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だめな日

そんなときは諦めるに限る。

まず、昨夜こどもと一緒に寝落ちしたのち変な時間に目が覚めてしまい、そこから考えごとや不安が襲ってきて眠れなかった(←伏線)
戦う前から既に負けているようなものだ。6時頃にふたたび寝てしまい、当然の如く寝坊。
今日からこどものお弁当が始まるというのにお米を炊くのを忘れていたのでダッシュでコンビニへ。お弁当用のおにぎりとおかず少しと朝食を買ってなんとか間に合わせる。冬休み期間、めいっぱい帰省して留守にしていたため上靴も洗ってなかった。ごめん。平謝り。うちの母も大概うっかりしていたがここまでダメ人間ではない。

そして、駄目押しの、雨である……

——— 絶望感。


その昔流行ったCoccoという歌手のRainingという歌に


今日みたく雨ならきっと泣けてた

という歌詞があるが、その逆で、
あまりにも今日の気分とコンディションにtoo muchだったので、あ、今日はもうだめだ。と悟った。

感情の機能をオフにして淡々とこどもの支度をする。下の子(幼稚園)の送り迎えは電動自転車だ。こどもの座席には個室のようなレインカバーをつけているので、こどもは濡れないのだがわたしはレインコートを着ても手と顔面はびしょ濡れである。雨というだけで登園させるのを諦めたくなるくらいには気分がどんよりする。

それでも家にいたらいたで何も捗らないためなんとか送り届けて家に戻り、家事も仕事も山積みだが何もする気が起きずダイニングの椅子に座って長い間放心していた。見かねた夫に「レインコートくらい脱いだら」といわれる。夫も低気圧で心なしか調子が悪そうだった。そんなときにこんな暗い顔の腑抜けた人がいたら、きっと目障りだろう(被害妄想)

夫が出社し、ひとりの静けさが訪れほっとしたものの、こころがどうしようもなく落ち着かない。
手っ取り早く満たされたいので、冷凍庫にる去年の年末に買ったままだったアイスを食べてみた。ジンジャークッキー味で、クリスマスのパッケージだったのがどこか侘しく感じた。味は美味しい。それでも心は微動だにしなかった。身体が冷えたので紅茶を淹れて飲んだ。普段なら幸福感を感じる行為だが、手応えなし。無心で絵を描いた。少しも、心が晴れなかった。

描いた絵

なんだなんだ?何にも効かないぞ。
涙が出てきて、気づくとわんわん泣いていた。
「ごめんなさい」という言葉が自動的に湧き出てくる。ごめんなさい、ごめんなさいと言いながら子供みたいに大声で泣いた。

思い返せば出産の時も「まだ力入れないでねー」と言われたにもかかわらず勝手にお腹に力が入ってしまうたび、朦朧とする意識の中で「ごめんなさい、ごめんなさい」とうわごとのように呟いていて医者に笑われた。

—ごめんなさい。
何を謝っているかはわからないけれど、
ふしぎと落ち着いていく。
—ごめんなさい。
だれに?別に誰かに謝ったからゆるされるとも思ってはいない。
ただ、泣けるだけまだマシなのだ。

ひとしきり泣いてほんの少しすっきりしたあと、あ。と思って月経周期アプリを見る。
「あー、はいはい…きみね。きみのしわざね。完全に理解した。」
昨夜の不安の正体もきみだったんだなぁ。PMS氏とのこのやりとり何度目だろう。
心が死に、全部ぶち壊して人間を辞めたくなるとき、ハッとしてアプリを見ると十中八九そうだったりする。

だが今日は複数の原因が重なっていてやっかいだ(症状が重い時は大体そうだ)。

コンディションの悪さの原因を自覚していても、しんどさ自体はそこまで変わらない。そんな時には「素晴らしい人間に近づきたい」という幻想を諦める。いまだかつてそんな素晴らしい人間であったことはないが。

家族には伝えて先手を打って謝っておこう…だめな時は受け入れる。諦めが肝心。なんにもしないしがんばらない。
からだをあたためる、だけやろう。

🍵

そんな日。


おしまい。

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