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〈コラム/プシュケーの世話をする〉『呼吸している創造~不自由の中の自由』新井英夫×中津川浩章×安藤榮作@新宿区NPO協働推進センター

『光のダンス』撮影:坂巻正志 新井英夫、中津川浩章、安藤榮作のライブパフォーマンス&トーク『呼吸している創造~不自由の中の自由へ』より

プシュケーの世話をする

 2021年に身体に違和感を覚え、2022年夏にALS確定診断を受けた新井にとって〈呼吸〉は生命に直結した切実な問題だ。全身の筋力が徐々に衰える病は、老化を倍速で進めるように自力で呼吸する力も奪っていく。生命をつなぐための〈気管切開〉の選択を最終的に決定するのは本人である。切開を選択した場合は本来の〈声〉を失い、24時間の介護体制となる。切開を選ばなかった場合は〈呼吸〉が奪われてしまう。この難しい人生の選択を、今年の夏頃の新井は「まだ迷っている」と話していた。
 僅か14分間。息を止めたら誰もが死んでしまう存在であることは、私もなかなか自覚できない。空気は水よりも人間の〈いのち〉を支えている。しかし新井と自分が〈呼吸している〉意味は大きく異なるのだ。励ますつもりでかけた何気ない一言に、ある時「一緒にしないでください!」とめずらしく語気を強めた新井がいた。板坂を含む気まずい沈黙のなかで新井の深い孤独を感じた。病のある/ない身体の境界線は越えられない。私はなんと言えば良かったのだろう。今もわからないし、日々考え続けている。
 〈よく生きる〉ために「プシュケーの世話をせよ」と言ったのは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスだ。〈プシュケー〉とは古代ギリシャ語で「息/呼吸」を意味するが、転じて「いのち」や「こころ」や「魂」と訳される。ギリシャ語では〈蝶〉を、オーストリアでは面白いことに〈鏡台〉を表すというが、〈呼吸〉の思想はおそらく古代インドヨガ哲学のプラーナ(呼吸/息吹)に源流があるだろう。〈呼吸〉を1本の糸のように身体の内と外、私と宇宙をつなぐのがヨガ思想である。宇宙とつながるための〈呼吸〉を〈感染〉リスクから分断し、忌み嫌ったコロナ禍が人間にとってどれほど特殊な体験であったか。ここからの長い歴史の中で、いつか未来の人によって今の時代の異様さが炙り出されていくのかもしれない。今回の会場のように、〈やさしさ〉もまた空気感染することを思い出さなくてはならない。もっと〈プシュケー〉の世話をしよう。
 しかし「プシュケー」という音は、不謹慎な音楽家の耳にはどうにも面白く響いてしまうから困ったものだ。穴が空いた風船から空気が漏れていくようなこの音声言語は、きっと「呼吸音」を模して生まれたに違いないと思う。試しに小さく「プシュケー」と声に出してみる。なぜ「ケー」なのかと思う。ちなみにプシュケー/Psycheの英語読みは〈サイケ〉である。新井にぴったりだなと思う。
 この日の即興パフォーマンスも、世界に穴をあけるように新井の呼吸音から始まった。私の耳にはそれがどうしても「プシュケー」と聞こえてしまう。新井は「プシュケー/いのち、プシュケー/こころ、プシュケー/魂」と唱えながら車椅子で参加者の前にゆっくりと滑り出していった。三人の〈巡礼〉が始まる。

