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【参加レポート】事業構想ツアー2022夏 2日目@小浜

2日目の始まりに
ツアー1日目は、マリーンステーション小浜視察、クルーズ体験の後、傾聴によるヒアリングについて学ぶセッションを持った。夜にはマリーンステーションの長年の顧客の方々が一番大切にしたいものは何か?最も語りたい事は何か?この点を意識しながら、小浜の新鮮な海の幸と野菜をふんだんに使った和食に舌鼓を打ち、酒を酌み交わした。会話は弾み、夜はあっという間に更けていったように感じた。
顧客の方との会話を通して印象的だったのは、ビジネス側と顧客という垣根を超越した距離感で接しておられること。そして、オーナーに対する尊敬や家族愛に似た感情を持っておられる点だ。私がお話を伺った名古屋で居酒屋を経営されている加藤さんの口からは、オーナーの仕事に対するひたむきさ、真摯な姿勢、顧客への媚びへつらいが一切なく自分軸がブレないこと、年齢を重ねてなお溢れる仕事への情熱などに対する数々の尊敬の言葉が紡ぎ出された。
1日目のコミュニケーションで、顧客のニーズはかなり聞くことができたように思った。しかし依然として、今回のツアーの主人公、西野さんとお父様の本質的な願いははまだ聞けずにいた。

フィールドワーク
2日目のフィールドワークで町に出るにあたり、私自身は2つ視点を中心に据えて町の視察、グループ別調査に取り組んだ。
1つ目は、顧客とビジネスの距離感について。敬愛の念を抱く顧客のマインドセットが醸成される背景は何か?マリーンステーション小浜の顧客の方々のオーナー(ビジネス)に対する近い距離感は、マリーンステーション小浜に特有のことなのか、それとも小浜の文化や環境の影響があるのか、これを検証したい。
2つ目は、小浜の歴史・文化・観光のうち小浜ならではの資源で、マリーンステーション小浜をより魅力的な存在にすることに資するものは何か?という点だ。

情緒あふれる町並み:三丁目(飛鳥・香取エリア)
2日目の活動は、国の重要伝統的建造物群保存地区である、三丁目の散策からスタートした。
三丁目は柳町、猟師町、寺町を総称と伝えられている元茶屋町で、狭い路地のある通りには、千本格子の家やお店が軒を連ねた当時の面影を残す情緒ある町並みがみられる。私たちが訪れたこの日は、猛暑のせいもあってか行きかう人の姿はほとんどなく、より一層静かで落ち着いた風情が感じられ、時間がゆっくりと流れているように思えた。

蓬嶋楼
蓬嶋楼は三丁目にある内部公開されている旧料亭。明治期に建てられた建物で、当時の造りのまま保存されており、タイムスリップしたかのように当時の雰囲気を体感することができる。
明治から昭和期にかけては料亭が営まれており、往時には多くの財界人が訪れたそうだ。建物内は丹後街道沿いの商家町の建物とは趣が異なり、壁に設けられた小さな窓、竹で作った袖壁、角度により組子の見え方が変化する欄間、建築当時は非常に希少で高価であった吹きガラスをはめ込んだ戸など、細部に至るまで職人のこだわりと技が光る建物だ。
調度品も一枚板の欅のテーブルや木製のシャンデリア、有名書家の作品や屏風など、私のような素人でも一見して貴重なものだろうと推察できる、本物が醸し出すオーラをまとった立派なものばかりで、当時の繁栄ぶりがうかがえた。江戸中期から明治30年頃まで物資と文化を運んだ、海の大動脈・北前船のもたらした富は一度の往来で現在の経済価値に換算して一億円ほどの利益をこの地にもたらしたそうだ。70歳くらいなのだろうか、モチベーションの高さが伝わってくる男性ボランティアのガイドさんが、目を輝かせながら熱い語り口でそう説明してくれた。

ボランティアの方による説明

庚申堂
蓬嶋楼から少し歩くと庚申堂がある。庚申堂は各地に見られるが、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰の仏堂だ。[3] ウィキペディア 庚申信仰

庚申堂

身代わり申(猿)
庚申のお使いの猿をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るして、災いを代わりに受けてくれることから「身代わり申」と呼ばれている。[5] 奈良町資料館ホームページ
小浜では、平成二十四年に庚申堂再建四十周年を記念して大きさの異なる五つの猿を作り、各家の軒先に吊るすようになったそうだ。[4] 御食国若狭小浜|お菓子処 井上耕養庵 ホームページ(2022年8月15日アクセス)
庚申堂には様々な色と大きさの身代わり申が吊るされていて、落ち着いた街並みに鮮やかな色彩を添え、思わず足を止めて写真を撮りたくなる映えスポットになっている。各家の軒先につるされた申たちも、かわいらしいフォルムと色合いで、シックな色調の街並みにやさしいアクセントとして三丁目ならではの町の風景を演出していた。

