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耳障りなラジオ

「目刺焼くラジオが喋る皆ひとごと」波多野爽波
句を見て「季語は?」と思い読み返して「目刺が春なんだ」と。Wikipediaに『目刺(目刺し、めざし)は、干物の一種。カタクチイワシやウルメイワシなどのイワシ類の小魚を塩漬けした後、目から下あごへ竹串やワラを通して数匹ずつ束ね、乾燥させたもの。通常はそのままではなく、焼いて食べる。また「目刺」は春の季語のひとつでもある。九州、特に大分県や宮崎県においては、しばしば唐人干(とうじんぼし)と呼ばれる。日本の創作文化等においては、「貧しい食卓」の象徴として、「目刺一匹のみが白米のおかず」という演出が多くなされる。』とあります。小生、宮崎生まれですが「唐人干」を耳にしたことはありません。今回「耳障りなラジオ」のお話。

健康ライフ・・テレビを所有しないため覚醒時はラジオが常時オンです。多くは「NHKラジオ第2放送」を聴いていますが、就寝前や朝、ニュースなどは「第1放送」です。ここ数年徐々に「耳障り」が増えて不機嫌になることしばしばでしたが、数ヶ月前からの極め付けが「ポワン」の効果音なんです。平日(月から金)の朝5時半過ぎに「健康ライフ」が流れます。週ごとにテーマ(病気や臓器)を決めての病気や予防、健康に関する情報番組で毎回8分くらい5回連続のコーナーで、非常にためになるため欠かさず聴いておりましたが、最近「ポワン」「ピピン」などの効果音が挟まれます。まとめやポイントを言う直前に入ります、意図はわからんでもないのですが小生には非常に耳障りで、一瞬の効果音によってそれまでの思考が乱され不愉快になります。ここ数週間、番組から遠ざかっています。

英語の番組・・ついでに言わせてもらうと、以前から耳障りだったのは(笑)基礎英語のみならず多くの英語番組の中の日本語が貧弱なこと!勿論英語は正しいのですが、訳としての日本語がお粗末です。典型が「お父さん・お母さん」・・「私の父は教師です」「母は自宅に居ます」などは全て「私のお父さん・私のお母さん」。親は「きちんとした敬語が使えないと育ちが知れる」と言っておりました。「私の父」「私の母」を使って欲しいと思うのですが。

子ども科学電話相談・・夏休み・冬休みに関係なく今では毎週日曜日にあるようです。この「子ども科学電話相談」での「次のお友達は」の表現です。なぜ「次の質問者」とか「質問する人は」と言わないのでしょう。なぜ友達でも知り合いでもないのに「友達」と言うのでしょうか?子ども向けの番組であるからこそ、英語番組も同様ですが教育番組であるからこそ、より正しい日本語をNHKには使って欲しいのですがね。

朝に限らず夜の番組でも、アナウンサーやキャスターが妙に燥ぐ(はしゃぐ)ようになりました。感情不要とは言いませんが、意味のないハシャギや時に幼児語のような言い方(トーン)など小生にとっては耳障りなんです。

ニュースの内容(原稿)も然り・・。折々に農産物の収穫についてのニュースが流れます。聴く前からニュースの筋書きが読めます。「夏に長雨だったがその後晴れが続いて、例年よりも小振りだけど甘みが強い」のように、いつもと違ってマイナスなことがあったけど結果は大丈夫!のような筋書き。農産物に限らず様々なイベントでも同様です。原稿の雛形があって「数字=月日や量」と「地名や氏名」などを入れ替えただけのようなニュース・・リアル感が薄いのです。

一方で毎回欠かさず聴いているのが「私の日本語辞典」。ゲスト毎に様々な視点で、日本語を見たり深めたりとそれはそれは興味深い内容です。進行役の秋山和平アナウンサーの日本語に対する情熱にはほとほと感心させられます。より正しい日本語とは? より品のある日本語とは? 日本語の持つ多様性とは?等々、毎回日本語とはいかなるものかを再認識させられます。「歩く日本語辞典」の面々がNHKには多くいらっしゃるのに、先に勝手に述べたような「耳障り」を指摘されないのでしょうかね。民法と違って「NHKの日本語」はより正しく、より品があり、日本語の拠り所だと思うのは今では過去なのでしょうか。

ウドン(AirPods)が短くなりました。ノイズキャンセリング搭載です。近々ノイズキャンセリングではなく「耳障りキャンセリング」搭載モデルが出ないでしょうか・・期待します。最後に句の解説を御紹介『私のようなラジオマンからすれば、句の中身は「ひとごと」じゃない(笑)。それはともかく、ラジオをつけっぱなしにして目刺しを焼いている作者は、少々ムシの居所が悪いと見た。どうせラジオは「ひとごと」ばかり喋(しゃべ)っているのだから、自分には関係はないのだから、いま大事なのは「ひとごと」じゃない目刺しのほうである。こちらに集中しなければ……。と思いつつも、少しはまたラジオを聞いてしまう。そしてまた「ひとごと」放送に腹を立て、またまた目刺しに集中する。そのうちに、しかし目刺しもラジオも「皆ひとごと」に思えてきてしまう。そんな図だろうか。目刺しは、あれで焼き方が難しい。黒焦げになったり生焼きになったりするから、これはもうしょっちゅう焼いている酒場のおばさんなどにはかなわないのである。ラジオをつけていてもいなくても、うまく焼けないので苛々する。そこで「みんなラジオが悪いのよ」と言いたくもなる作者の気持ちは、わからぬでもない。いや、よくわかる。ところで「ひとごと」は漢字で「他人事」と書く。最近のラジオやテレビでは、これを平気で「たにんごと」と読むアナウンサーやタレントがいるが、あれは何とかならないものか。「ひとごと」ながら、恥ずかしいかぎりである。『鋪道の花』(1956)所収。(清水哲男)』・・ラジオからの耳障りを所詮「他人事:ひとごと」とスルーできないカルノでした。

オリジナルは拙ブログ「connote」にアップしました。
http://connote.jp/2019/11/19/bbtime-399-%e8%80%b3%e9%9a%9c%e3%82%8a%ef%bc%81/

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