記憶の欠片

 安藤の斧から飛び散っていたクスノキの木片のように、記憶の断片を拾う。主催ARDAの三ツ木が、そのカケラが手から零れ落ちないように自身のFBに書き留めた記録がある。全体の流れは是非こちらを参照して頂きたい。
 このパフォーマンスが終わった時、3人のアーティストが口を揃えて「何をしたか、あまりよく覚えていない」と話したことが印象的だった。目撃者の記憶に深く刻まれたはずの〈美しい時間〉は〈夢〉に似た手触りだったのか。それは忘我や没入とも少し違う。アーティスト本来の自我やエゴ、表現欲求から自由になれた時間だったかもしれないと思う。動いていたというよりは、大きな力に動かされていたような。〈無私〉の感覚だ。パフォーマンスは始めから解りやすい”共演”ではなかった。三者それぞれがお互いの存在を全身で〈きき合う〉なかで、響き合うというよりも探りながら〈対話〉をするように進んでいった。心地よい緊張感や距離感を保った状態で、考えてみれば斧の音だけが響くとても静かな時間が生まれていた。
 〈美しい夢を見た〉記憶はあるのに、内容が上手く伝えられないことがある。こうして少し時間が経つと、さらにその感覚が増していく。イメージの断片は既に懐かしい手触りとなり、安藤の斧の音さえ輪郭がぼやけてくる。しかし隣席の人が休憩時間に分けてくれた手の中にある小さな木片は、確かに会場を満たしたアロマを未だ放っている。厄除けでもあるクスノキの香りは樟脳、昭和のタンスの匂いである。その欠片をくれた人は、新井と板坂の〈関係性の美〉に惹かれ、車椅子に乗る前の新井は知らないと話していた。ふたりの新しい時間が確実に積み重ねられていることを実感する。
 香りに導かれて、記憶の欠片を拾い集める。新井の呼吸音、安藤のしなやかな背中と斧の音とリズム、ぽっかりと穴の開いた中津川の大きな青い絵、〈13日の金曜日・大安〉から始まる新井の即興詩、120名の蛍の光、床に置かれた立方体の白い光、飛び散る木片の落ちる場所、昨夏以来の再会となった友人・知人たち。パフォーマンスの最初に一瞬だけ鳴った新井の電動車椅子の〈ピーピーピー〉は偶然か。バスケットゴールが引き上げられていく時の機械音も妙に心に残っている。

自由と不自由のあいだ

 今回の三人のアーティストの〈不自由〉とは何だろう。〈芸術家に共通する不自由〉と大きく括っても良いのかもしれない。表現する〈道具〉は声&車椅子、斧、筆(ブルー・バイオレット一色)。道具と一体化したアーティストの靭やかな身体をみていると、よい演奏家と楽器の関係とも通じる。安藤や中津川に対して、やはり圧倒的に〈不自由〉を感じていたのは本来の自由自在の身体から車椅子に乗り換えて間もない、ままならぬ身体で表現した新井だろう。しかし新井は実にのびのびと〈自由〉だった。声で踊り、呼吸で踊り、言葉で踊っていた。〈表現の自由〉は〈自由な表現〉とも違う。明治時代にLibertyもFreeも同じ〈自由〉と乱暴に訳してしまったのは誰だったか。〈自由とは何か〉と新井の〈不自由〉が問いかける。
 興味深いことに、パフォーマンス後のトークの中で『新井のダンスは車椅子に乗ってからどんどん良くなっている』と発言した三ッ木の感想をきっかけに、中津川からも同様の意見が出た。会場にも頷く人が多かったし、実は私も同様の感想を持っていた。
 それは決して〈ALSにもかかわらず〉だったり〈車椅子にもかかわらず〉だったりの、感動ポルノの延長線上にあるのではない。帰り際に新井と話して涙ぐむ人たちも、それは同情ではなく、やはり〈美しい時間〉に触れて自らの〈プシュケー/こころ〉が揺れたからだと思う。表出されている〈不自由〉にではなく、そのもっと奥の、表現の源流にある新井の〈プシュケー/いのち〉の本質が、身体が不自由になったことでむしろ伝わりやすくなったのかもしれない。それほど病を得る前の新井の身体は、頭の先から足の先まで自由自在に軽やかで、思い通りに動かせている印象があった。おまけに声まで大きかった。その〈過剰なまでの自由〉は太陽の光のように眩しくて、その奥にあるプシュケーを直視することが難しかったのだと思う。
 新井は日ごろ、「美しいものをみたい」とよく話していた。まさにこの時がその〈美〉だったのだが、「残念ながら自分は見れないんですよね」と帰り際に悔しそうに笑っていた。

