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それでも、世界は子連れに優しい

“お嫌じゃなければ、赤ちゃん抱いてましょうか?たまには、ゆっくり召し上がってください。”

都内某所のスープストックにて、赤ちゃんを抱えながら、6歳の娘とランチをしてたらお隣で静かに本を読んでいたご婦人が優しく声を掛けてくださった。“ゆっくりと食後の読書をしたいだろうに、隣が騒がしくて少し申し訳ないな…”という私の気持ちは、一瞬にして温かな安堵感に包まれていった。

生後5ヶ月の息子は何でもかんでも手を伸ばして口に入れたがる時期。テーブルの上にあるトレイや食器に手を出そうとする息子と食事をひっくり返されないように遠ざけながら食べる私の攻防戦がよほど大変そうに見えたのかだろうか…?子連れの母親に赤ちゃんを触ってもいいか尋ねるのはとても勇気のいるご時世なのに、それでもこのご婦人は声を掛けてくださったのだ。


「お話すると、どんどん仲良くなれるね」

6歳の娘がそう言った。確かに、席が間引かれている店内で、娘とお隣のご婦人は「どうして、使えない席があるの?」、「(自分たちが座った席の)お隣は使えるようになっているけど、なんで?」と、楽しそうに会話をしていたのだ。その流れで、ご婦人は優しいお申し出をしてくださった。娘が笑顔でお話してくれたお陰で、大人同士も仲良くなれたのかも知れない。

折角なのでありがたくご好意に甘えると、早速、ご婦人のピアスに手を伸ばす息子。ここでも私が“申し訳ない…!”と思った瞬間には、「あら、そうよね。ピアスしてたら気になるわよね。今、外すからちょっと待ってね。」と優しく対応してくださり、ものすごく自然に息子を受け止めてくださったので、私はすっかり安心してその包容力に身を委ねさせて頂いた。息子がぐずると窓辺で景色を見せてくださったり、扇風機を見せてくださったり、上手にあやしてくださったので息子もご婦人の腕の中にすっぽりおさまって心地よい顔になっていった。

お陰様で私と娘はゆっくりと落ち着いて食事をすることができたのだった。両手を使って食事を取れることが、自分で思っている以上に幸せで、心も身体も軽やかで驚いてしまった。両手を使ってする食事がすごく久しぶりだったわけではないはずなのに、びっくりするほど気が楽になったのだ。たった5分くらいの出来事だけど、肩の荷が降りて羽でも生えたかのように軽やかな気分。ひとりで赤ちゃんを抱えて6歳の娘を連れてのお出かけは、自覚している以上に緊張していたのだな…!


あぁ、子どもを産んで本当によかった。こんな優しい世界に触れられたのだから。こんな時代でも、世の中は子連れに優しい。娘の習い事前に、「時間に間に合うように食事を済まさねば!」と、少し焦っていた私の気持ちは、お隣のご婦人のお陰ですっかり晴れやかになった。ここへ辿り着く前の電車の中では若いお姉さんが席を譲ってくださったのだけど、ふと見ると近くに座っていた紳士も別の親子連れに声を掛けていらっしゃった。やっぱり世の中は、子連れに優しい。

素敵な出来事が続いたので、「今日はいい日だな〜」と、幸せな気持ちでいたら、帰りの電車でも若いお兄さんが「座りますか?」と、赤子を抱える私に声を掛けてくださった。座る席がなくてフラフラしていた娘を座らせて頂いたら、「中央線はいつ乗っても満席なんだよね」と娘が言い出して、席を譲ってくださったお兄さんが笑っていた。ここでも娘はお話して仲良くなろうとしているようだった。


子育てしにくい世の中だと言われる時代。もちろん、憤りを感じることは私にもある。だけど、それでも世の中は子連れに優しい。そう私は信じることにしている。娘が生まれてからの6年間、見ず知らずの名前もわからない方々にどれだけ助けて頂いたことか…!生まれて半年にも満たない息子もいろんな方にお世話になっている。子連れで冷たくされたこともあるはずなのだけど、優しくされた出来事を数えて生きることにしたら、ほとんど忘れてしまった。

こうやって呑気に優しさを受け取っているうちに、私も見ず知らずの親子連れに遠慮なく声を掛けられるようになった。こどもが生まれる前も親子連れの方々や、妊婦さんや年配の方に席を譲ったりしていたのだけど、「迷惑じゃないかな?」、「余計なお世話かな?」と、いろんな考えが頭を駆け巡り死ぬほど緊張してドキドキしながら声を掛けていたのだよね。でも、自分が声を掛けられる側を経験したら、自然に声を掛けられるようになった。断られても、「余計なことしちゃったかな」ではなく、「あ、必要なタイミングじゃなかったのね」とさらりと流せるようになった。

優しさが循環していくことで、きっともっと子連れに優しい世界になっていくのだ。この出来事で、私は今日もそう信じることができたのだった。



3-5年後に家族で世界に飛び出します、たぶん◎