軒先の身代わり申

古民家カフェ・Bonne-Cura
当日は、熱中症対策を十分に取るよう天気予報でも繰り返し呼びかけていただけあって、照りつける日差しがヒリヒリ痛いほど暑かった。乾いた喉を潤したくて、古民家カフェ、ボンクラさんに立ち寄った。我々は15名ほどのグループだったのだが、ボンクラさんの最大キャパシティは22名ほど。席は空いているように見えたが喫茶を断られた。
この対応は少し意外だった。この商売っ気のなさが、小浜のマインドセットなのだろうか。こなせないほどの多くのお客を受け入れて、提供できるサービス品質が下がるのなら、お断りすることを正としているのだろうか。
売上の観点で行けば、15名を一度に受け入れて、「アイスコーヒーしかありません」とか「今日のスウィーツはチーズケーキしかご用意ありません」とすまなそうな表情を浮かべて、選択権のないことをお客がやむを得ず了承するように誘導し、ものの1時間くらいで効率よく一日の売り上げをこなせてしまう恰好の好機ではないか、という考えが一瞬よぎった。しかし、すぐに思い直した。我々のようなビジターで満席になった店内に、地元の常連客がやってきた場面を想像すると、このカフェの魅力であると思われる落ち着いた雰囲気や、店主との会話などが台無しなのではないか。ボンクラの店主の頭にはとっさに常連客のがっかりした様子が目に浮かんだのではないだろうか。確かにロイヤルカスタマーの離反リスクを考えれば、15人の団体を断るのが経営者としての正しい意思決定なのだろう。
目先の一過性の利益を追いかけるのではなく、常連客を大切にする視点は、マリーンステーション小浜のオーナーの姿勢にも通ずるものがあるように感じた。
 
“みんなの別邸” GOSHOEN 
次に訪れた護松園は、江戸時代に現在の福井県小浜市を拠点に活躍した、北前船の商人「古河屋」の五代目が、小浜藩のお殿様など賓客をもてなすために建てた建物で、町にとって特別な場。小浜で暮らす人はもちろん、観光客、昔小浜で暮らしていた人などさまざまな人が気軽に集う“みんなの別邸” として生まれ変わり、誰にとっても開かれた集いの場となっている。 [6] 小浜のかけはしとなる、みんなの別邸GOSHOEN
この日は、若狭高校海洋科学科のみなさんが発案した、海洋プラスチックを意匠に取り入れた箸『ocean』のPop up shopが出店していた。プロジェクトメンバーの女子高校生2名が店頭で接客にあたっていて、地元のケーブルテレビらしき取材カメラも入り、注目を集めていることが見て取れた。
箸の町である小浜を盛り上げ、故郷の若狭の海を守りたいという想いと、その起業家精神は頼もしくもあり素晴らしいと思った。箸以外には、例えば、落としても割れない子供用のお皿やフォーク・スプーン等を作ってもよさそうだ。
GOSHOEN内の「みんなのリビング」のソファに腰かけ、濃いめのエスプレッソの苦みがちょうど良く効いたアイスラテは美味だった。この明るく開放的なスペースで手入れの行き届いた庭を眺めながら、各グループごとに車座になって、グループ別調査の訪問先とルートについて作戦会議をした。メンバーそれぞれがインスタグラムやネットで検索したが、これというものがヒットせず行き詰まってしまったので、ene COFFEE STANDの20代と思しき女性店員さんにおススメを尋ねてみることにした。親切にアドバイスをしてくれた。

GOSHOEN入り口のサインボード
GOSHOENみんなのリビング

グループ別視察
和久里のごはんや おくどさん:1000年先の食卓へ文化を紡ぐ
ランチは、小浜の道の駅に隣接した、おくどさんでいただいた。若狭の湧き水で育ったミネラル分豊富な若狭の海と里山の地元食材を豊富に(使用率は9割とのこと)使ったおかずと、おいしいかまど炊きごはんを中心としたお店。カフェ風の造りの、家族三世代が気軽に入れて「ちゃんと美味しい」をコンセプトとした、訪れる人が心躍るようにとの願いのこもった店だ。[8] 和久里のごはんや おくどさん  店の名前のとおり、おくどさん(かまど)で炊かれた白飯の美味しさそのものがごちそうで、魚料理、肉料理、汁物などどれも優しく体に良い味がした。