120名が蛍の光になる 撮影:ササマユウコ

体育館の魔法

 今回、三ツ木が「制約が多かった」と話していた会場の〈妙〉についても触れておきたいと思う。前回の北区ほくとぴあの地下ギャラリーから一転して、今回は元中学校の〈元体育館〉だったことに注目する。偶然だが東日本大震災までの10年少し子育て中の新宿区民だった筆者にとって、会場周辺の街並みは懐かしいものだった。2011年3月末に引越しをして、その後に出会った新井によって馴染みの場所と再会する縁の不思議を感じた。
 少子化で閉校となった区立中学校が新たな社会的役割を担っていることにも時間の経過を感じた。ARDAがワークショップによって芸術と社会をつないできたNPOだからこそ実現可能となった企画である。元体育館と聞いて、最初はヒンヤリとした環境を想像したが、空調は行き届き、何よりも参加者のアットホームな雰囲気で体育館全体が暖かな空気に包まれていた。
 到着してすぐ会場の入口に近い椅子に座ると、「最後が見切れるかもしれないから」とスタッフの方から、奥のステージ上に設置された席を勧められた。即興パフォーマンスの最初と最後のシーンだけは決められていたと新井がトークで明かしていたが、学校の式典ならばPTA来賓席といったポジションである。少し気恥ずかしかったが、ステージの上からは、まるでパリコレ会場のランウェイのように白い紙が敷かれた体育館全体の風景が気持ちよく見渡せた。
 その風景を眺めていると、半世紀前に〈やる気のないラジオ体操の見本〉としてステージにあげられた小学校の体育の授業をふと思い出した。あの時、自分は一段高い目線から何を思っただろう。怒られているはずなのにどこか愉快だった気もする。体育館の暗幕が作る世界には文化祭や合唱コンクール、演劇部の記憶を思い出す。暗幕は退屈な学校生活の日常を非日常に変える魔法のカーテンだ。そういえば新井は、高校時代に体育館の緞帳につかまって、上まで引き上げられる遊びをして怒られた体験を楽しそうに何度も話していた(この体験は、この日の最後のシーンにも結び付いたのではないだろうか)。
 定時を少し過ぎた頃、暗幕がゆっくりと引かれ始めて会場が徐々に薄暗くなっていく。この瞬間のワクワクは、特に劇場や娯楽の少なかった昭和の子どもにとって、やはり舞台芸術の原点だと思う。2歳下の新井もきっとそうだろう。彼はこのワクワクが忘れられずに舞台芸術に生きる人である。
 スタッフが立方体に輝く小さなライトを会場の床に無造作に置き始めた。冬に似合う白い光がとても美しかった。

パフォーマンスの後。線と面の青い大きな絵にぽっかりと穴が空いていた。撮影:ササマユウコ

香りを聞く、パンツのしわ、希望の穴

 ALSには〈完全閉じ込め症候群〉と言われる症状がある。この病気が〈残酷〉と言われる由縁はここにある。自分の動かなくなった身体の内側に、まさに自分自身が閉じ込められてしまう症状だ。逆に言えば身体は動かなくなっても、その内側には変わらない〈その人〉が生きているということだ。近年研究が進む中で、視線入力で生きるALS患者にアンケートを取った岐阜大学の事例がある。〈驚くべきことに、患者さんのなかには過酷な現状にも満足し、生きることに対する意欲を持つ人がいる事実が示された〉と報告されていた。他にも、病を受け入れて「動けないからこそ見える、聞こえる、感じる世界」を提示して62年の生涯を終えた人の記事も読んだ。一方で病を絶対に認めずに閉じ込められながら闘っている人もいた。不条理な病によって炙りだされるのは、やはり〈その人〉それぞれの人生観に他ならない。
 この日、安藤が斧で飛び散らせたクスノキの香りを〈いい匂い!〉と最初に全身で〈聞いた〉のは新井だった。香道には〈香りを聞く〉という表現があるように、〈嗅ぐ〉のではなく全身をひらいて〈聞く〉のである。病を得ていっそう全身の感覚が研ぎ澄まされた新井にとって、世界はシェーファーが言う〈鳴り響く森羅万象〉そのものだろう。車椅子で目線が降りて、子どもの頃のように地面の花や石や動物の愛おしさに気づく。手が動かなくなって、直せない〈パンツのしわ〉が気になって仕方ないと会場を笑わせていた。
 羊水に浮かぶ胎児の頃に空いた耳の穴の記憶はすべて脳内に蓄積されていると聞いたことがある。もし仮に(そうならないことを願っているが)新井が新井の内に閉じこめられてしまっても、目の穴、耳の穴、鼻の穴から内と外、そのままの新井が世界とつながっているのだ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚までは奪われないということは、この病の救いかもしれない。
 ブルー・バイオレットだけで描かれた中津川の絵が、電動で動くバスケット・ゴールによってゆっくりと吊り上げられていく。緞帳にぶら下がった10代の新井のようだ。青一色の線や面には、その時に感じ取った〈音〉も記録されていると中津川が話していた。露わになった大きな青い絵には偶然ぽっかりと〈穴〉が空いていた。70年代のオノ・ヨーコが自由や解放へ向かう入口として作った「A HOLE 空をみるための穴」を思い出す。新井の〈穴〉も世界につながっている。それは未来であり希望である。

