自分の好きを追求することが、一番の他者貢献なのかもしれない
こんにちは。長田(@SsfRn)です。
ここ数ヶ月で、TwitterのDMで会ってほしい!相談に乗ってほしい!と言っていただくことが増えてきました。私としては、そのような連絡はとても嬉しいので、喜んでお会いしています。
そして、最後にお礼を言っていただけるんです。「会ってくれてありがとうございました」「とても参考になりました」と。これって一つの他者貢献になっているのでは?とふと思いました。
今回はそこについて考えてみようと思います。
好きなことをしていたら見えたヒント
直接の連絡が増えたのは、間違いなく「私自身が自分の好きなことを理解してから」だと思っています。
「僕は人の繋がりや居場所をつくるが好きだ!」
そう発信し、こまめにコミュニティの情報を発信するようになりました。それって、正直誰かを助けたい!他者貢献したい!と考えて、それをモチベーションにしているわけではないんですよね。
ただ、私自身が好きなことだからやっています。シンプルです。
でも、結果として感謝していただくことが、好きを発信していなかった頃と比べると、確実に増えました。
極端な言い方をしちゃえば、自分の欲を満たすために行動したら、結果として周りの方に感謝されていた。ということになります。
逆説的な話ですが、実はこれが健全な他者貢献なのではないでしょうか?
なぜ、好きの追求が他者貢献につながるのか?
好きを追求するということは、その好きなことに対して、知識や情報も増え、経験もそれなりに積むことができます。
それはそこに努力の娯楽化が起こっているから。周りから努力に見えることも、本人からすると努力してない、そんな状況が生まれます。
その結果、その好きなことに対するスペシャリストに近い存在になっている。その好きに関することであれば、ある程度の質問には答えられるだろうし、質の高いアウトプットを出すことが可能だと思います。
その得た知識や経験を活用して、SNSやブログ等で発信すると、周囲からハッシュタグがつけられるようになります。〇〇といえば、あの人だ!というものです。
その認知が広まると、自然とその〇〇のキーワードを見た時に、その人を連想するようになる。結果、そのキーワードに関することで困ったら連絡して聞くようになるのです。
もちろん、それに対して対応できるので、結果として、自分の好きを追求していただけなのに、他者貢献している。このような流れが生まれているように思います。
他者貢献が目的な他者貢献より、この自然な他者貢献の方が、個人的には健全だと思っています。目的化しちゃうと、義務感が発生しだすことがあるからです。(もちろん、目的にすることはとても素晴らしいことですし、この考えを押し付ける気は毛頭ありません)
好きを追求しよう。結果として、周りに還元しよう。
最後に
こう考えると、実は好きを追求するということが、世の中を幸せにすることなのではないかなと思い始めました。
いきなり世界中の人は無理でも、目の前の人を幸せにできるかもしれません。その結果繋がりに繋がって、あらゆる人へ還元していく。そんな循環ができたら、今より少しだけでも、本当に世の中が幸せに近づくのかもしれません。
だからこそ、これからも僕は好きを追求していきたいと思います。
それでは!
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