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本物の「悔しさ」は出し切って初めて得られる

12/2~11の期間、僕は地球の裏側にあるブラジルにいた。

「フレスコボール」というスポーツの日本代表選手として、ブラジル大会に出場するために。

2019年の週末のほとんどを「フレスコボール」に捧げ、少しでもいいプレーができるようにと、頭を捻らせ、体を動かし、必死に向き合ってきた。その集大成となるのが、このブラジル大会。

このフレスコボールで日本代表になろうとすると、かなりの時間とエネルギーを費やさないといけない。実際に、他のことに時間を使うことができなくなっている。そんなこともあり、正直フレスコボールから身を引こうと考えたことは何度もあった。

だけど、ブラジル大会を終えて、今抱いているのは「もっとフレスコボールがしたい」という気持ち。

そう思えていたのは、僕が10年以上振りに感じている「悔しい」という感情が大きく影響している。


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1年以上前に書いたこの note。

ここにも書いているのだが、僕にはハングリー精神のようなものは持ち合わせていない。昔勤めていた会社の上司から「悔しくないのか!」と檄を飛ばされたが、何一つ響かなかった。

「悔しいってなに?」

そんなことまで思っていた気がする。そんな僕がはっきりと「悔しい」と思ったのは、2019年一番の衝撃だった。

ブラジルでは今持てる力を振り絞り、これまでにない最高なプレーができた。でも、それが評価されなかったのである。6位という、入賞すら出来なかった事実は、優勝を目指していた僕らにとっては重かった。間違いなく、はじめはその事実が受け入れられない自分がいた。周りの人の声を聞いても「プレー内容一番よかった」と言ってもらえて、よけいにやりきれない気持ちになっていた気がする。自分の感情をコントロールできず、笑うこともできず、祝福の場に居合わせることもままならない状態。

それほど、僕のなかには「悔しさ」が充満していた。


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今振り返って思う。

「なんでこの時、こんなに悔しいと思えたのか?」

死んだと思われていた感情が、10年近く感じることがなかった感情が、なぜこのタイミングで湧き上がったのか。

色々考えて、出た答えは「出し切った証」ということ。

悔しさは、向き合っていることに対してベストと全力を尽くして、初めて得られる感情じゃないかと思う。悔しさを感じない=ベストを尽くしていないということではなく、出し切ったことのひとつの現れなのかなと。

出し切っても結果に届かなかったことに対する、自分自身への怒り。そんな感覚に近しい気がしている。だからこそ、今フレスコボールへのモチベーションが高い。ブラジル行くまでは、「終わったら燃え尽きるかもなぁ」とか思っていたけど、正反対の状態。

これまでは、悔しいって気持ちって必要ないんじゃない?と思っていたけど、今回の件でポジティブな面を強く実感することができた。悔しがりたいとは思わないけど、悔しい気持ちを持てた自分を認めて受け入れていきたい。

来年、ブラジルの地で笑ってトロフィーを掲げているために、この悔しさをエネルギーに変えていく。

応援、ありがとうございました。



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