こもれび文庫

社会福祉法人千楽が運営する、いじめ・虐待・引きこもりを考えるソーシャルワーカー&当事者…

こもれび文庫

社会福祉法人千楽が運営する、いじめ・虐待・引きこもりを考えるソーシャルワーカー&当事者・学生の集まりです!お問い合わせ:comolism@gmail.com

マガジン

  • 連載 こもれびの窓から

    毎日新聞の記者・論説委員だった野澤和弘さんの連載。30年近く、ひきこもりについて取材し、考えてきたことを掲載します。

  • 連載 ひのたにの森から~救護の日々

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こもリズム研究会とは…

―さあ、こもリズムをはじめよう― いじめ・虐待・ひきこもり・障害について、あるいは広く社会で見過ごされがちな「生きづらさ」について考え、発信する「こもリズム」研究会が始まりました。2021年4月よりソーシャルワーカーと当事者・学生が集まって活動しています。   「こもリズム研究会」を立ち上げる一つのきっかけは、2020年6月に千葉県浦安市に開所した浦安市発達障がい者等地域活動支援センターミッテMitteでの発達障がいのある方への日中活動支援・相談支援にあります。 地域に暮ら

    • 朝、雑踏にて

      朝が嫌いだ。 昨日も、一昨日も、そして、明日も、明後日も。 長く、暗く、冷たく。私は今、出口なきトンネルの中にいる。 あれから早半年。弟は中学3年の秋口から学校を休み始めた。週1日の欠席は次第に増え、卒業が近づいた3月には週の半分以上を自宅で過ごした。 「学校へ行きたくない」 この言葉が嫌いだ。弟を嫌いなのではなく、この言葉を言う弟が大嫌いなだけ。 事の発端は明らかで、体育教師から怒鳴られ、暴言を浴びせられたことが原因だった。 体育教師は授業中にふざける生徒を注意しようと

      • 命というものは循環している。死後、生命は燃やされて灰になり、土に還る。そして大地は雨に流され、また新しい生命を育んでいく。 その男性は真っ赤な車に乗って、毎日、電車もバスもない辺境に訪れる。誰とも口を聞くことなく水を入れ替え、花を供え、手を合わせて、誰も気付かぬ間に墓前を去るのが日課だ。 「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかません」 寺で20年以上生活してきたが、この歌詞は真実を捉えていると思った。仏教に最も近い場所にいるにもかかわらず、私

        • 「ヤバいやつ」

          腕をなめられた。 小学校3年生、大人の配慮を知らない僕は大声で叫び、先生のもとへ行き被害者面で訴えた。 先生は慣れた様子で、その子を違う教室へと連れて行く。 僕は冷ややかな目で見送った。 おそらく、僕の腕をなめた生徒は先生に怒られたのだろう。帰ってきたときの表情はしょんぼりしていた。 このことはすぐに他のクラスの人たちにまで伝わっていく。 また、事件が一つ増えた。 僕の通っていた小学校にはクスノキ学級という特別支援学級があった。 しかし、通常のクラスにも軽度の障害を持った子

        • 固定された記事

        こもリズム研究会とは…

        マガジン

        • 連載 こもれびの窓から
          3本
        • 連載 ひのたにの森から~救護の日々
          12本

        記事

          雨と、父と

          「ゆっくり濡れて帰ろう」 父の口癖。好きな言葉。忘れられないあの日。 ない。目をこすり、深呼吸しても見つからない。 不合格だった。私は第二志望の高校へ進学した。全身に電流が走った。そして、一瞬にして全身の力が抜けた。魂も抜けていくような気がした。 入学後、1ヶ月はショックから立ち直れず悶々とした日々を送っていた。手元に届いた不合格通知を眺め、ため息を吐き、それを机の奥へしまう。そんなことを繰り返していた。 見かねた父が私を散歩に誘ってくれた。近所の里山を歩いた。何も話さ

          一緒に暮らす

          僕は毎日、不安と恐怖と一緒に暮らしています。 そんなの、この世の中、不安と恐怖を感じないで生活している人なんかいない。と言う人、思う人がいるでしょう。 では、皆さんは、その場に人がいるというだけで、文字を書く時、何か課題をこなす時に不安と恐怖がやってきて邪魔をされるでしょうか。 家族や友達でも同じ場面で不安と恐怖が邪魔をするでしょうか。 家の外で飲食をする際に不安と恐怖が邪魔をして、これを諦めることはあるでしょうか。 僕は子どもの頃から今現在、不思議と家族の前や数少ない友

          一緒に暮らす

          記憶

          車に長く長く揺られた。立ち寄ったコンビニは嵐の後のようにすっからかん。父はガソリンを気にして文句をたれ、私は空で読めるほどの漫画に飽き、やっとの思いでたどり着いたのは千葉の小さな寺だった。 待っていたのは「金ちゃん」という坊主頭のおじさん。本名は今も知らない。ニコニコしていて押しに弱そうだ。 金ちゃんの家は大きいのに風呂がない。わざわざ遠くにマンションを借りて入浴する必要がある。子供ながら非効率に感じたが、私はひと月あまり、風呂のため30分歩くのだった。 そこをのぞけば天

