間違ったリーダーシップはチームを崩壊させる3つのポイント
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間違ったリーダーシップはチームを崩壊させる3つのポイント

見えない自信はいいけれど、間違った自信はチームを崩壊させる!?

よくいわれるのがビジネスの社会でも、スポーツの世界であってもビックマウスということ。

見えない自信については自分を孤軍奮闘させる意味合いもあり、目標到達への手段でもあります。

しかし、間違った自信というのは本当にチームを崩壊させてしまうがん細胞のようなものです。

人は自分を大きく見せようとするときに嘘を1つつくことになります。

その1つの嘘に真実味をもたせるために、更にいろいろな嘘をついていってしまいます。

この事によりリーダーシップを脅かすことになってしまうことに誰も気づいていません。

管理職になった途端に人が豹変したように変わってしまう人は特に要注意が必要です。

管理職になることで地位と権限を手に入れてしまうと人はそのポジションを譲ることはあまりしません。

そのため、粘土層になってしまったり、働かないおっさんが増えるというのはよくわかります。

日本の評価は数値化による完全実力主義ではなく、感情論で数値化するところがあるため、上司の評価に対して100%納得することはなく、不平不満がくすぶり続けるのは、これから変わっていかないといけないことかもしれません。

効果的なリーダーシップの発揮には自信が必要です。

これは当然の事実です。

しかし、人は特に権限のある地位に就いていると自信過剰になりかねません。

誤った自信を持っていると(あるいは確信もないのに能力以上のことを引き受けると)悲惨な結果に陥る場合もあります。

本物の自信と間違った自信を区別できることは、そもそも最初に自信を持つことと同じくらい重要なのです。

自らの破滅を招かないよう自己診断する必要がある人のためにはどうしたらいいのかをお話していきましょう。

本物の自信とはなにか!?

私たちの知り合いの中には、その人にふさわしい自信を備えた人物、なごやかで、冷静で、落ち着いた人物がいるはずです。

何に対する自信であるかにかかわらず、このような人は前に踏み出し、課題をやり遂げる方法を心得ています。大部分の人、あえて言うならわれわれ全員が、こうした特別なパワーを身に付けようと努力しています。

本物の自信には、その根底に準備が整っているという信念があります。

言い換えれば、課題に立ち向かう用意ができているとの確信です。

これと対極をなすのが、「不安」と「誤った自信」です。

「不安」とは準備の欠如であり、また「誤った自信」とは準備の必要性を軽視することです。

では具体的に説明しましょう。

ある劇の舞台に立つために3人の俳優が準備をしています。

1人は台本を読みましたが、残りの2人は読みませんでした。

1人は準備不足のために不安を感じています。

もう1人は準備していないにもかかわらず、うまくいくと信じています。

最後の1人は準備したのでいつでも演技できる態勢にあると思っています。

不安な俳優が観客の前に立つことを辞退すると、監督が彼の代わりを務めます。

監督は前にこの芝居を演じたことがあり、俳優たちと一緒に台本を読んでいました。

次に自信過剰な二人目が舞台でせりふを忘れてしまうと、彼が思い出すまで監督と準備をしていた俳優が場面をつなぎます。

即興でせりふを言って劇をうまい流れに持っていける自信があるのです。

誤った自信に隠された真実

台本が必要ないと思った俳優は、誤った自信、または自信過剰に陥っています。

これは過大評価、知識の過信、能力の過信という三つの思い違いのどれかに起因するものです。

過大評価とは、自分の成功の見込みや管理能力についての思い上がった考えです。

または、課題を実際よりも簡単だと思い込むことを指す場合もあります。

上記の俳優はせりふを即興でつくるのが実際よりも簡単だろうと考え、すべてうまくいっていると思い違えていたかもしれません。

同様に、自信過剰な人はヘルメットなしにオートバイに乗ったり、シートベルトをせずに運転したりすることがあり、どんな運転状況にも対処でき、そもそもそんなに遠い距離ではないと思い込んでいるのです。

仕事であれば、プロジェクトの成功を当然のことと考えたり、仕事が実際よりも早く完了するだろうと想定したりします。

またリーダーシップをとる場合、部下たちが従順に従うだろうと独り合点していることもあるのです。

抱えている課題が困難である場合、また経験がほとんどない分野に直面している場合にこうした現象が起きやすくなります。

知識の過信とは、自分の知識に対するうぬぼれです。

上記の俳優はせりふを良く知っていると思い込み、それ以上練習する必要はないと考えたのかもしれません。

これと同様に日常生活では、実際にはない知識をあたかも知っているように振る舞うことがあります。

知識がより高度な内容で、なじみがないテーマの場合にこの現象が起きやすいことが研究*からわかっています。

能力の過信とは、特に他者の能力と比べたときの自分の能力に対する思い上がりです。

上記の俳優は他の俳優より自分が優れていて、練習する必要があまりないと考えた可能性があります。

おそらくこれは一番わかりやすい形の自信過剰であり、虚栄心と結びついています。

自分の能力を過信する人たちは、自分の正しさを人にひけらかし、他者を納得させたいと考えがちです。

自信の欠如に立ち向かう

不安は誤った自信と似たパターンをたどりますが、まさに反対の方向に向かいます。

不安には二つの種類があり、それは準備の欠如と準備が欠如しているとの認識です。

ある人が実際に何かについて準備不足であれば、堂々と「自分はできません」と宣言するかもしれません。

自分を過小評価し、自分の知識や能力を低く見積もっている場合、うまくやれるかわからないので結果に自信を持てなくなります。

このような心の安定の欠如、こうした不安な気持ちがあると、自信に満ちた「はい」または「いいえ」を言える能力が損なわれた状態になります。

自信は無敵であることと同じ意味ではないと気が付くことが重要です。

自信は失敗を排除してはいません。むしろ、失敗に対処できるという確信、プラスの結果が生じるという信念、リスクに見合うだけの結果があるとの期待を意味します。

自信のある人でも間違いを犯すことがあり、誤っていたり、失敗したりもします。自信を構成する最大の要素は、倒れても立ち直るという決意です。

過去の功績は自信に大きな影響をもたらします。

それは適切な準備があることの証明になったり反証になったりするからです。

自信過剰な人たちは、過去の経験によって不当に間違った自信に溢れていることがよくあります。

同様に不安を抱える人たちは、自分の能力や知識を過小評価するに至った決定的な失敗を経験している場合があります。

しかし失敗から立ち直り、今後の課題に向けて準備することは可能です。そうすれば課題に直面した時、自信をもって立ち上がり、正面から問題にぶつかることができるのです。

的確に準備をすれば、脇道にそれても自分の行動を即座に立て直すことさえ可能です。

困難な状況でもあきらめることなく、自信のある行動によって知識や能力の不足を埋め合わせて目標を追求することもできます。

カギとなるのは、挑戦し続ける気持ちです。

何にもまして、自信のある人たちは固い決意を持っています。

間違いを認めて失敗を受け入れ、軌道を修正し、進み続けます。

準備と決意を実行すれば、誰もが身をもって範を示し、本物の自信によって他者を導くことができるのです。

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採用立上げ支援、人事制度改革コンサルタント、働き方改革コンサルタント。 経営視点でアウトソース系人事として活躍。米国大学院留学後、人材エージェント・企業内人事として活躍。 ライフワークとして転職相談をおこなっています。