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歴史を考えるということ

また韓国に来ている。そんなわけで更新遅れました。

あってないような春休みが終わってしまう!
春休みがあったみなさんはどういう時間を過ごされましたか?あるいは、これからどう過ごされるでしょうか?

歴史研究をしていると、たまに別の領域のひとから、なんで歴史をやるのか、歴史をやる意味は何なのか(歴史を研究して意味があるのか)ということを、たまに聞かれる。
こういう質問自体、長らくわかってねーなと思ってきた。質問の趣旨は、現代的意義、たとえば歴史がどう役にたつのか教えてほしいってことなんだろうね。
歴史はよく教訓のように言われる。もちろんそれもあるけど、それだけじゃない。

私のまわりの歴史研究をするひとのほとんどが、基本的には歴史という過去自体に敬意がある。敬意っていっても崇めたてまつるということじゃない。
過去は現代とかけ離れたものじゃない。
現代と過去は地続きになっている。地続きであるということは、歴史が関係ないものはないということでもある。過去を通じて現代をみつめる。現代の背後に過去をみる。過去の蓄積なしに現代は存在していないんだなぁ。
それは良いことだけじゃなくて、悪いこともだ。

この春で何となく終わらせようとしている仕事がある。
同時にこの3年間くらいで韓国を何度も訪れる機会があった。
歴史というものが立体的に背景にあるということを感じてきた。
この視点のおもしろさをどう伝えたら、一番わかりやすくなるかな。

そんなことを考えている春休みの終わり(あー、終わってほしくない!)

(三木)