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まなかい;小寒 第67候・芹乃栄(せりすなわちさかう)

                                                          (写真は農文協の『暮らしのなかの花』より)

芹といえば春の七草。

競り合うように密生するから「せり」だといろんな書物を捲ると書いてある。白根草とも。

今日は新暦一月七日。「人日の節供」。「若菜の節供」ともいう。春の七草を刻んだお粥をいただく。春の七草は「芹、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座、菘(すずな)、清白(すずしろ)」とされているが、平安時代は穀物でおかゆにしていたらしい。「七」種というのが大事なのだろう。何もこれら全部揃えなくてもよいのだろうが、元々は御呪い(おまじない)なので、数を合わせるとか、揃えないと効力が薄まるということはあったのかもしれない。


上の写真のように、七つの道具で、御呪いの鳥追いの歌を歌いながら、まな板の上で春の七草を刻む。それも7回。

「七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地に渡らぬ先に 七草なずな」という節回し。これは穀物を食い荒らさないように願い穀物の実りを願うものであり、平穏無事を願うまじないでもある。

この四九という数字は、七曜プラス九曜に二十八宿、それに五星(木星、火星、土星、金星、水星)を足したものだとされるから、その日ごと守護してくれる神様にもそれを伝えることになるのだろう。お正月という忌籠りを経て、羹(あつもの)やお粥として、胃にも優しく、春の息吹の香りと滋養をいただく。薬としての食べ物。


唐土の鳥は鬼車鳥とか姑獲鳥(うぶめ)とされる。怖い伝説があるが、見方によっては寒風が運ぶ凍害などの災害のことでもあるのだろう。北風が運んでくる病、あるいは外からやってくるインフルエンザとか、今年であればcovid19というウィルスなどともよめる。その意味では、昨年来催行されていない、本来祓えの意味を強く持つ祭礼や、神事などはできなくとも、小さな単位でできる祓えでもある。各お節供はもしかしたらこういう時こそ有効なのかもしれない。旬のエネルギーを身体に取り込み、御呪いの歌を歌い、悪いものを祓う、小さなお祭りだ。


「人日」という言葉も耳馴染みが薄い。

『荊楚歳時記』を繙いてみると、正月一日は鶏、二日は狗、三日は羊、四日は猪、五日は牛、六日は馬、七日は人、八日は穀物を占う日とされていた。占うというのは、犠牲として捧げて、何らかの方法で吉凶の占いをしたということかもしれないが、後代では例えば人日には刑を執行しない、などと変化してきたようだ。


「人を占う」。

そんな日に、トランプ大統領支持者が、集会からそのまま大統領選の承認審議中に議会議事堂に乱入したり、日本政府は「非常事態宣言」を発出した。

人こそ今、大きな力によって占われているのかもしれない。

そんな中、芹は人知れず競り合って、冷たい水に香り高く栄う。






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