演奏会評記録② 今月の演奏会批評=東京=より(音楽芸術1960年6月号)

3月と4月の音楽会から

 すこし前後するが、まず2月23日の「国立ウィーン合唱団」から、はじめよう。その「”ウィーン合唱団”とはなにか?」ということ。これが、かの高明な Wiener Akademie Kammerchor とは別のグループであるのは、いろいろな事柄に即して判断しても、まず、まちがいない。だがそのメンバーの交流がどうなっているのかは、定かではない。たとえば、東京のある音楽学校Xで地方からの仕事をたのまれたばあい、臨時編成のグループに「X音校合唱団」という名称をつけるのに対して、事情にもよるが、まずあまり異議はないだろうし、それに名称そのものが不当だとも、いちがいにいえない。問題は、名称よりもの実態にある。
 1925年生まれのトマス・クリスティアン・ダヴィドにひきいれられた24人のメンバーからなる混声合唱団「Vienna Academy Chorus」(なぜか、ドイツ語のスペルがプログラムに、まったくみあたらない)は2月23日に東京で第1回演奏会を試み、以後約ひと月半ほど、日本に滞在した。曲目編成の特長は、「ウィーン色」に統一され、表現にもそれが、よくあらわれている。ピアニッシモのハーモニーに特色づけられるパレストリーナの《教皇マルチェリウスのミサ》よりの「キリエ」と「サンクトゥス」ほかの教会音楽三曲は、ドームでうたうよりは、むしろ演奏会場にこそ、ふさわしい表現だったし、モーツァルトのコミックなアンサンブルを合唱でうたった三曲では、バッハ・ブッフォの動きが面白くとらえられていた。
 つづいて、民謡。まず、合唱団員によるウィーンの「シュランメル四重奏」(ヴァイオリン2、ギター、アコーディオン)風のアンサンブルでは、わざと音程をはずして、いかにも田舎の楽隊の風の演奏(モーツァルトの有名な《ふざけた音楽》には、《田舎の楽隊の六重奏》という曲がある)であったし、ひなびた衣装の指揮者をはじめとするメンバー全員が、チロル風の民謡をうたい、そして踊る。つまり、「ウィーン少年合唱団」のシニア版。さいごは、19世紀のウィーンの音楽で、ブラームスの《愛の歌》ワルツよりの六曲は、パセティクな表情のなかに、表現の特長がみられる(ピアノ連弾も、合唱団のメンバー)。しかし、もっとも性格がよくあらわれているのは、アンコールをもひっくるめたヨハン・シュトラウスのふたつの《ポルカ》。名前がどうあろうとも、このコーラスがほかならぬウィーンの団体であることは、全レパートリーを通して、うかがい知れる。そして、合唱の演奏会とは、なによりもまず、きき手とのあいだに劇場的な交流をもった楽しいものであることを、全体によって、しめしてくれた。「ウィーンでは、まずうたがあり、それをたのしむきき手がある」。でも、あんなに大きなプログラムが、一般的に、あるのだろうか? もっとも、その責任は、決してウィーン側にあるのではなく、彼らも同じように「日本では、あんなに…」とおどろいているにちがいない、たぶん。
 その次の週、3月4日に、産経ホールで、NHK主催によるオペラ公演(かつて《ヘンゼルとグレーテル》が上演されて以来、演奏会形式ではなく、かつ外国からよんだひとたちによるものではないオペラ公演は、二度目にあたる。もう少し活発に試みてほしい)。ひとつはオーケストラだけが立派に演奏され、ひとつは外国の名作の愚演であったのは、先月書いた通り。
 その月末(27日)「三人の会」があった。別にビエンナーレでもないようだが、1958年につづく第4回。団 [團] 伊玖磨の《二楽章の交響曲》は、同じ作曲者による映画《太平洋の嵐》の音楽よりは、たしかにシンフォニックだし、大きなオーケストラがただ鳴っているのは壮大であるのもまちがいないとしても、全体をひとつのまとまった演奏会用の作品として成立させる根本的な条件が、不足している。
 前作《ねはん交響曲》にくらべて、ことさらに《交響曲》と書かれてないのはそのためかどうか、黛敏郎の《曼荼羅 (まんだら)》は、より凝縮性をもっている。作曲者の意図のひとつと考えられた「弦楽器群は二つに等分して部隊の両側に並置することにした。右と左の絃楽器群の間を、音が交錯する方向感を伴った立体的効果も、多少考えられてはいるが、これが作品の目的ではない」そうだし、その効果は読売ホールでは全く不可能であった。そしてバロック的な《ねはん》にくらべて、これはまさしくクラシックともいえるほど整備され、ひびきにも新らしさはあったが、逆に簡潔な手法から考えると、《まんだら》はまだ全体的に冗長に思える。クラシックにしては無駄が多く、バロックとしてはつみ重なった各層のあつみが不足している。
