
優しさで傷を愛せるか
本当はずっと優しい人になりたかった。優しい人でありたかった。
優しさとは脆弱ものだと知っていながらも、私はただ優しい人でいたかったのだ。
記憶の片隅に過去がチラつく。
小さな頃、殴られて蹴られて、何度も家族に虐げられてきた記憶も、いじめられた記憶も、全てがもう過去なのだ。過去は変えられない。変えられるのは未来だけ。
そんなことわかっていようと、辛い気持ちは変わらずに残る。それにどう折り合いをつけていくのかを考え続ける日々である。そうして、優しさを求めた。
赦すことは優しさなのだろうか。
忘れることは、前を向いて振り返らないことは、優しさなのだろうか。私には分からない。それが優しさなら、私は優しくはなれない。
だけど、たくさんの優しさに触れながら、優しくありたいと思った。たとえそれが取って付けたような偽物でも、それでよかった。
優しいということは強いことだと思う。強さは自分を守ってくれる。そう、だから私は優しくなりたかったんだ。
精神科閉鎖病棟のベッドの上、中学の保健室の椅子の上、高校の相談室のソファの上。
私の居場所はいつも「普通」とはかけ離れていた。それでも、確かにそこは私にとっての安全基地だったと思う。
人間が愛着を形成し探索行動をするには、安全基地が必要だそうだ。時には傷ついたり、発見したり、色々なことを感じながら、確かにある居場所に安心し、人は前へ進んでいく。
私は不変の愛を受け取ることはできない。
その場その場で、数年で終わる場所で、愛を育んで、育まれている。家族に愛は望めない。もうとっくに期待なんてしなくなった。
退院や卒業というタイミングで失われるそんな居場所に、何度も涙した。けれど、今はそれでいいんだと、そう思う。他の人に比べて、たくさんの帰る場所が、私にはあるんだから。あたたかい優しさに触れては、私は前へ進んでいく。
自分を愛するのは、辛い。それはトラウマ経験のある人に共通した意識だろう。自分自身を加害者だと思っている面と、被害者だと思っている面があるから、自分を愛することで自分を”赦した”気がしてしまうのだ。
自罰し続けなければいけないと洗脳された人に、自分を赦して、そして愛してあげようと言ってもそれは難しい。そもそも自分を愛した経験なんてないし、基本的には自分自身を責め続けているからだ。
しかし、だからこそ、自責の部分は変わらないとしても、被害者の立場を降りるためには、加害者と被害者の関係を明らかにしなければいけない。被害者の立場から降りるために、私は優しくなりたい。赦して楽になるために、私は優しくなりたい。
私はずっと、優しい人になりたかった。
text/琥珀
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