          軽井沢の雨

          中学三年生の時に父が亡くなるまで、3日以上の休みの日は必ず軽井沢の家で過ごしていた。 テレビもないし、電波も悪く、道まで出るかロフトに上がらなければ携帯電話も通じない。 テラスに出したテーブルで朝ごはんを食べるのは気持ちが良かったし、はとこ一家が一緒の時には、夜にバーベキューをする事もあって、そんな時は楽しかったけれど、家族だけの時は基本的に退屈だった。 休みの度に友達が色々な場所に旅行に出かけているのを、いつも羨ましく思っていた。 軽井沢の家というと優雅に聞こえるかもし

          四国

          8月の香川県は暑い。 階段を登り辿り着いた展望台からは、眼下に広がる有明浜の砂に描かれた寛永通宝が見える。 100歳の曽祖父が亡くなった。 私は葬儀のため四国を訪れた。ひまわりが元気に咲き乱れ、コンクリートの照り返しが痛く感じるような、そんな日だった。 葬式では親族が一堂に会し、互いの近況を語り合った。そこで私は、はとこに会った。初めて会った。三人兄弟で歳は20歳近く上だった。長男、次男は医師、三男は車椅子に乗っていた。言葉も話さず、視線も定まっていない。 「なんか怖い」

          ちいさなひかり

          私の娘には知的障害があります。 娘はお話をすることはとても苦手です。 でも、他の人のお話を聞くことは多少出来ます。 しかし、自分の気持ちをお話することはとても難しいです。 なので、不安になると耳を塞いで大きな声で笑い出します。 娘が幼稚園に通っていた時の話です。 娘が通っていた幼稚園は娘の障害を理解した上で娘を幼稚園に入園させてくださいました。なので、普段から十分な配慮を頂いていて、行事などで娘が不安になるようなことがあると必ず事前に私に相談してくださいました。 そし

          ちいさなひかり

          父の病気が治った。喜ばしいことだ。 がんを宣告され胃を摘出することになった父は、晴れてまた家族と一緒に暮らせるようになったのだ。 それは晴れやかな地獄の入り口だった。 私と父の関係は良くも悪くもない。 私は積極的に話すタイプではなく、両親は私の友達や学校生活をほとんど知らない。両親はそんな私に無理強いをせず、食卓では母や姉の声だけが響き渡る。 父と最も関わるのは駅への送迎だったが、話した記憶はほとんどない。冷たいようにも聞こえるが、心地の良い時間だった。高校3年の夏、胃がん

          ショートケア

          そこは、私の居場所のひとつであり、私の心の実家のような場所だ。 そこに帰ると安心するし、ホッと出来る。 一般的に多くの人が実家に帰るとホッとするように、私はその場所に帰ると、安心できる。 私がそこに通い始めたのは、大学2年生になってからだ。 元々は地域活動支援センターだった通院先の系列施設が名称や形態を変えショートケアとなり、そこに以前は長期休みの間の居場所として通っていた。 その際は、短期間しかあまり継続的には通えなかったし、“学校の長期休暇に行く場所” というだけの場所

          ショートケア

          「傘買って店出た後、晴れてたら面白くない?」 「うわ、フラグ回収しちゃったね」 そうやって笑っていた日々を懐かしく感じる。私が人生最大に好きだった人との会話だ。 彼とはバイト先で出会った。男性が嫌いな私は彼とほとんど話していなかった。誰にでも優しい人だということを聞いていたため、いい人なんだろうなとも思いつつ自分の中の壁を壊すことができていなかった。 ある日、いつも一緒に帰っている同期が体調不良になりバイトに来ておらず、彼と帰る時間が偶然重なった。気まずさを打破するべく

          好きなひと

          高校時代に好きな人がいた。一つ上の先輩だ。 その人には文武両道という言葉がぴったりだ。生徒会長をしていたし、スポーツも、全国大会で入賞するような人だった。不正や悪を許さないまっすぐな性格で、言葉もストレート。全校集会、壇上でスポットライトに照らされるその人を初めて見た私は、密かに憧れるようになった。 共通の友人がいたことをきっかけに、一緒に帰るくらいには仲良くなった。今思い返せばとても気持ち悪いことだが、その人の移動教室の時間を全部覚えていた。今でも覚えている、火曜日の5時

          好きなひと

          「声にしなければ伝わらない」とはよく言ったものだ。 私もそう思っていた1人で、声がその人の思いの全てだと思っていた。 私は大学1年生の頃、様々な学校に通う人が入居する学生寮に住んでいた。 入寮してすぐの寮内説明会の時、声をかけてくれた子と仲良くなった。 ここでは名前をNとする。Nは赤茶色の髪をショートカットにしたボーイッシュなスタイルの子だった。髪色と同じ、くりくりとした丸い瞳でまっすぐに私を捉えた彼女に、私はすぐに惹きつけられた。 彼女と私は同じ階の部屋に住んでいるこ

          なぜ人を殺してはいけないのか

          15歳だったら、人を殺しても死刑にならないらしい。 それを聞いてから、私は、あることをずっと図っていた。 その人のこと、殺そうと。 彼さえいなければ、こんなことにならないだろうと思っていた。 まずは、どうやって殺すのかを考えていた。 家にある包丁でそのまま刺したら、向こうは男性で、力が強そうだし、一発でうまく刺せなかったら、もう勝算がない。そこで、その人を殺そうとしていることがバレたら、私は絶対母や周りの人からの説教に耐えられないし、これからまたその人と一緒に暮らせなけれ

          なぜ人を殺してはいけないのか