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Love Myself

年明けに今年やりたいことを50と数個書き出した。
そのうちの1つに来年の誕生日を外国で迎えられるようにする、というものがあった。
おいおい今年のやりたいことでは、と自分自身でつっこめるが、私の誕生日が2月なのでさすがにそんなに早くは(無理だろう)ね、というのと、来年の歳がキリがいいので、来年にむけてそういう計画をたてますか、と思ったのだった。

今年の誕生日、私は韓国の済州島にいた。
なぁんだ、意外と早くできてしまうものなんだ。
いつだってどこだって行けるんだなぁと思いつつ、今回は色々タイミングが合ってそうなってもいる。

今回の滞在期間はめずらしく人と一緒にいることが多いので、他言語に囲まれて色々考える時間が少ない。そのかわりずいぶんとお喋りしてディスカッションみたいなこともしている。
韓国には何回か来てるけど、今回はじめて見えたこともある。
その土地が、その地域が、その国と呼ばれるものが、どんなところで、どんな性質なのか、どんな背景でいまに至るのかっていうのは、何回も来るか、長く付き合わないとわからないのかもしれない。少なくとも遠くから見ているだけでは、私はそういうものを理解できない。
その土地の空気や雰囲気を肌で感じることが自分には必要だと思う。
自分のいるところをよく知りたい。私は。

済州島またいきたいですね。
こうして、行ったところがまた行きたいところになって、人生の時間が埋まっていくのはわりと幸せなような気がする。

さて、年明けにやりたいことは別に今年の目標をたてたのだが、それは何かになるとか何かをするということではなく、自分のある身体化されているメンタリティの習慣をやめるというものだった。
わかってはいたけど、案の定難しい。実は年が明けて10日くらいで、色々あってはやくも挫折しそうになった。

私はたぶんほんとは質問魔の傾向がある。それは好奇心に基づくものだけど、その一方で自分のことをよく知らないような気がしていた。
自分のことをあまり構わなくなっていたからかもしれない。とくにこの数年は。
好奇心はよく知りたいということで、それは単に知りたいというだけじゃなくて、どう付き合っていったらいいかみたいなことを含んでるときもある。
でも自分のことをよく知らないということ(少なくともよく知らないと思ってること)は、自分自身とどう付き合っていったらいいかみたいな考えが抜け落ちてるんだなぁ、おそらく。
それは自分を大切にしているとはいえないよねえ。

自分をよく知るための質問を、簡単なことから難しいことまでしてみたいとおもう。
たぶん、いくつか方向があって、具体的→抽象的、抽象的→具体的、具体的→さらに具体的みたいに、いくつかの矢印を考えたほうがいい。
ちなみにこういう本はたくさん出てるし、ネットにもたくさん情報があります。

おそろしいことに、本当に疲弊してくると、自分が何を好きだったか、大切なものはなんだったかわからなくなる。
それでも、私がたぶん大事だと思っていたのは、人であれ物であれ、その立体的な部分だ。いま見えている表面だけじゃなくて、その向こう側にもあるものを含めてだった。
それを歴史といってもいい。
自然をみていても、風景をみていても、建物をみていても、人をみていても、私はそういうものを見ようとしていた。

(三木)