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場に「たまる」ということ(番外編)


先日、仕事終わりにふとコーヒーが飲みたくなってしまいました。


家で飲もうか、セブンイレブンに行こうか、それともカフェに行こうか、、

悩んでいると、ちょうど目の前にマクドナルドがあったので入ることに。
私は、マクドナルドにほとんど行かないのですが、その日だけは妙にそそられて入店しました。

今日はその時のお話を。

目 次
・高校生の受験勉強
・究極のたまり場とは


高校生の受験勉強


念願のコーヒーを飲みつつ、しばらくネットサーフィンをしていると、制服から察するに、地元の有名進学校の男子高校生が5人組で入ってきました。


「現代社会のあの問題よ。あれ解けなかった~」

「俺ちょうどやってたから良かった~配点3点はデカい。」


どうも大学受験を控える受験生のようでした。
彼らは会話をしながら、あらかじめ決めていたかのようにスーっと特定の席に座り、当たり前のように参考書や問題集を出し勉強の準備を始めました。



そして一通り準備が終わると、各々財布を取り出し、レジの方へ向かって行きます。

あまりのスムースさに、つい見とれてしまったほどです。



しばらくしてハンバーガーとポテト、飲み物を乗せたプレートを持って戻ってきた高校生は、席に着くと、ハンバーガーを片手に黙々と課題をこなしていました。

時折、わからないところを質問し合う様子もあったのですが、すごい集中力でガリガリと受験勉強をやっていました。


(やっぱり受験生は、熱意が違うなあ、、)


妙に感心していると、遅れて1人の高校生が入ってきてその集団に合流しました。


「すまん~」

「お~う、お疲れ。」


彼もまた、簡単な会話を済ませ、自然と受験勉強に入っていきました。



しばらくすると、全員、一区切りついたのか、同じようなタイミングでふと休憩に入ります。その時ばかりは、テレビの話やゲームの話をしていましたが、一通り話が終わると、また自然と個々の世界に入っていきます。こうしたループを繰り返していました。


(マクドナルドでする必要があるのか、、)



そう思っている私を横目に、
こうしたループを2回か3回ほどした後、高校生の1人が


「じゃっ、おれそろそろ帰るわ~」


と身支度を始めると、友人たちは決して勉強の手を止めることなく、


「おーう!またね~」


という感じで軽い挨拶をかわします。
そして、一人、また一人と帰路についていきました。


まるで銭湯でいつも顔を合わせるおじさん達の挨拶のようです。


う~む。


たまり場ってこういうことなんだなと。


究極のたまり場とは


私は、究極のたまり場とは、
「それぞれが別のことをしていても成立する空間」であると思っています。



全く別のことをやっていても、「同じ目的(高校生の場合は受験勉強)」が潜在的に共有できていれば、その空間での”居心地の悪さ”というのは感じにくくなるものです。なぜなら、日本人には阿吽の呼吸という言葉があるように、口に出さなくても考えを共有できている方が、より連帯感があると言われてきたからです。


なんと素晴らしい付き合い方なんだ。。


そして上記の高校生が作り出す空間には、もう一つ
素晴らしい点があります。



それは、「集団を抜ける」という敷居がとにかく低い、ということです。


よくママ友であったり、学校のPTAでの悩みを聞くことがあるのですが、その多くは、その瞬間というよりむしろ集団を抜けられない怖さによるものです。



たまり場やコミュニティというのは、ある目的の下集まった集団のことが多いので、集団を形成すること、そして集団の内部運営についてフォーカスされがちです。しかし、集団を解散する時、もっと言えば、集団を抜ける時の抜け方というのも検討する必要があります。


高校生の集団は、しっかり勉強をすることはもとより、いつでも好きなときに抜けられる、という安心感があるので、集まることに対しての恐怖感や不安感というのが拭えているんですね。


こうした集団は、受験勉強という目的が達成した後も文字通り”気軽に”集まることができるので、集団としての持続力があります。


おそらく、卒業した後も定期的に集まってしまうと思います。


こんな大人な付き合い方を、高校生のころからやってみたかった。。



なんとなく立ち寄ったマクドナルドですが、たまり場を考えるよいきっかけとなりました。



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