まだ名前のない世界

 あらためて、このイベントの主催がワークショップを軸に芸術と社会をつなぐNPO ARDA(芸術資源開発機構)だったことの意義を考えたい。例えばフルクサスのハプニングのように、芸術だけの文脈でこのパフォーマンスが実施されたとしたら、まったく違う雰囲気や意味が立ち上がった可能性もある。良し悪しの問題というよりは、この差異にはやはり〈社会〉へのひらかれ方があると思う。先述したように、体育館のステージ上から眺めた会場全体には暖かく清々しい空気が流れていた。〈芸術〉の場につきものの〈変な緊張感〉や〈静寂〉、何より〈気取り〉がない。面白いことに隣席の初対面の人とも気軽に会話ができる。
 パフォーマンスの途中で子どもが声をあげても、それは当たり前の風景として誰も気にしない。電車やバスの中もこうなればいいのにと思う。全国各地の福祉施設や学校やコミュニティといった多様な場で実施される〈ワークショップ〉の延長に生まれた〈新しい表現〉なのだと思う。3人のアーティストは似て非なる芸術性をもつが、他者に対する〈寛容さ〉や〈やさしさ〉、ひらかれた人間性は共通しているからこそARDAと長年仕事をしてこれたのだろう。だから〈私〉に固執せずに、自由に手放すこともできるのだ。

 それは〈慣れあい〉とも違う。最小限の音で展開する即興パフォーマンスには、ハイ・アートの場ならば思わず息を潜めてしまうような静寂が流れていた。しかしクスノキの香りに包まれた参加者の呼吸は、むしろリラックスしていたと思う。30分の予定だったパフォーマンスは結局50分になったと聞いた。その間、新井の呼吸も乱れることが無かった。安藤の彫り上げた人型が〈仏〉となって現れ、その傍らで白い布を被って顔だけ出した最後のシーンの新井もまた観音様のようだった。一瞬、会場に宗教的で厳かな空気が生まれた。私は最近出席した叔母の葬儀を思い出す。新井は毎回お葬式をしているのかもしれない。舞台芸術の原点とは、やはり祈りの儀式やお葬式なのだと思う。
 未来の芸術の場に名前がつくのは、きっとこれからだろう。

