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tuki.『一輪花』鑑賞

「晩餐歌」で一躍有名になった歌手 tuki. さんの、切なくも力強いバラード「一輪花」。当時中学生の tuki. さんが歌唱だけでなく作詞作曲もされたそうですが、巧みな比喩や韻が情感を増幅しています。

一番Aメロから順に鑑賞していきます。

誰かのために歩いていたから 気付けなかった

イントロ無しで歌い出して、続きの気になる歌詞で即座にリスナーを引きつけます。動画サイトでスキップさせない効果もありますね。

私のために歩いても構わないって気付いた

「私」に大きな影響を与えた人がいて、その人と離別か決別か何かがあったらしいことを序盤で明かし、すっかりリスナーを引き込んでしまいます。

しっとりとした雰囲気の中でも「れかのために」「たしのために」とア段の音を強調した歌い方で明るさも感じさせます。「歩いても構わない」という歌詞もア段を意識しているのかもしれませんね。

さて、早くもBメロです。

いついつまでもあなたを 忘れられないなんて嫌だよ
望んでたんだ 凛と立つ一輪花 元に戻るだけさ

一人になったからといって「あなたを忘れられない」まま落ち込むのではなく「凛と立つ一輪花」になりたい。出会う前に「戻るだけさ」と自分に言い聞かせる、気丈な「私」の姿が浮かびます。

サビは感情の溢れるような「さよなら」で始まります。

さよなら 最大級の愛が 雨に変わる

愛が大きかったからこそ、離別によって大きな悲しみ(雨)が襲ってくる。短い言葉でも強く伝わってきますね。

会えないバイバイなんてあの日 思わなかった

離別当時の「私」は無邪気に「バイバイ」をしたんですね。その後ずっと会えなくなることを知らずに。

風に揺らぐ一輪花 飛ばされないように

凛と咲いていても、風に飛ばされそうに揺らいでいる……心細さや決意を花の描写に託しています。

最大級の愛を 会いたいよって居ないよ
会えばきっと痛いよ 痛いよ 痛いよ

似た語感の言葉を繰り返して葛藤を表すともに、いわゆる中毒性も生み出しています。

最大級の愛と 朝露に濡れた 私は一輪花

雨(=最大級の愛)と朝露に濡れた花(=私)、という構図で比喩に一貫性がありますね。「朝露」は花の美しさや儚さを引き立てますし、これから太陽が昇ってくる予感、すなわち未来への希望も示唆します。

二番も見ていきましょう。

明日のために 歩き出そうとは 思ってたんだ
思い出ばかり 眺めては 今日じゃなくって良いって

一番で高らかに決意を歌い上げましたが、現実は簡単ではありません。思い出が美しかったなら尚更……。等身大の弱さが共感を高めます。

今が続けばいいよと あの時は思えていたけど
変わっていくんだ 凛と立つ一輪花 咲き続けるために

立ち止まっていたら世界から取り残されてしまうから、「咲き続ける」ためには変わり続けないといけないんですね。そういう物事って結構ある気がします。テレビの長寿番組は新しいアイデアを出し続けるから続くんでしょうし、生物の細胞は化学反応を起こし続けて生命活動を維持します。

サビは1番と同じですが、ここでは韻などを見るために仮名で書きます。

なら [い][い]きゅうの[い] めにかわ
え[い][イ][イ]なんてのひ おもわなか

ア段や [・イ段] の音を巧みに配置し、響きを明るくしています。

ぜにゆぐいちりん とばさいように

「揺れる」ではなく「揺らぐ」をチョイスしたのもア段の響きを意識したのかもしれませんね。

[い][い]きゅうの{[い]を} [い]{[い]よ}ってい{[い]よ}
きっとい{[い]よ} い{[い]よ}い{[い]よ}
[い][い]きゅうの{[い]と} あさつゆにぬれ わたいちりん

ここでは{・イ・オ段}でも何度も韻を踏み、耳に残るフレーズに仕上げています。「きゅうの」と「きっと」も響き合うし技巧的ですね。

この後はサビのメロディを繰り返して畳み掛けますが、どちらかといえば未熟というか成長途上の主人公を想像させます(冒頭「誰かのために……気づいた」も思春期っぽさがありますね)。花の生長には雨も必要ですが、まだ弱い花に対して過酷すぎる雨だったのでしょう。

ばいばいきっと居ないよ 会いたいよって居ないよ
会えばきっと痛いよ 期待もしないよ

ひらがなで書けば以下のようになります。

[い][い]きっと〈い[い]よ〉 [〈い][い]よ〉って〈い[い]よ〉
きっと〈い[い]よ〉 〈き[い]も〉〈し[い]よ〉

〈イ・ア・イ・オ段〉の音が繰り返されており、感情の溢れるようなフレーズの裏には緻密な計算があるようです。

最大級の愛で どしゃぶりの雨だ

先程までの詩的な「朝露に濡れた」が、直情的な「どしゃぶりの雨だ」に置き換えられ、哀しみを抑えきれなくなった印象があります。

泣かないよ 一輪花

激しい雨に打たれても「凛と立つ一輪花」でいたいから、泣くわけにはいかないんですね。「朝露」は「私」が零すまいとした涙だったりして……(妄想しすぎかと思いましたが、他のサイトでも類似解釈を見つけました)。

この後の「Ah__」まで聴いていると、こう言いながらも「私」は泣いているんじゃないか?という気がしますが。アニメーションでも最後で涙が伝ったような表現がされています。

分かりやすい言葉を使いながらも、絶妙に技巧を効かせた曲でした。修辞技巧を愛する評者としては「感情を豊かに溢れさせるうえで技巧が邪魔にならず、むしろ追い風になる例」を見つけて嬉しいです。

tuki. さんの紡ぎ出す優しいメロディーや、儚くも力強い歌声によって、歌詞の情感が一層まっすぐに伝わってきます。ぜひ聴いてみてください。

お読みいただき、ありがとうございました。