マッキンゼーは設立当初こそ財務調査をベースに会計コンサルや経営エンジニアリングを主力サービスにしていましたが、1930年代に中興の祖マービン・バウアーの方針により会計離れを進め会計サービスからは離れていきます。1960年までに32人のパートナー、165人のコンサルタントでブーズの半分の675万ドルの売上を上げていました。

 そしてクレサップ・マコーミック・アンド・パジェットはブーズ・アレン・ハミルトンの初期メンバーであったリチャード・パジェット、マーク・クレサップ、マコーミックの3人がブーズ社を抜け、1946年にニューヨークに設立した会社です。クレサップ・マコーミック・アンド・パジェットはマッキンゼーのさらに半分の規模、75人のコンサルタントとおよそ210万ドルの売上でした。

 1962年のウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、アメリカでは2500社、約3万人のコンサルタントが活動していたようです。1960年のアメリカ経営者協会(業界団体)の名簿に掲載された705社のうち、10年以上続いていた会社はその半分以下で、更に15人以上の専門スタッフを持っていた会社はわずか175社でした。当時はブーズ・アレン・ハミルトン、マッキンゼー、クレサップ・マコーミック・パジェットのような少数の大企業が支配していましたが、大部分は小規模な会社や個人事務所が占めているのが経営コンサル業界の状況でした。

 1960年代、コンサルティングを専門に行うこれら経営コンサルティング会社は確かに発展しました。しかし、それと同じぐらい会計事務所のコンサル部門も成長を見せていたのです。コンサルティングサービスの収入の面で、売上上位4社のうち2社はBig4(当時はBig8)会計事務所のコンサル部門であり、上位10社、上位30社のなかでも3分の1は会計事務所が占めていました。そのうえ、会計事務所のコンサル部門は急速に拡大しており、プライス・ウォーターハウスであれば250人、他のBig4会計事務所の中にはコンサル部門に700人も抱えている会社も既にあったのです。

 経営コンサル専門会社がBig4会計事務所の存在に脅威を感じていたのはこのような状況を差してのことだと考えられますが、それだけではなかったようです。会計事務所には経営コンサル専門会社にはない強みがあったからです。

 一つはBig4が会計事務所であるという、まさにそのことでした。Big4のコンサル部門が顧客からコンサルサービスの依頼を受けた時、すでに会計士が監査を行っている顧客であればその顧客のこと、抱えている問題について既にある程度のことを分かっているのです。これはコンサルティングサービスを提供するうえで代えがたい強みでした。つまりBig4のコンサルであれば情報収集にかける時間はそこそこにいきなり核心に迫ることも可能なわけです。また、コンサル側が顧客のことを知っているだけではなく、顧客側もコンサル会社のことを既に知っている(会計事務所として知っている)ことで不安を除くことができるのです。知らない人が来るより、顔見知りの人が来る方がいいものですから。

 また、会計事務所の方が有利だと思える理由を他にも上げると、経営コンサル専門会社に比べて圧倒的に規模が大きいということでしょう。事務所の数では、1958年にはプライス・ウォーターハウスがアメリカ国内に40か所近い事務所をもち、中南米、ヨーロッパ、アジア等にも100か所以上の事務所を構えていました。アーサー・アンダーセンは1963年にアメリカ国内で34か所、アメリカ以外で26か所の事務所を構えています。一方経営コンサル専門会社であれば、例えばマッキンゼーは1950年代から海外展開を急速に進めましたが、イギリス、フランス、スイス、オランダ、ドイツ等の主要都市に留まっていました。ファームにおいて司令塔となるパートナーの数を比べても、1960年頃プライス・ウォーターハウスには100人以上(コンサル部門以外も含む)のパートナーがいましたが、マッキンゼーは32人でした。

 漁のやり方が全く違っていたのかもしれません。経営コンサル専門会社は狙いを定めた一本釣りですが、Big4会計事務所のコンサル部門は張り巡らせた網で一網打尽に釣り上げるのです。

 顧客のプロファイリングを見ると、安定した顧客が会社のビジネスの大部分を占める会計事務所とは対照的に、ブーズ・アレン・ハミルトンの顧客の75%はリピーターではありませんでした。そして、顧客の業界もかなり偏っており、ブーズ・アレン・ハミルトンでは政府機関や非営利団体の仕事がそれぞれ全体の3割を占めていたようですし、マッキンゼーの場合は政府系と非営利団体を合わせても10%に満たないという状況でした。経営コンサル専門会社はかなり偏った顧客プロファイリングだったことが分かります。

 以上見てきたように、1960年代、業界で15%という驚く程の成長をした経営コンサル業界ですが、会計事務所のコンサル部門という脅威を感じながらの成長だったことが分かります。そしてその脅威は次の1970年代以降更に襲い掛かってくることになり、会計事務所のコンサルは上げ潮の勢いで発展していくことになるのです。

■おもな参考文献
『The World’s Newest Profession』(Christopher・D・Mckenna)
『ビジネスの魔術師たち』(ハル・ヒグドン 著/鈴木主税 訳)

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