夢の場所が体育館に戻っていく。右端は中津川さん&安藤さん 撮影:ササマユウコ

ケアする人たち

 今回も〈ケアする人〉板坂の存在は重要だった。終演後に〈介助と表現のあいだ〉が難しく、自分の〈関わり方〉を模索したと話していた。もはや文楽の黒子が目指すような高度な〈芸〉の域である。新井の足を、新井が自ら動かしているように動かす。動かしたいと願っているのはもちろん新井である。その〈気持ち〉をアイコンタクトで察して、彼女が主導ではなく新井の意思を優先して動かす。それはまさにALS患者として生き始めた新井との生活、日々のケアのなかで生まれた関係性そのものだろう。〈阿吽の呼吸〉は簡単にできるものではない。だからこの非言語コミュニケーションにも時おり〈不具合〉が起きると、新井がトークの中で話していた。偶然性の妙は芸術のなかでは〈おいしいハプニング〉として生かされていく。
 途中、新井が笛でおなじみのフレーズを吹き、その後唐突に車椅子の座面を〈妙に〉高くして走り始めたシーンがあった。新井が立ち上がったかのような頭の高さとなった。急に空へと近づいた浮遊感には、神々しささえ宿った。このシーンはお気に入りであったが、実は〈ふえ〉と〈うえ〉を聴き間違えた板坂の誤操作から生まれた〈ハプニング〉だと明かされたのだ。ああ、面白い。これがパフォーマンスの醍醐味であり、やはり〈即興とは生きること〉だと思う。
 新井はその話に続いて、昨今のAIが障害のある子どもの描いた絵を〈きれいに整えてしまう〉ことの功罪に触れた。テクニックだけが前面に出てしまう”完璧な”バレエの表現にも疑問を呈した。今の社会の生きづらさには、人間に要求されることが高度になりすぎた問題があると言われる。障害者であっても〈秀でること〉が暗黙のうちに求められる。〈普通のサラリーマン〉を目指す若者にも高度すぎるスキルが求められると、誰かがSNSで問題提起していたことを思い出す。
 これは〈不自由の中の自由〉を考える上でも大事なことだと思う。いつの間にか社会から〈不自由のままで生きる〉ことの「自由」が奪われているのだ。芸術と福祉はこの〈生きづらさ〉をアンチテーゼとして可視化し、社会に問題提起できる分野でもある。特にアートとケアが出会った時、そこには柔らかで〈新しい知〉が生まれる。
 近代以降に〈神〉の代わりとされた偉大な天才の物語ではない。人間はたったひとりで、ひとりだけで偉大であることなど、あり得ないからだ。そもそもアーティストは〈偉大〉で在る必要など無いのである。そのままで、ありのままでいい。そして芸術を支える多くの人たち、ケアの仕事を可視化する。アートとケアが響き合う関係性を〈新しい表現〉として提示する。会場スタッフ、参加者、アーティストがフラットに関わり、和やかに響き合う場の在りようを、音楽の世界では〈ミュージッキング〉と呼ぶ。正解のない〈才能〉で圧倒するのではなく、関係性の音楽として場が響き合うときに〈新しい芸術〉が生まれるのだと思う。
 新井の生活を日々ヘルプするOさんは、偶然にも新井の高校時代の同級生だという。繊細なアーティストの世話は大変ではないか?と尋ねたところ、『ふざけていた10代の新井君しか知らないので』と笑いながら話す彼だからこそ、新井もありのままの心身を託すことができるのだろう。〈ALSの新井さん〉がどのように変身していっても、耳の穴から、鼻の穴から、そして目の穴から、板坂やOさんはその本質を引っ張りだしてくれるはずだ。
 〈にもかかわらずオモシロク〉ありたいという新井の本質はやはり、体育館の緞帳にぶら下がっていた10代の頃のまま変わらない。不治の病を得ても、車椅子に乗っても、〈プシュケー〉の世話をしながら〈不自由の中の自由〉を追求してほしいと思う。

変らない人 舞台袖の新井英夫&板坂記代子、ヘルプで同級生Oさん 撮影:ササマユウコ

宇宙のオンガクとして

 2023年7月の『祝福へ~天と地の和解』は炎天下のお盆の最中に開催された。そこから秋分(カプカプ祭り25周年)、冬至(『わたしたちは同じ空を生きているか、きいているか』空耳図書館)、2024年夏至(『翻訳できないわたしの言葉』展の関連イベント出演)、秋分(カプカプ祭り)、そして今回の冬至1週間前・満月の日に新井英夫×板坂記代子と過ごしている。新井がALSの病を得てから、この縁そのものが既に大きな宇宙のリズムに組み込まれたような気がしている。この文章を書いている今日は2歳年下の新井の58歳の誕生日、そして明日は冬至である。 
 アーティストの芸術性と社会性をちょうどよく引き出してくれるARDAのシリーズ、この先も宇宙のリズムで続いていくことを望んでいる。素敵な時間をありがとうございました。
(※パフォーマンス中の写真はありません。文中の敬称略、何卒ご了承ください。)

<イベント概要>
※後日、映像公開される予定です。
出演
:新井英夫(体奏・ダンス)、中津川浩章(絵画)、安藤榮作(彫刻)、そして板坂記代子(包助者)
舞台監督:御園生貴栄
撮影:阪巻正志
制作:三ツ木紀英
主催:NPO 芸術資源開発機構(ARDA)
スケジュール:
14:00-14:30 3人のライブ・パフォーマンス「呼吸している創造ー不自由のなかの自由へ」
14:30-14:50 休憩
14:50-15:50 3人のトーク「呼吸している創造ー不自由のなかの自由へ-」
場所:新宿NPO協働推進センター 2階多目的室(旧体育館)
(新宿区高田馬場4-36-12 最寄り駅高田馬場から徒歩15分)
日時:2024年 12月15日(日)14:00-16:00 開場:13:30

仏が生まれた 撮影:ササマユウコ

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