ひまわり米を育むひまわり畑
ene COFFEE STANDの店員さんによると、小浜の若者が遊びに行く先は、やはり海とのこと。それ以外には、我々の観察によれば庭で友人と集まってBBQしたり、アウトドアな活動が多そうな印象だった。 そんな中、この季節のおススメは夏季限定のひまわり畑だと教えてくれた。車を走らせ訪れてみると、稲田の広大なエリアの一角が一面ひまわり畑になっており、映えスポットとなっていた。写真を撮っているのは20代、30代が目に付くが、家族連れも次々と車でやってきては、ひまわり畑を写真に収めると、去っていった。滞在時間はせいぜい10分ほどだろうか。舗装されていない野趣あふれる駐車場があるが、近くには店らしきものは何もない。ここにかき氷やアイスコーヒースタンドでもあれば、飛ぶように売れそうだ。
このひまわりは単に観賞用ではない。ひまわりだけを肥料とした、花の名前がついたお米、ひまわり米の肥料となるそうだ。夏に一斉に咲き誇るひまわりは、その美しさとポジティブさで、見る人を元気にしてくれる。花が終わり枯れる秋には、細かく砕かれ、土に漉き込まれる。微生物の活動により有機物が増えてふかふかになった土に植えた苗を、稲刈りの時期まで大切に、成長を楽しみながら米農家さんによりひまわり米は育てられていく。手間も時間も通常の米の倍以上かかるそうだ。栽培農家の方々の想いのつまった米の肥料となるひまわり畑を堪能し、我々もエネルギーがチャージされた。[9] 株式会社 若狭の恵 - ホーム

ひまわり米の栄養となるひまわり

御食国若狭おばま食文化館
次に訪れたのは御食国若狭おばま食文化館。「御食国(みけつくに)」とは、古来、朝廷に「御贄(みにえ)」(「御食(みけ)」(天皇の御食料を指す)を納めた国のことを言う。古代、小浜は朝廷に若狭の海の幸や塩を献上する御食国の中心地だった。その後も、京の都に魚介類を運ぶ鯖街道の出発点として栄え、日本海航路の拠点である小浜で各地の食が交流して質の高い郷土の食が形成された。小浜市は全国にさきがけ「食のまちづくり条例」を制定し、その食のまちづくりの中心になる施設が「御食国若狭おばま食文化館」。 この日本最初の「食文化館」が市民と小浜を訪ねる人びとの出会いの場となり、日本の食の交流センターに発展する事を期待としてできた施設だ。[10] 御食国若狭おばま食文化館 1階にはおばまの食文化・歴史がわかりやすく展示してある。全国の雑煮の比較展示もそれぞれの土地の個性が出ていておもしろかった。
2階に上がると、若狭工房があり、小浜の伝統工芸である「若狭塗」「若狭めのう細工」「若狭和紙」の制作の一過程を職人さんのサポートの下、体験することもできる。私たちが訪れた際は、和紙のはがきづくり体験が行われていた。体験セッションで使用されている和紙原料は、職人さんの庭の敷地内から採取した小浜産こうぞだということだった。他にも箸の研ぎ出し体験などもでき、夏休みの家族連れが楽しそうに参加していた。
3階には、小浜湾を一望できる展望風呂「濵の湯」があり、朝から歩き回って疲れた体を癒すため、内部調査と称して入浴した。浴場は、海水浴帰りと思しき日焼け痕がくっきりと赤くなった家族連れなどで、とてもにぎわっていた。
露天風呂はさわやかな海風が頬に気持ちよく、ぬるめのお湯で長湯できる。小浜湾をぼうっと眺めながら極楽気分を味わった。入浴後はだるかった足もスッキリして、元気を取り戻した。

他のグループもそれぞれ小浜の魅力を求めて、様々な場所を訪れていた。平成の水百選に選ばれている雲城水給水所、名水を使用した夏の風物詩くずまんじゅうで人気の伊勢屋さん、ツーリングの人気ルート、エンゼルラインと美しい景色が一望できる展望台。中でも「みんなでつくる公園」をコンセプトとした、2022年7月にオープンしたばかりのSEE SEA APRKは注目株だ。この若狭地方で数少ない商業施設は、あおい町うみんぴあエリアにある。若狭を楽しむ旅のスタート地点、そして数々のチャレンジを受け入れるインキュベーション施設として誕生しており、次世代のまちづくりを牽引することを狙いとしている活気ある場だ。[10] SEE SEA APRK

