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不登校と、母と、ルミナリエ

高校2年生の途中から、わたしはほとんど不登校だった。

周りに靄がかかり未来が描けない。
一度選んだつもりの現実をどうしても受け入れられず、ぴたりと足が動かなくなった。初めは朝起きられず、お腹が痛くなるので体調不良で休んでいるうちに本格的に行けなくなった。
どうしようと焦るものの抜け出し方も分からず、ただただ鬱屈した時間だけを消費する毎日。
『自分=やるべきことをこなせない堕落した人間』という強烈な自己像にぶち当たり、当時の自尊感情は地べたを這いつくばっていた。

そんなことはなくて、自分が本心からやりたいこととやりたくないことを整理し言葉で主張できなかっただけだと思うが、とにかく未熟だった。
そう自覚した上で振り返ってみてもなかなかに苦しい時期を過ごしたが、ありがたいことに母は無理やり学校に行かせようとすることもなく、成り行きを見守ってくれていた。
一度だけ、暴れながら拒否する私を無理矢理心療内科に連れて行ったことがあったがそれきりで、あとはひたすら待ちの姿勢をとってくれた。親としても非常に長く苦しい時間だっただろう。

そんな鉛色の不登校時代のある日、母が旅行会社のパンフレットをもらってきて「ルミナリエをみにいこう!ふたりで!」と言い出した。
不登校の分際で旅行なんて…と乗り気ではなかったが母に押し切られ、バスツアーで神戸に行くことになった。
私には姉(当時既に大学で家を出ていた)と弟がいるので、母と2人きりの旅行はとても新鮮だった。

神戸ルミナリエ(こうべルミナリエ)は、1995年から12月に神戸市の旧居留地で開催されている祭典および、開催期間中に電飾が施されているエリアの名称である[1]。独特の幾何学模様で構成されたイルミネーション(電飾)を通りや広場へ展示することによって、昼間とは異なる風景を現出させている。(中略)
阪神・淡路大震災の発生を契機に鎮魂と追悼、街の復興を祈念して震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的で毎年開催されている[7]。

wikipediaより


そのバスツアーは、途中アウトレットに立ち寄るコースだった。
「何でも買ってあげるけん気に入ったのあったら教えてね!」
母は、すこしでも「かわいい」と言おうものならその服を握りしめてレジへ向かおうとするので、あまり気に入ったそぶりを見せないように気をつけた。こんな自分にお金を使わせるのが申し訳なかったが、母の気持ちも収まらないので色々考えた結果、7000円くらいの白いコートを買ってもらった。母はもっとあれこれ私に買いたそうだったけれど、それで手を打った。(覚えていないだけでもっと買ってもらったかもしれないが、そういうことにしておこう)

その夜、冬の刺すような空気の中、生まれて初めて見たルミナリエは本当に圧巻だった。
無数の色の光が氾濫するアーチの中を、人混みに混ざり母と手を繋いで歩いた。何処でもベタベタと手を繋ぎたがる少女性の強い母のことを幼く感じ、当時は恥ずかしかったけれど、知らない土地だからいいやと開き直った。
母はずっといろんな話をしていたけれど、内容は覚えていない。楽しそうにする母をみて、ずっと後ろめたかった。こんな落ちこぼれの娘で申し訳ない、と胸が締め付けられた。
未だ自分の言葉を持てなかった16歳の冬、母と見たルミナリエは本当に美しかった。

春になり、出席日数が足りず留年が確定し、わたしは高校を退学することを決めた。

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