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立秋;第38候・寒蝉鳴(ひぐらしなく)

 目に見えないと、忘れてしまう。

 それに包まれていた不思議な時間。

 ふれることができないと記憶することすらできない。

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 幼心に雑木林の中にぽっかりあった木立に囲まれ、陽が射し込み、ふかふかした緑の皮膚に覆われた場所が好きだった。

 近くに沢が流れ、大きな石は安心なぬくもりをたたえていた。木立の向こうに沈む夕日とカナカナが好きだった。

 いつも感じていた視線は今でも思い出せる。そこで生きている、あるいは地霊のようなものの気配を幼い僕は感じていたのだろう。


 人はめったに通らない、少し奥まった場所だった。

 その林はどこまでも山裾を這うように登って行き、山そのもになっていった。川はそのスカートの襞の谷を流れていた。誰が積んだのか、斜面を横切って石積みが何段も残っていた。小さな畑があったのだろう。

 いつからここにあったのか、大きな石がごろんと川に浸かっていた。今は草地になっている元畑だったらしいところから大石に登ることができた。上からは流れを見下ろせた。石の上は寝そべってもお釣りがくる。夕方でも石はまだ夏の太陽を蓄熱しているから暖かい。仰向けに寝そべって空を見上げていると、川の音、風の音がよく聞こえた。

 秋、月明かりの夜にその雑木林を歩いたこともある。林は明るかった。腐葉土を踏むその音がこわいくらいに静かな夜だ。川はわずかな明かりを写して光っていた。大きな石も別のなにかのようだった。苔も銀色だった。なにか獣の動く気配がする。静けさに包まれ、闇に覆われた林は、宇宙を感じさせた。意識が少しばかり滲んでいるのがわかる。

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 そんな林は山ひだに沿って、たくさんあった。その襞や窪みやへこみごとに沢が流れ、樹々がたくさんの生き物を育んでいた。けれど、かのオリンピックのため、高速道路のため、無惨な姿になっていった。すっかり痩せた林。向こう側が透けて見えるまばらな林。風景は人の記憶や、気とともに生きている。荒廃は加速してしまう。

 いつまでもあるような気がしていたが、大事なものはなくなってしまうのだと知った。

 無くなったら、木漏れ陽が美しいとか、この森はいいにおいだろう?夜の森は少し怖いねとか、未来の子供たちには伝えられなくなってしまう。蜩の鳴き声が森で木霊を繰り返し、夕暮れの帰り道、自転車を漕ぎながら物悲しい祈るような気持ちになることも。

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