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子供の頃すでに自分の本質を理解していた

40代の今になってふと思い返すと、

私は子供の頃から

直感的に

自分の本質を理解していたような気がする。


自分に備わった才能、

心の脆弱な部分、

それに相反するかのような思い切りの良さ。


自分の中の野獣が悪さをしないようにと

人一倍の臆病さを授けられたのだと思っていた。


やがて大人になると、

弱さを克服すべく、

強く見せる表現を身に付けた。


しかし

本質の弱さが透けて見えて、

ひどく滑稽なことに

自分では気づかずにいた。


それからさらに時間が過ぎ、

勢いだけでは

ものごとを乗り越えられない年齢になる。


体力の減少と比例するように

気力の縮小を実感する。


剛腕の仮面を付け続けることに疲れると、

否応なしに本来の自分が

姿を現す。


本来の、

脆弱な自分。


その自分は

子供の頃に

自己分析していたものと、

まったく違わない。


一度は抗ってみた自分。

一度は仮面をつけることに成功した自分。


余分なものが削ぎ落されて再び現れた

本来の自分。


自分は残念ながら弱い人間だ。


しかし本来の自分には、

才能も備わっている。


その才能を伸ばしたいという

清い願望は、

淘汰されずに

自分の中に残り続けている。


その思いが

作り物の仮面ではなく、

自分の本質だったことを

嬉しく思う。


ここに来てやっと

自分の中にある

作り物と本質を

見分けられるようになった気がする。





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