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清明 第13候・玄鳥至(つばめきたる)


万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也(暦便覧)

ここのところの作庭の現場が東京郊外なので よく車を走らせる

青山通りや 首都高 東名高速沿い 開発を逃れて残った林や公園で木々のみどりが一斉に吹き上がり ふわふわと風に和毛を揺らしている 桃色と緑が混ざった葉桜も 黄梅や連翹の黄色も ツルニチニチソウやハナニラの紫も 早緑の地に悦び溢れる 今年は躑躅や藤やアイリスの仲間も早い もう初夏の様相が混じってきている 

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 清明とは万物のエネルギーが発せられ、清らかな気が横溢する時節 陽光も風も優しい 外出を控えなくてはいけないなんて 陽の光を浴びることができないなんて どんどんくすんでしまいそうだ 狭い家の中にいたらきっと余計に不安なことばかり考えてしまう 

 ハルはハレや遥々や遙かとも繋がっている 春や晴れは穢れをはらう 祓ってくれるのだからせめてお散歩くらいはしたいもの 人口密度の高い都内では 公園もいっぱいになってしまう 芋洗状態ではまずい 

 できれば「時差散歩」がおすすめ 早く寝て 夜明けの時間 鳥たちと同じ時間に散歩してみる 水分をたくさん摂って 植物のように 力を抜いて 心を立ててみよう 鶯の鳴き声を聞いて 春の匂いを吸い込もう 

 折角の春 一度しかない春  空は 海は 花は こちらが見ようとさえすれば つねに美しく ほどかれている こちらが心や手を伸ばせば 近づける 触れて良いものもあるし 触れていけないものも世界にはある  

 若菜の節供 お花見や磯遊び お月見 紅葉狩り など 山や海や森へ繰り出せば 大地や空や風や微生物や彼らの持つ気によって生命が賦活される 昔の人はそのことをよく知っていた 植物時間 宇宙時間 鳥の時間 寄せる波に同期する身体 細胞 他者たちに委ねる場所 自分を脱却できる場所 へ埋没すること 深層意識への dive   浄められ いのちが更新され 現実へと浮上する 

 大自然の根本不思議に触れるために 祈りがあるし 芸能 芸術もある 

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 72候の13は 玄鳥至 つばめきたる

 燕は南からやってくる

 燕尾服とは奥ゆかしい名前だし、これから旬の燕子花(かきつばた)も燕の子が飛ぶ姿に似ていることからついた名だという。

 浅間山麓にあった実家が古い建物のとき、玄関には毎年燕がやってきた あの翼の翻る速度は明るい外の緑光とともに焼き付いている 四畳半ほどあった土間の玄関掃除は小さな頃の僕の仕事だった 燕のいる初夏は当たり前だったので 雛の糞や鳴き声はむしろ懐かしい ある夏から来なくなったのも覚えている 多分おじいちゃんが寝たきりになって 燕の巣をのせる台を作らなくなったからだろう

 農薬を使わなかった頃は彼らは稲につく害虫を食べてくれる大切な鳥だった 家の軒下に巣作りする燕は雷や火事を防ぎ 子供を産み育てるお目出度い鳥として愛された 燕は13候にあるように「玄鳥」とも書き 「玄関」との関係が気になるところだ。

 「玄関」とは仏教の言葉だとされる。玄妙なるに至る関門のことだと。

 「玄武」 「玄室」 北を背に 家は南面していることが多い ということは家に入る 帰るということは 眠って そして 甦る場所 御霊が安らぐ場所 

 家は囲われていて 屋根があって かつてなら火があって 安心できる場所 寝ぐら 眠ること 安心して 眠れる場所 仮死状態 擬死再生し 旅に出ることでも心身は調律される 大自然に抱かれれば 奢ったり 威張ったり 意地っ張りだった心は素直になる 芸道や芸術は 都市や家に居ながらにして 命の持つ まっすぐさや つよさ 透明さ 素直に帰る方法 母なるものに触れる方法 歳時記も 節供などの行事も 書物を読む 歌を詠む のも 呼ぶこと 呼んで読んで甦ること 花を立てるのも 法螺貝を立てるのも 香を立てるのも お茶を点てるのも 石を立てるのも 見立ても 一度断つこと 断絶する 0にすること たてまつること 祈りの作法 儀礼 型がここにある 

 「玄」は「道」となる 


 玄は 青黒い 宇宙  

 ひるがえる あの翼   

 暗闇が 皐月の空を 切り裂いていく  



(写真は稲葉俊郎さん)


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