平成の水百選:雲城水給水所
くずまんじゅうで人気の伊勢屋さん
インキュベーション施設でもあるSEE SEA PARK

2日間を振り返って
小浜には正確には1.5日の滞在であったが、時がゆっくりと流れているようで、実際よりずっと長く居たような体感を得ていた。この感覚については、グループの他のメンバーとも意見が一致した。
滞在中に心も体もリフレッシュし、エネルギーチャージができて元気になった。食事も空気もおいしく、美しい海と、歴史・風情ある町並みに癒された。商売っ気のあまりない飾らない小浜気質もこの土地の魅力だ。シンプルにまた来たいと思った。
小浜駅で解散の後、名古屋へ向かう車中、マリーンステーション小浜の今後について考えていた。参加メンバーからの意見にもあったように、ビジネスを引き継ぎ利益を上げることを成功と定義するよりは、オーナーである西野さんのお父様の想いと、そこに集う人で構築されたコミュニティーという資産を引き継ぐことが大切なのではないか。経営的には売上げ・利益増大を目指したいのはもちろんだが、同時に西野さんとお父様にとって悔いのない形を考えた時、それが全てではないことは誰もが理解している。この2つの異なる階層にある課題に対する解、落としどころを導きだすのは容易ではなさそうだ。
マリンステーションを盛り上げるために、フィールドワークで訪れた小浜固有のさまざまな資産をリンクすることはできるだろう。コア顧客の加藤さんは、小浜湾の大粒牡蠣を提供する牡蠣小屋や、グランピングの提案をこれまでにされているとおっしゃっていた。私の案は、エンゼルラインを目指すツーリング客を中心に、休憩・立ち寄りスポットとなるようなコーヒースタンドをシーズン限定で出すというものだ。いくつか案は思いつくことが出来た。

町に出るにあたり検証したかったもう一つの仮説、「顧客とビジネスの近い距離感を生み出す要因」については、小浜に通底する文化による影響と結論付けられるような明確な材料はみつからなかった。人間関係が希薄になりがちな都市部と比較して相対的に、人間関係は濃く近くなっていることは一般論の範疇で言えるが、マリンステーション小浜のケースは、オーナーの人柄による要素が大きいと考えるのが合理的に思えた。

答えは西野さんの中に
西野さんのお父様の人生と思いの詰まった、マリーンステーション小浜の今後をどうしていきたいか?1日目の夜、お父様から初めて西野さんに対して「継いでほしい」との言葉があったと間接的に耳にした。
2日間の合宿を終わり、参加メンバーは東京・名古屋・大阪方面へそれぞれ戻っていった。西野さんだけは滞在を延長し、もう一日小浜でお父様と時間を過ごすとのことだった。どのような会話があったのだろうか。西野さんの中にある答えが具体的に顕在化してくるのにはもう少し時間がかかるのかもしれないし、焦らなくて良いと思った。

合宿を通し、西野さんが小山先生始め我々参加メンバーに対して寄せて下さった信頼と、自己開示には深く感謝したい気持ちでいっぱいだった。自分以外の誰かの書いたケースを、これほど自らに引き寄せて考えられた経験は初めてだった。そして、今後も何かしらマリンステーション小浜に関わらせていただけることができたら幸せに思う。
2月の蟹の季節に再び訪れることを西野さんのお父様とお約束した。その頃には西野さんの中の答えが、見えてくるのかもしれない。

小浜駅にて

文:瀧澤真由美

参考文献
[1] 小浜観光・おばまナビ(2022年8月15日アクセス)
https://www.wakasa-obama.jp/modelroute/sanchomachi-obamanishigumi/
[2] 北前船とは(2022年8月15日アクセス)
https://www.kitamae-bune.com/about/main/ 
[3] ウィキペディア 庚申信仰(2022年8月15日アクセス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9A%E7%94%B3%E4%BF%A1%E4%BB%B0
[4] 御食国若狭小浜|お菓子処 井上耕養庵 (2022年8月15日アクセス)
https://inoue-kouyouan.jp/post-2069/
[5] 奈良町資料館(2022年8月15日アクセス)
http://naramachi.co.jp/migawarisaru
[6] 小浜のかけはしとなる、みんなの別邸GOSHOEN(2022年8月15日アクセス)
https://goshoen1815.com/?fbclid=IwAR1lAQDOnfNCOv5SX9c72_xjHZ-hz83PDizjy5FzJPl95w-YiGwthSlhwSg
[7]KOGEI JAPAN 若狭塗(2022年8月15日アクセス)
https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/wakasanuri/
[8] 和久里のごはんや おくどさん(2022年8月15日アクセス)
https://oros-ls.jp/okudosan/
[9] 株式会社 若狭の恵 - ホーム(2022年8月15日アクセス)
https://m.facebook.com/wakasanomegumi/
[10] 御食国若狭おばま食文化館(2022年8月15日アクセス)
http://www1.city.obama.fukui.jp/obm/mermaid/
[10] SEE SEA APRK(2022年8月18日アクセス)
https://see-sea.co.jp/

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