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自立【大人と子どもの境界線】


おはようございます。
【書くンジャーズ】木曜日の女
よーこさんです。

今週の【書くンジャーズ】のお題は、
【大人と子どもの境界線】


自分でメシを食えること

これが、
自分にとっての絶対のラインだった。

一刻も早く、自立したかった。
自分でメシを食う、
それが大人になることだと思っていた。

大学からは、
奨学金とバイトで自分で食べた。
でも、大学の学費、
これだけは親に出してもらった。

公立の短大なので、
なんと半年10万円という破格のお値段。
だけどその時の私には払えなかった。
感謝よりも悔しさの方が強かった。

自立することを
自分の力でメシを食うことなのだと、
若い頃の私は思っていたのだ。

ヒトは未熟に生まれ、
守られて生きながらえ、
生物としてヒトとなる。

守られ、与えられて、成長し、
自分で食えるようになって、
社会的に人になる。

そう思っていた。

一人で食えるようになり、
私は大人になったか?
答えはノーだ。
私は、いつまでも子どもみたいだった。

自立することは、
食えるようになるということと、
イコールではなかったのだ。

そして、
自立することと、大人になるということも
またイコールではなかった。


自分の子どもたちが、
高校を卒業した時、
20歳になった時、
大学を卒業した時、
就職した時、
外国へ旅立った時、
結婚した時、
子どもが生まれた時、
色んな節目で、
成長したなぁ、自立したなぁ
と思った。

どこから、
彼らは自分は大人だと自覚したのだろう。

曖昧な日々に、虚勢をはって、
母に反抗し、
がむしゃらに働いたり、
また甘えたり、
また飛び立ったり・・

ただただぼんやりと日々を過ごしていたり、
背中を押されて世界に飛び出したり、
守るべきものを持ち、
その責任感を持って、社会と向き合ったり・・


どこから、
私は、彼らを大人だと思ったのだろう。

一人一人に「自立」の意味があり、
「自立」の定義がある。

誰かに決められるものでもなく、
自分自身がどう生きていくかを
自分に問うことだ。

それはつまり、
一人一人に境界線があり、
その境界線は、人によって異なる、
ということだ。

いや、一人の中に、
いくつもの境界線があるのかもしれない。

それをいつどうやって、超えたのか。
越えようとして超えたものもいれは、
超えてしまったものもあるだろう。

子どもと大人の境界線は曖昧で、
決める必要などないものなのだと思う。




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書くメシでnoteと出逢い、

書くンジャーズで、noteと接して、

note酒場を福岡でやりたいと思っている

Comfortable Days のよーこさんです!

note酒場とは!




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