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空飛ぶペンギン

ペンギンの水槽はたのしい。
泳いでいる時の空を飛んでいるような流線の優美さ。美しく愛らしいアールの形。その羽毛から小さな泡たちが大量にぷくぷくと登っていく様。
ペンギンに限らず、クラゲも蟹もトラフザメもコブダイもイルカも猫も犬も、どんな生き物も漏れなく美しい。
(じ…Gは苦手…ごめんなさい…)

かつての私は、“コントロールできる”という自分にとっては得体の知れないものに一生憧れまくって、それが是だと盲信していた。そうではない自分は「できない側」であると。「才能がない側」「迷惑をかける側」の人間なのだと。

長年自分を否定しつづけることは、本当に自信と気力が奪われ、生きてる感じがしないので経験した上でおすすめできない。
理想や憧れがあることは、その副産物として色々気づきを得られればダメでも無駄でもない。
けれど闇雲に、間違った方向へ思考を巡らせては潰され動けなくなるループからは抜けたかった。
その負のループの経験すら、それがなければ変わろうと思えなかったかもしれないので無駄じゃない。人は余程追い込まれないと心底変わろうという気持ちが産まれない気がする。
でもそれも結果論かな、中にいるとただただしんどいことは確かだけど。

抜け出す答えは簡単で
『ペンギンは泳げるけど空は飛べないよ🐧』
良い/悪いじゃなくそれだけのこと。
それだけのことに気づかなかったりする。ヒト同士だと、自分もそうなれる気がしてしまう。そしてその人の一部分だけをみて「できる側の人」と錯覚する。

わたしは『頑張れないだめな“人”』だったのではなく、明後日の方向に進もうとして『気力が奪われていた“状態“』だっただけかもしれない。
ペンギンなことに気づかず、ずっと飛べないことを嘆いていただけかもね、と思う。すべてのことは、見るの怖い知るの怖い、を乗り越えて『今の自分を見て、知る』ことでうまく回り始めるのかもしれない。

わたしに気力が戻ったのは、まちがいなく人との出会いによる気づきと、『見てみるとこわくなかった』『動いてみたら大丈夫だった』という成功体験と、物の見方の練習や自己認識の修正。
自分自身が少しずつ変化をしていくことで、生きるためのエネルギーが回復してきた5年間だったなと、とても強く実感している。

もうある程度諦めはついているので、受け入れようじゃないかと感じる今でも、引っこ抜いたと思った空への憧れがうっかり芽吹いて、じたばたするとき、まだあるな🌱🐧🕊
だって素敵なんだもの…わたしにとって永遠に魅力的なのです。
昔と違うのは、卑屈になるわけではなく本当にその人の在り方自体を素敵だなぁと思うし、一瞬比較して自己否定をしかけても「あ、違った違ったわたしはわたしで素晴らしい」と軌道修正ができる、というありがたさ。そしてこうありたいという自分の個人的な願いを他者に投影しすぎるのもよろしくないですね。


むかし作った歌のなかで

今、こえていく
息を吐いたら
あたたかい意味を持つから

parrallel/粉茶

鳥のように 風を読めずとも
木々のように 旅人癒やせずとも

parrallel/粉茶


という詞を書いた。

息を吐く…

こぼれ落ちたためいき。
憂鬱。絶望感。
深呼吸。安堵。一区切り。
じぶんの手をあたためるための。
冬の寒さと厳しさから大切なあなたの手を守るための。

さて、どんな意味にしていこう。
じぶんにできることを、一生懸命やってみることで、変わっていく。
わたしがいる理由はただそれだけのことだ。

わたしは、じぶんの足で地面を蹴り、サンキャッチャーで集めた光を、やさしくきらきらと乱反射させたいと願っている。
そしてまた、暗い場所でこそ美しさが増す光もあり、それを見つめていたいという欲求も間違いなくある。

固有の光。固有の形。固有の色。
観測する環境要因には揺るがないものなどなく、固有でありながら常に見え方は変わりつつづける。
わたしはそれを見つめ、願わくば、他者のそれとも共存していたい。

現実…現実。それはそれとしても。
ファンタジーと創造力を活用すればこの世は楽園にも地獄にも姿を変えられるものね。🐧ふふふ…
両者を軽やかに行き来できれば、受け入れ難い現実も、ほんの少し楽しくなる。ありがとう、脳。

どちらかというと、わたしは空より海に憧れてるのですけどね。🐧ふふふ

おしまい

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