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事業を始めるために奔走したら人生の解像度が上がった話

まずはじめにこの事業は不発に終わっています。

ことの発端は5月。
お仕事をいただいているWEB制作会社の社長さんと打ち合わせしていた時、私が職業訓練の講師の仕事を始めて、将来は教室をやりたい。という話をした。そしたら、「俺もやりたかった。」と嘘のような返事で盛り上がり、その1か月後に本当にその話が動いた。

近所でいい観光地があり、そこのテナントに空きが出たということで社長はすっかりその場所を気に入っていた。
地元の隣のまちのそこは私もよく訪れる場所で、憧れていた教室ができるということで私もふたつ返事で乗った。

当初の話では私が雇われ店長で、内容も全て私が決めていいということだった。ここがまずよくなかった。雇われ店長という働き方が、人によって捉え方やイメージが人によって違うということをここでは重要なことと思えなかった。
私は「高校の時のバイトのロッテリアの店長さんみたいなものか。」と思っていた。薄給だけど店長よりずっとお店にいて、責任がある人。けれど私はそれでいいと思った。

私はピアノの先生という職業に憧れを持っていた。イラストレーターと同じく、どうやったらなれるかもわからなかったし、「なりたいな」と思った頃にはピアノは実力がなかったし、なんなら26歳で地元に帰ってきた時「ピアノの先生にどうにかなれないか」と言ったら母に呆れられた。

上の子が小学校にあがるとき、フリースクールに憧れた。私が子どもたちにWEBのことを教えてあげられたらと思った。けど、資格もないし経験もないしなぁと思った。

去年の10月、副業の仕事を探していたら、偶然講師アシスタントの仕事が目に止まった。そこで受かって、幸運なことに講座の需要があって講師の経験を積むことができた。そこで、「ピアノの先生」のような「WEBの先生」ならなれるかもしれないという想いが沸々と湧いていた。

10年後くらいに、自宅で開業したいなぁとぼんやり思っていた夢が目の前に来たので、乗っかれるならなんでもよかった。
しかも、パソコンやAdobeソフトは会社の使用していないものを使って良い。引越し、初期費用は会社が出すということだった。
あまりにも話が良すぎるので、そのまま聞いた。そしたら、いい人材を確保したい。社長も以前パソコン教室をやっていたし、需要を感じる。ということだった。なので私は制作会社の名前を使用して、少しでも会社のお役に立とうと時間を費やした。

結果、8月開講予定の1か月前に社長から一旦見直しの話が来た。
5月6月は通常の仕事に加えて休みの日も事業計画に充てたり、インスタを運用したり、ホームページを作ったり、打ち合わせの日々だったのに、モニターさんも数人集まって実際に講座が始まっていたのに、社長に成果として届いてなかったことがショックだった。確かに成果としては微々たるものだったけど、過程で評価されなかったことと、将来性にかけてもらえなかったのだなと悲しかった。
どうやら途中、私と社長の話で誤解や食い違いがあったようだけど、そもそも「雇われ店長みたいな」ふわっとした口約束だけだったことが原因だったと今ならわかる。
令和の虎で言えば、私は社内ベンチャーでリターンは投資だったのですが、社長はどう思っていたのだろう。もう聞けないのですが。
とはいえ事業とやらが全然わかっていない状況で、なんとなく「社内ベンチャーでリターンは投資」という話ができていたのはなかなかいい線だったと思う。残念ながら「Nothing」に終わってしまったけど、人によっては「All」になったのではないかなと我ながら思っている。

結果、社長と関係が悪くなったとかはなく、「こめこさん個人でやればいいよ」と言っていただいたり、「会社で教室やるとしたらこめこさん講師やらない?」とよくわからないご提案をいただいたりしているので、いい距離でお互いメリットがある関係でありたいなと思う。

それで、お言葉に甘えて、というかありがたいことにモニター生徒さんが継続をご希望してくれていたので個人で活動を続けています。

場所を借りなくてよくなったので、個人的に心苦しかった講座料金を上げることをせずに運営できるようになった。苦手なお金のプレッシャーからも解放されたし、自分の名前で活動できるようになって結果的によかった。

教室事業を成功させるためにまず市場調査として調べたことでマーケティングの解像度が上がり、差別化させるためや同じような教室を作り上げるためにブランディングの解像度が上がり、セールスって大事なんだということに気付き、最終的に北原孝彦さんの動画に行きつき起業の解像度が上がった。笑

なので、数ヶ月前に自分で起業なんていやいやいや、というマインドだった私ですが教室事業を楽しめるようになったのです。

教室事業のお話が来たとき、私のフリーランスとしてのヒットポイント(貯金)はあと少しだったので、これに賭ける気持ちでやってきたのですが、それがなくなったこと、5月6月やってきたことがお金というものに変えることはできなかったので、お給料的には「こんなにやったのにこれだけ」ということになり、結果ヒットポイントはほぼゼロになった。涙
切り替えて就活を始めて、1社常駐できるお仕事を見つけました。

これも、北原さんの動画のお陰で、世の中には起業できる人と二番手が合う人、雇われる人がいるということがわかった。
自分は二番手の役割なのだということで、就職するという道を受け入れることができた。というかきっかけは北原さんの会社でWEBデザイナーの求人があったので、応募した。笑 結果は落ちてしまったけど。涙

本業が大事だっていうことも、北原さんの動画で学んだ。
私はまだ事業をやる器がなかったということで、小さく始めてゆっくり勉強していきます^^

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