 芥川也寸志のオペラ《暗い鏡》は、なによりも大江健三郎のリブレットに魅力があり、そしてリブレットを成功させたのは、芥川のいろいろな意味でのアイディアが、あずかって力の多かったのは、容易に想像される。作曲者は書いている。「《暗い鏡》は、原爆をテーマにした《青年のオルフェ》である」と。ここから判断すると、「原爆をテーマ」にしたのは、芥川が去年音楽を書いている田中千禾夫の《マリアの首》(新人会上演)と無関係ではないようだし、「今日の問題」として芥川=大江にもっともふさわしいテーマということができる。そして、《オルフェ》はギリシア神話や、モンテヴェルディやグルックのオペラや芥川好みのサティリックなオッフェンバックとは直接的な関連性はないが、コクトオのドラマと映画、ミヨーのために書いたアルマン・リュネルの [リ] ブレット、ストラヴィンスキーのバレエとは、無関係ではない。つまり、ユーリディスを通じて未来をかいまみようとする《オルフェ》のテーマは、このリブレットにおいて被曝した青年におきかえられ、実存主義的にあらわされている。現実に絶望したオルフェ––––––ではないケロイドの顔の青年は鏡を通じて未来に接し、それまで死をいとって極度にさけてきた手術の意義が、「人間の勇気にそれはつながる––––––手術のあと、すぐ死ぬにしても、未来にかけて意味がある」ことを信じて、鏡の中で知った若い娘との愛を虚妄でなくす、というただそれだけのために、あえて死ぬことをも承知で手術台にのぼる。この芥川と大江による《暗い鏡》は、長崎弁による《マリアの首》のモティーフとの関連性を、いちじるしく印象づける。それは芥川が作曲家として直接かかわりあっていたからというより、昼は看護婦であり、夜は春を売るケロイドの女鹿ともうひとりの女忍とを中心にすえたそのドラマが、被爆者の問題とともに、同じ作者の《雲の涯》に通じる実在主義的な思想に、ひかれるものがあった。中年の娼婦、すなわち巫女とめぐりあった青年は、鏡を通じて未来とふれ、人間としての自分自身を再発見し、みづからの行為でその価値を実証しようとする。ここで、大江と芥川とは、19世紀的なロマンティック・オペラないしは自然主義的オペラに対して、思想と人間とを復活させようとしている20世紀のオペラ全体に [つ] ながる問題性をひき出している。
 それと、ドラマツルギー––––––というよりオペラ作法の面からみて、ひと幕7場の叙事詩的な方法でまとめられ(もっとも、放送オペラという生い立ちを考えると、ひと幕的な方法しか考えられないが、しかし日本ではオペラといえばあまりにも戯曲的なもので占められている)、現代日本人の問題が、はっきりと語られている。ただの「おはなし」でもなければ、「できごと」でもなく、要はうけとり手ひとりひとりが考える問題でしかない。
 しかし、このオペラでは、そうしたすぐれた内容をもち、しかも音楽的にみても、さまざまな手法が駆使できるにちがいないリブレットに対して、音楽のかかわり方が、すこし弱すぎた嫌いがある。たとえば、現実と未来とのコントラスト、うまく使われながら効果として生きてこないシュプレヒコール、その原因ともなったぶあついオーケストラ。しかし、だからといって、これが否定され得ないのは、作曲家が文学者と、ほかならぬ「オペラ」のために創ったリブレットが、傑出しているためである。たとえ、このオペラが死んでしまっても、「未来にかけて意味がある」––––––ここにこそ、真に現代的なオペラが生れるひとつの道が拓けていると、信じさせたことに意義がある。
 ステージは、あの読売ホールでは、たぶん作ったひとたちの意図が、ほとんど生かされていないのであろうことは、黛敏郎の《まんだら》のひびきとも共通する。しかし、それにしても、声に再生音を使ったのは、劇場的な効果という点からみて、乱暴である。オーケストラがピット一杯にひろがってなりひびき、その(客席からみた)うしろで演技され、同時に声がまた演技者とちがった方向からきこえてくるというのは、なんとしても理解できない。いくら条件が悪くても劇場を忘れないでほしかったのが、このオペラ公演に対する、ただひとつの注文である。
 4月には、例年の通り「大阪国際フェスティバル」第3回があり、声楽家としてはスイスのソプラノ、マリア・シュターダーがきわ立って安定したリートと、モーツァルトの演奏会用アリアをきかせてくれた。とくに、リリックな声にふさわしいリートばかりが選ばれ、ドイツ的な掘り下げとか、ウィーン的な軽妙さなどとは全くちがった、ただ美しい声と正確、というより精緻な技巧とによって、リートのあり方のひとつを、立派にみせたのだった。小柄で、自己表現をきらうひかえ目な性格から、オペラのステージにはほとんど立たないようだが、それもまた、声楽家としてのひとつの見識である。演奏会用アリアの技巧的なフィギュアも細かく、しかも単調ではなしにきかせるという、声と技術と自分の音楽性とだけで「うたう」ソプラノの存在は、それ自体すばらしい。伴奏者の夫君ハンス・エリスマンのピアノもそうしたシュターダーのうたに密着した音楽であった。
 そのシュターダー以上に意義があったのは、「ジャン・ルイ・バローとマドレーヌ・ルノー」を中心とした「フランス劇団 Teatre de France」がみせてくれた舞台と音楽。ことに《ハムレット》へのオネゲルのシチュエーションに密着した音楽と、クローデルの《クリストフ・コロンブス》における総合的な舞台、パントマイム・バレエ《バチスト》での劇団全員の高度の音楽性、モリエールの《ル・ミザントローブ》のピエール・デルベのいかにも古典的な格調をもった立派な装置、マリヴォの《いつわりの告白》でのこれはまた真にフランス的とよりいいようのない細やかなニュアンスにとんだ心理的告白など、そのほかにも、古典劇の演出法などにはじめて接したのも有意義だった。

(木村重雄)

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