【第605回】『ボーン・アルティメイタム』(ポール・グリーングラス/2007)

 ロシア・モスクワ、警察隊に追われ列車に逃げ込んだジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は追っ手の追跡を辛くも逃がれ、キエフ駅を出て再び地下に身を隠す。偏頭痛に見舞われ、薬が手放せない男は贖罪の気持ちに駆られ、自らの傭兵としてのポテンシャルに苦悩し、もはや誰一人殺したくないという思いを貫く。時折彼の脳裏を掠める記憶の断片、どこかの施設に監禁され、頭から真っ黒な布を被らされて、拷問を受ける自分の姿。いつもと同じフラッシュバックだが、どうしても全てが思い出せない。6週間後、CIA長官パメラ・ランディ(ジョアン・アレン)がマリーの復讐のために訪れたワード・アボット(ブライアン・コックス)との会話記録を流し、これまでのジェイソン・ボーンの素性を明らかにする。CIA本部ではジェイソン・ボーンを最重要危険人物としてリストアップしていた。数ヶ月後のパリ、部屋に戻ったマーティン・クルーツ(ダニエル・ブリュール)の元には姉貴の恋人ジェイソンが座っている。「姉さんは?」と聞かれた彼は、弟に悲しみの報告をする。その頃、イギリスの新聞記者サイモン・ロス(バディ・コンシダイン)は、CIAの暗殺部隊“トレッドストーン”計画と、ジェイソン・ボーンの存在の情報を極秘に掴み、独自に調査を続けていた。新聞の一面を飾った自身の写真を見て、ジェイソンは英国に住むサイモン・ロスに接触を試みる。

『ジェイソン・ボーン』シリーズ旧3部作の怒涛のフィナーレ。前作のイタリア〜ドイツ〜ロシアの三ヶ国を股にかけたアクションを経て、物語の起点は前作『ボーン・スプレマシー』のラストの少し前に巻き戻される。1作目『ボーン・アイデンティティ』では一貫して追われる男を演じたマット・デイモンが、2作目では21世紀的なハイテク自警システムの裏をかく。ラストには見る者と見られる者の主従関係が逆転する痛快さが活劇の快楽を駆動させた。今作でも更に進化した全方位的な衆人環視システムの網の目を主人公はいとも簡単そうに掻い潜る。前作において決定的にアクションの質を変容させたマルチカメラで撮影されたショットを矢継ぎ早に積み重ねる苛烈なモンタージュ、手持ちカメラによる至近距離のアクション、見る者と見られる者のショットを無尽蔵に積み上げたパラレル・モンタージュのテンポは前作以上にスピードを増している。CIAのヴォーゼン(デヴィット・ストラザーン)らがモニター画面を興味深く注視する中、現場のジェイソン・ボーンはコンピューターの事前の予測を全て裏切るような見事な逃走(動線)を見せる。トニー・スコット以降の現代映画は、全方位的な都市の衆人環視システムにより、モニター画面を見ているだけでターゲットを追い込むことが可能なのに対し、前半部分の活劇は、衆人環視システムで身動きの取れないごく普通の一般人サイモン・ロスをジェイソン・ボーンが遠隔操作し、逃がそうとする。極限の精神状態の中、一般人の判断ミスが悲劇を生むものの、衆人環視システムに対し、遠隔操作で対応しようとする活劇の動線と距離感が素晴らしい。

3作目ではヒロインの死を経て、天涯孤独だったはずの男にまさかの援軍が訪れる。シリーズ1作目『ボーン・アイデンティティ』では単なる端役に過ぎなかったはずのニコレット"ニッキー"・パーソンズ(ジュリア・スタイルズ)の突然の躍動感にはただただ唖然としたが、1作目では確かに言葉の端々にジェイソンの体調を気遣う素振りを見せていたのを思い出した。髪を切り、ふと鏡の前の自分を見つめるニッキーの視線の先に見えるジェイソン・ボーンは、過去に起きた愛の軌跡など覚えているはずもない。マリー亡き後、天涯孤独だったはずの男に起死回生の転機を呼び込むのは、またしても女性であるニッキーとパメラの見事なアシストである。ポール・グリーングラスはEU統合を経て、往来がし易くなったヨーロッパのボーダレスな魅力をアクションの舞台として活かしながら、ロンドン〜マドリード〜ニューヨークと活劇の現場ををシームレスに繋ぐ。その一方でただ一つ異色となるモロッコのタンジールの美しい風景と、そこで繰り広げられるプリミティブな活劇の妙。ここでも前作『ボーン・スプレマシー』の導入場面のように、少し離れた場所にいるジェイソン・ボーンとニッキーとを交互にモンタージュしながら、そこに迫り来る殺し屋デッシュを挿入するパラレル・モンタージュの苛烈なテンポには、D.W.グリフィスから連綿と続くラスト・ミニッツ・レスキューの快楽が息づく。編集という観点で言えばトニスコ以降、『24 -TWENTY FOUR-』や『プリズン・ブレイク』などTVドラマにお株を奪われる一方だったハリウッド製活劇が、その覇権をようやく奪い返した。クリストファー・ラウズの革命的な編集がアクション映画の流れを決定的に変えた。

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